千文字の小説が文字数の制限のない小説より、奥の深いものなのかどうかはよく分からないけれど。俳句は確かに奥の深いものだと聞いています。
制限があるからこそ技術の方向性が生まれる例は、枚挙にいとまがないと思います。極論を言えば、世の中のすべてがそうか。
いくつか物語を書いてみて、展開こそが、物語が面白いかどうかの核だと、確信めいたものを持っていたのですが、ふと思うところがあったので、独り言です。
qbcさんの最近のを読んでみようと思って「妹の手前」を読みました。以前に読んだあの作品はなんだったか、数が多いので分からないのですが、同居しているのだけど血の繋がりがない三人の話、あの頃の書き方から「妹の手前」は、物語の紡ぎ方が同一線上にあって、物語の一文字目から千文字目までの中で、読者の予想の斜め上、「展開の移動距離」がどこまで遠くまで達したか。qbcさんもそういう考えに至ったのかなと思うところがありました。
自分もそういう思いで幾つか書きましたし、そんな思いのまま、次期にまた投稿してしまっています。
でも展開の飛躍なんて、言ってみれば乱暴なだけですからね。自分で思いますけど、度が過ぎると、物語に対して無責任なだけになっていないか。物語に対して真面目だったのかな、そういう自戒が生まれて、むやみに遠くまで行けばいいというものでもないのではないか、「最後のひとり」ぐらいの距離がちょうどいいのではないかと、ふと思ったのです。
ああでもない、こうでもないというところが、奥が深いということなのかもしれませんが、ちょっと考えを改めてみようと思いました。