いつの間にか予選が終わっていた。
予選で感想書いたの、決勝投票したの以外の作品の感想を書こうかな。
スクリャービン:
「カフェは夜のオアシス」って入りに躓いた。砂漠は基本的に昼は暑く、夜は寒い。砂漠の民は『昼は太陽が打ち、夜は月が打つ』と古来より砂漠を表現している。昼夜関係なく厳しい環境。水を求める者にとってこそ、オアシスは存在する。珈琲という水分を求めるには良いかもしれないが、「足をゆっくりとのばせるソファ」と、寒さで身を縮める「夜のオアシス」とで、私がイメージする情景に亀裂が入った。
「砂漠のまんなかで水をジャブジャブ浴びているかのごとく、時間を無駄に使っているのだ」という描写から、『限られた時間』から『限られた水』を連想し、『砂漠での貴重な水』という発想を作者がして、冒頭に無理矢理、「夜のオアシス」という文章で始まったのかな、と邪推した。
『そのとき大介の真横のソファに一組の客が座った。女性二人組なのだが、最初、大介は相手にたいしてまったく興味をもたなかった。
喫茶去という言葉が禅語にある。大介はこの言葉が好きだった。一杯の茶の前で、人はみな平等である。』で、私はギブアップ。
大介が禅の境地に達しているのかは知らないけれど、「興味を持たなかった」のに、「真横のソファーに」座った客が、「女性2人組」って良く分かったな、と感心。「女性2人」で先に来て、他の相手を待っているだけなのかも知れないのに、「2人組」と断定する観察眼に敬服。横目で女性を眺めながら、会話に聞き耳を立てているとしか……(経験上、女性2人で席に座って、直ぐにアルコールのオーダーをしたら、待ち合わせではない可能性が大きい。)
スクリャービンの曲、聞きました。素敵な曲でした。私が聴いたのは数曲だけど、ゆったりとした始まりから、急テンポの曲に変わるのが、この作品の構成と似ていると思いました。
ちなみに、『頭のなかでスクリャービンを鳴らし』とあるけど、主旋律がはっきりしない感じの曲調で、『頭のなかでスクリャービンを鳴ら』す、大介さんは音楽の才能があると思いました。
体内時計:
「体内時計」というバイオリズムに属した、生物としての生命サイクルに割り込んでくる管理社会。24時間営業とか、便利さと経済的利益の名のもとに、生物としての人間の領域を侵す社会を上手に表現していると思った。
とっても素敵だったのが、「じゃあもうインストールを?」という台詞。なぜ、「アインストール」ではないのかと考えさせられた。強固に作られた社会システムを、社会的に生きる人間はそのシステム自体を無かったことにできないのだと思う。人は、無人島のロビンソン・クルーソーとしてはもはや生きられない。「アインストール」では無く、「ごまかす違法パッチ」を使ってでしかこの社会では生きられないのだろう。
そしてこの小説が秀逸だと思うのは、この小説で浮き上がってくる登場人物達のraison d'etre。
「画一的な通勤ラッシュというものは存在しない」、「前時代的な規則違反の労働環境は一掃」、「労働者の生命が保たれる」という環境。通勤環境も悪くなく、サービス残業を強いられるブラック会社も存在せず定時退社、そして安定雇用。それを世間では、恵まれた就労環境と言うのだよ。だけど、それで満足できない人達がいる。そこから越境する人達がいる。では、一体、「違法パッチ」を使う人達は何を求めているのか?
この作品は、「ディストピア」を描いた小説では無いと思う。「ユートピア」に向かう最中の人間の葛藤を描いた小説であると思う。