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○#14 #19の感想


●#14 感情の中で。


 今期の作品「愛なき者」のテーマを寓話化したらこの「感情の中で。」にちかい作品になるのではないだろうか、と思いました。私のなかでは、両作品は主人公の自分探し的なテーマをもろに前面に押し出している点で似ているように思いました。

 この作品は読んでいて、作品世界にどっぷりと自分を入り込ませることができませんでした。正直なところ、主人公の「私」が森を歩こうが、ヒトらしき者と一緒に歩こうが、最後には淋しくなろうが、私はそのことについて何も感情移入できなかったのです。

 なので、読後に考えたことは、これはどうしてだろうか? ということについてでした。

 たとえば今期の作品もたくさんありますけど、その中には文章がさほど凝っていなくても、あるいは好きなテーマではなくても、読んでいるうちに自分もその作品世界の一員となって、作品内でおこった事件等について自分なりに考えてみた作品があるかと思えば、この作品のように、なにも思わなかったという作品もある。

……これは、私なりに思うところを書けば、たぶん作者は、この作品を書くにあたって、作者自身がどっぷりと自分の妄想のなかに浸かってしまっているからじゃないだろうか、と考えました。作者も主人公といっしょになって森で迷っているような印象がある。

 作者=主人公 はもちろんアリだとは思うのですが、作品のトーン全体が作者と主人公のトーン中心で、主人公に同調できなかった場合はまったく入り込めなくなる。

 どんなに美人が目の前にいても、その美人がかばんから何度も何度もしつこいくらいに鏡をとりだして、自分の顔をうっとりした表情でみつめているのを目撃すると、なんとなくげんなりしてしまうものです。それに比べればたとえ美人ではなかったとしても、さばさばとはっきりしていて笑顔がかわいかったりすれば、なんとなくそっちにひかれます。

 それと同じで、この作品のテーマそのものは森に行ったりヒトがついてきたり、と、いろいろ寓話化されてておもしろいと思ったんですが、やはり「私は」「私は」「私は」で始まる文章が多かったりして、いささか読んでいると「また<私は>かよ」といいたくなりました。

 主人公が迷うのは仕方ないけど、作者までいっしょに主人公といっしょに迷いはじめると作品はどろどろしてくるので、もう少し作者が主人公を突き放した視点で書いてあれば……。

(もしなにか内容について返信していただけるならば冒頭に全文引用されることは遠慮してくださると助かります←前回、前々回の件より)



●#19 rot ion ape = 面会 晩餐 仮

 小説、物語、散文、文学……と、区分けはいろいろあるんでしょうが、創作物を読むたのしみのひとつは、文字をとおしてありえない世界を疑似体験できるということです。

 この作品は、鉄板と鍋の横に生身の人間(修造)が横たわっていて、これから二人(彦麻呂と曽根)が彼の身体を切りひらき、その内臓を鑑賞しながら、順番に食べていこうとしている話です。

 一般的な傾向として難解さを売りにした多くの作品は、こういう場合、まったく脈絡のつかない、言葉と言葉をてきとうに置いただけとも取られかねない作品になることが多いと思うのですが、この作品は、一応、ストーリーとして破綻していない。

 人間が人間を食べようとしている――というシンプルな一言にまとめることができるという、単純さを維持しつつ、あとは作者がおそらく書きたかったある種の残虐性を思う存分腕をふるって盛り込んでいます。

 ところが、それはまるで料理されたカエルを上品に盛り付けた仏蘭西料理のごとく、なんとも魅惑的に描写されている。臭くない。

 内臓を「綺麗に詰まっていて、まるで宝石箱やなあ」というところなんかゾクゾクする。タバスコをかけるという発想の斬新さや、それを皿にかけるのでなく、勢いあまって臓物ごとタバスコ漬けにするところなんか、まさに作者が自分でも予想していなかった、作中人物たちの自律した行為にちがいなく、作者自身もここを書くときは思わず、書くというより、登場人物たちに書かされるような気持ちになったにちがいない。

 しかも焼きすぎたレバー(といっても人間の肝臓)の味が、ぼそぼそとしている……なんてところの細部の描写が神がかっていて、私はもちろん人間のレバーなんて食べたことはないけど(作者もないだろうけど)、ここでは食べてるような気になる。目に見えない世界、起こりえない観念的世界に手ざわり肌ざわりを感じてしまう。これは文学の力ですね。


「そこにはわしの子が入ってるんや」


 このあたりの3行ほどの展開は私には衝撃の極の極で。この作品については私の創造力ではとてもかなわないというか、すでに完璧に完成されている気がしました。しかも、これが、映像の世界の話で、この様子をビデオでみている二人がいる、という構造になっているなど、はたして1000字小説でここまですごい作品をつくった人いるのか、と感服しました。

 正直なところ、私の解説は陳腐すぎて、書くのをためらうくらいでした。作者の作品についてはここ最近の作品はすべて拝読してますが、今までは「現代」が舞台の作品がおおく、まさかこんな作風や作品が書けるのか、と思わなかったので、その点についても驚きを隠せません。

 原稿用紙2枚半に秘められた可能性を感じさせてくれる作品が読めてうれしかったです。そして私の感性も大いに刺戟を受けました。このクラスの作品を書いてしまうと、どうしても来期以降が書きづらくなると思いますが、こんなのを毎月かけたらそれこそ才能の最後のだしつくしのようなものです。来期以降も楽しみにしています。


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