仮掲示板

第144期感想

『少し濃い夜』

「衝動的に」の話は共感した。わかるわかる。
すると「ああ、ビールが飲みたい、と思った」というのは、自己陶酔の終了というか、現実に戻ってきた感じを受ける。
けれども「大都会からすこし離れた終着駅の夜」にはまだ、都会とは違う=「私」にとっての非現実の世界を感じさせる。
となれば「少し濃い夜」というのは、現実と感傷に浸る一種の非現実が混ざり合った中間の時間を最後に切り取るから「少し」なのだろうか。


『夢は窓にと』

「窓」は紅茶の水面のことで、「夢」は紅茶と彼女の胸の奥に広がった赤茶色の景色のことだろうか。
映像的だな、とも思ったが、映像となるべきものの描写にそんなに字数を割いているわけではないから、ちょっと違うね。
彼女も過去の夢を飲み干して感傷の非現実から現実に帰るのか。


『幼馴染』

名前の意味を考えようとして、結局わからなかった。
普通の読みの名前だけれど、少し凝った漢字を当てはめた名前というのは、
そういう名前が話の世界観に似合うか、名前に使う漢字にまで意識を働かせて選択しているか、そういうのでなければ結局浮くと思う。
特に『短編』はルビ機能のないサイトなわけだし。
物語にかかわるような意味があってつけているのならごめんなさい。
初読は最後まで「『せいしち』君て、古風な名前だなあ」って思ってた。


『白地』

「デリート地帯」とか「橋下式デリート法」とか「井の頭三時五十五分」とか、言葉が面白い。
「友人ビー」に常に「友人」が付いているのはなぜなんだろう。「エー」も「シー」もいるのか。
人間が「デリート」されると顔も名前も「白地」になってしまうのだろうか。
となれば違和感を感じないのが何とも怖いお話しで。
「俺たちの町」もデリート対象になってしまったわけだから、逃げ遅れたら家康も井の頭三時五十五分になってしまうのだね。


『一億本目の棒を』

首に向けて話しかけているのか、自分の鏡像に向けて話しかけているのか。
「彼女はなぜ」の下り辺りから、後者かなと想像するのが個人の感想。
想像の範囲が広いのは好きだけれど、字数も残っているし、もうちょっと書いてほしかったなあとも思う。


『台風の喜多』

えろい。
婆は自己卑下しているだけで、良い肢体の持ち主なんじゃないだろうかと勘ぐってしまうのは、下衆の妄想ですか。
呼称が喜多ではなく、台風なのが好き。


『緑の腕』

しなやかな女の腕と、緑の蔦の親和性の高さはなんとしたことだろう。
怖いが、妙に美しい気もする。
けれども「目を見開いてひきつった私の顔」で、ああやはり恐ろしいことだと気持ちが引き戻される、のに、
鍵盤を叩く腕は美しいから、怖いね。


『無人島』

説明できない奇妙な不可思議を、「え、なにそれ」と否定的な感情でなく思わせてくれて、最後まで読ませてくれた。
どんなに暑くてもコンテナの外で寝ようとは思わないのだろう。微かなよすがとばかりにコンテナの中で身を丸める姿を想像すると切ない。
けれどもそのコンテナすら安息の場所とはなり得ず、溺れることを不安に思わなくてはならない。
たまらなく悲惨な状況なのに、その重さが、最後の納品書の文面でふっと軽くなる。




疲れたのでここまで。

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