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本文: 〉183期全感想(ネタバレ注意) 〉 〉せめて良き読者ではありたいと思う。 〉 〉「あふれだす恋愛衝動」 〉純情男子の青春小説。面白かった。下衆下劣ではないかとの自問自答や大人からのアドバイス含め、王道路線を1000字で綺麗にまとめている。この種のユーモラスな青春話は、下手に捻らずに、まっすぐ描いたほうが読み手にすっと入るので、その点でも上手いと思った。 〉 〉「にわか仕込みのかめはめ波」 〉二段落目の描写が非常に上手い。どどん波の人差し指が少し拗ねた感じと、黒柴のじゃれあいから嫌がる流れが、語り手の心の動きと合わさって情景が広がる。だからこそ、後半の勘違いが解消される描写の流れが悪くて惜しい。昔からの勘違いに、今になって気がついたというスイッチが、彼女への嫉妬から好意に返る流れに乗るとよかった。とても惜しい。 〉 〉「落ちようと思って」 〉事後からはじまる。冒頭で、アンニュイな世界を展開することを決定し、「ぼんやり」「気のない」などと進み、「足早」「不快」と少しずつスピードを上げる。このスピードは、柵での視点移動から実際に落ちることろで最高潮に達し、「衝撃」で終わる。この小説の美しさは、この滑らかなスピード曲線にあると思う。それが、タイトルに込められているのが素晴らしい。 〉 〉「爆発!」 〉(おそらく)ネットで見かける、小説家ごとの「背後で爆発が起きて振り返る」という、作品群が意識されている。あのジャンルは作家の癖などが盛り込まれた文体の違いが面白いのだが、そこに背景のない作者が挑戦すること自体が面白い。そして、本小説で、ナンセンスなオチを披露してみせたことは、このジャンルの馬鹿馬鹿しさと通じるところがあって、面白い。 〉 〉「赤瓦の屋根は海の向こう」 〉望郷の小説。途中で語り手の意識のなかで、「ここに馴染むのも、故郷に帰るのも、それはたぶん私じゃない」という言葉が出てきて、故郷にすら居場所がないことを示唆する。居場所がなくても、部屋にシーサーの置物を買うことを考え、真夏の日差しが遥か遠くに感じる、故郷を思わざるをえない精神、これこそが望郷の念。語り手の意識と行動が乖離していることで、小説に深みを持たせている。個人的にこういう寂しい小説は好きです。 〉 〉「獅子の山」 〉神話的な話で、言葉選びの粗さが、さほどマイナスに作用していない。というのは、この物語の軸が、「父」性にあるから。荒々しさは、家族を守る使命にかられ、父としての矜持を精神的支柱に据え、気がついたら守るべきものがなくなっているという悲劇に、合っている。このような角度で男の脆さを描かれた作品は、古典的だけど、やはり心に響く。 〉 〉「八咫烏」 〉サッカー日本代表は、それ自体、非常に色濃いイメージをもっており、それを小説の登場人物として登場させる効果は、映像的になることじゃないかと思う。だからこそ、そこで選手の内面を描くと、読み手としては、どこかこそばゆく感じるところがあるでござる。 〉 〉「最期まで。」 〉『ごめんね、そんな気はなかったの』というメッセージは、先の「私」の「ごめん。そんな気はなかったんだよ」を受けており、ここでは彼女が、「私」を悲しませる気はなかったという意味で捉えた。ここのところは、いくつか解釈の余地があり、行間の飛躍が、ふわりとした印象を与える。 〉 〉「死語の辞典」 〉一読したとき、これは、継承の物語だと思った。「かれ」の文字を「若者」が引き継ぎ、循環していく縦に紡ぐ話。しかし、受け継がれた言葉は、死ぬことなく、タイトル「死語の辞典」としっくりこない。再読して、「若者」が記録者、神に近い役割を果たしているのではないかと考えた。つまり、「かれ」は、人類の不特定多数のうちの一人、「若者」は、個々の人間の人生を、文字で記録する。そうすると、この辞典である物語は、全人類の人生の記録となり、横に大きく広がることになる。 〉 〉「未来ちゃんと僕」 〉「小説のようなもの」とは何か?その答えは、未来ちゃんのセリフ、「結末は読者が決めることよ」にある。物語が、読者の裁量に任せられるとき、束縛のない自由が広がる。TVかラジオかのメデイアの中で連呼される「小説のような」は、つまり、それを視聴する者が、現実社会を自由に想像し、創造できることを意味している。が、なぜだろう、すごく不自由に感じた。 〉 〉「愛おしい人」 〉彼女の出て行った理由は描かれないからこそ、読者の想像力をかきたてる。なんとなく察することはできる、この語り手はダメ男だ。「俺にいつまでも想われているのは気持ちよくはないだろう」このあたりに男のエゴイズムが漂う。小説は、玄関の鍵を閉めて、閉じられているが、おそらく男はまだ未練がましく思い出すはず。もし、私小説だったなら、すみません。 〉 〉「蛟」 〉再生の物語であっているのだろうか。穿った読み方かもしれないが、木槌やブドウの枝で作った杖など、タイトルの蛟を想起させる。隻眼、半身がしびれた彼と、心に空洞を抱えた語り手の私はそれぞれ不完全な人間で、時の流れとともに、浄化され、支え合うことで、結ばれる。これは、蛟が龍となることだ。美しい小説だと思う。 〉 〉「その日も、女は倒れるくらい働いた」 〉女の巨大さを思う。タイトルに「働いた」とあるのに、物語はこれから働くところで終わっている。しかし、巨大さや大量のミルクティに、女の勢いが見てとれる。すごい勢いで働くことが目に浮かぶ。デカイことはそれだけでパワーなのだ。 〉個人的に、藝術家の卵を揶揄した比喩は、やけにリアリティがあって、とても好きな表現です。 〉 〉「十か条」 〉あぶり出しのような小説。同棲のルールを箇条書きにしただけ、というのではない。一切の説明書きを排除して、ルールを書き連ねるだけで、男女の同棲の背景や性格があぶりだされるように配慮されている。箇条書きの書き手(作者ではない)がそこかしこに素直な気持ちを込めており、同棲のルールから逸脱するところに、読み手に変化球のような印象を与え、小説に彩りを加えている。 〉 〉「自意識過剰と妥協」 〉自分の性格における恥部が具象化されるのは、恐怖だと思う。他人から見られてしまう。それこそ、自意識過剰なのかもしれないが。 〉
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