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1002です。

○冷たいギフト(元空洞です)さん、わらさんへの返信
○85期作品「龍ができるまで」「笑う淑女の生活」感想

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○冷たいギフト(元空洞です)さん、わらさんへの返信

冷たいギフト(元空洞です)さん

返信ありがとうございます。冷たいギフトさんと私はトモダチになりました。今後ともよろしく。あなたの文章に惹かれているので、作品感想なんかビシバシ書きあいましょう。作品感想に書き手の実力が一番でて、勉強になるからね(この点をいまいち理解されない)。

わらさん

わらさんの姿勢に反発しているわけではありません。疑問だったので聞いてみたかったのです。なるほど「『短編』の方針は基本的に運営者に委ねられていることは知っていて、気に入らなければ去ればいいということは知ってるが、アーダコーダ言うのがおもしろいから言うのを続ける」ということですね。なるほど、問題ありません。たしかにおもしろいなと思う意見をときどきみかけます。私はチャットなどポリシーで参加しませんけど、傍目には、こういうのが続けばおもしろくなるかもなと思ってたのですよ。でもおもしろくなくなったらやめるんでしょ? 

運営は地味なものだと思う。刺戟だけ(おもしろさだけが)ほしいのであれば、向かないと思う。おもしろくなくてもやりたい、というくらい責任とってくれるならば私も興味を持ちますけど、おもしろくなくなった、とある日やめられたら期待してた者の気持ちはどうなる。

○85期作品「龍ができるまで」「笑う淑女の生活」感想

「龍ができるまで」

 圧倒的な優勝作品! という貫禄を感じさせるものだけを投票しなければならないならば、この作品は推薦しないけれども、何度読んでもそのたびにクスッと笑える軽さがあって、なおかつ描かれているテーマそのものに共感をもてる作品といえば、なんといっても「龍ができるまで」を薦める。

 ストーリーは単純明快で、ある日気がついたらさらわれていた主人公の目の前に、不気味な博士が立っていて、どうやら主人公自身を世直しヒーローに改造しようとしている。主人公は何をやっても失敗してしまう自分に嫌気がさしていたので、この機会を喜ぶものの、結局博士が改造するのは美男子であって、主人公ではなかった。意見をききたかっただけだった博士は主人公を撃つというオチになる。

 要約すると簡単な話になるが、作品を読むと、いろんなところに書きなれた作者ならではの小技が効いている。うっかりすると読み飛ばしてしまいそうになるほど、テクニックがさりげなく使われていて、そういう点で洗練されてる書き手だな、と思った。

 たとえば、

ーー

「ありがとう、やはり君を選んで正解だった。実に参考になったよ」
「そいつはよかった。なら早く改造してくれ」
「心得た」

 白衣の男が懐から銃を取り出す。

「え?」
「誰も君を改造するとは言ってないよ? ちゃんと絶世のイケメンを別に用意してある」
「ちょ」
「君の意見はきっと採用されるよ」

 あ、そういや何とか博士って悪役だったな。


 ぱん。


ーー

これは作品のラスト部分であるが、文字数にして180字以下である。それなのに、この部分がそれまでの800字をかるくひっくり返してみせる。ここは構成上すごいことをしている。その秘密は会話のテンポのよさにあるにちがいない。前半部にわりと説明的な文章を持ってきておいて、主人公の状況や心情をしっかり描き、読者を入り込ませておいて、後半いっきにオチにむけて、ひきしめていく。

そのラストにおいても、会話だけでいくようにみせて、唐突に間ができたところに銃がとりだされ、主人公の驚きもつかのま、<あ、そういや何とか博士って悪役だったな。 ぱん。>は、もう見事というしかないね。この技術だけで推薦に値するのに、それに加えて、本来は社会に対して恨みばかり抱えている、いわゆる<弱者>な男を軽蔑して笑うのではなく、なんとなく彼の立場にたっている作者の視線が温かいように思った。なので、このヒーローになり損ねた主人公の滑稽さを読み手の私は軽蔑の笑いで眺める必要はなく、落語の人物たちの失敗に似た、おおらかな笑いを許されて、読んでいてほのぼのする。上質な笑いというものがなんであるのかを知っている作者なんだろう。

これは蛇足だが、作者のブログを読んでいて、いつも仮面ライダーシリーズについての作者なりの分析があるのだが、暗号解読をする気分で読ませてもらっている。そういえば仮面ライダーの仮面は、今の感覚でみても当時の感覚でみても、なんだか虫みたいで、下手するとかっこ悪くさえある。そんな虫のような面をかぶったヒーローで世の子供たちの人気を総ざらいしたなんて、よほど仮面ライダーはおもしろいのだろう。そのおもしろさの秘密を毎週毎週読み解いている作者の描き出す世界の細部がうまくかけているのは、日々の訓練(のつもりではないだろうが)の賜物なのであろう。

余談であるが、私も長編執筆において、「短編」のこの感想書きを通じて、作者の世界に実作者の気分で入り込む体験を毎月させていただいていることが、いろいろ役に立っている気がする。


「笑う淑女の生活」

「おもしろければいい」という作者の概念がそのまま投影されている作品のように思えた。なぜか居酒屋の給仕人であるらしいのに、貴族みたいな姉妹がでてきて、これがまたなぜか人生について思い悩んでいるところにとつぜん力士があらわれたり、する。たしかにおもしろい。

 ただ、この「おもしろい」のおもしろさについて、考えさせられる。この作品の「おもしろさ」はすべて責任回避されたところの束の間の混乱、無責任さ、突発的なギャグ、みたいなものばかりが「おもしろいもの」として設定されていて、そういうのはスパイスとしてなら、楽しめるが作品のリズムにうねりがなく、スパイスだけ、な印象。

 本当におもしろい<おもしろさ>というものは、おそらく一読したときに読みながしてしまいそうなつまらないものの中に、あるいは、「龍ができるまで」のような、筋がきっちりしていて作者が物語の笑いにしっかりと責任をとっている姿勢が垣間見れたうえで、なおかつその作者の書き手としての藝の力で笑わされるような、そんな「おもしろさ」を私はおもしろいと思いたい。まあ、無責任な笑いというのも嫌いではないのだが、「おもしろいだろ?」で押し付けられる種類のおもしろさは、おもしろさが鮮度に左右されてしまう。なので読みながら、これはいつまでもおもしろく思える作品なんだろうかと不安になって、その点で作品が信用できないから、どうしても読み捨ててしまいそうになる。

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