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1002です。

●のいさんへの返信
●85期作品「月銀奇譚」「不惑」「おフトン姫を読んで思ったこと」感想

○のいさんへの返信

 返信ありがとうございます。私は毎回自分の基準で感想を書いているだけで、その感想から役にたつところだけとってもらえればいいと思ってます。また、私も感想を書くことで、のいさんの一番いいところを自分のものにできればと思って書いてます。
 
 いい結果がでると「来期は満足できない出来だから、投稿は来月にひかえよう……」と思ってしまうかもしれませんが、良くても悪くても出すべきだ! と私なんかは思います。出来が悪くてもいいじゃありませんか。毎月傑作が書けるほうがおかしい。私のようなしがない感想書きがなにを言おうがほっとけばいいのですよ。大事なことはここを通過点のひとつとして続けることです。なので来期も作品を(よしあしにかかわらず)楽しみにしています(しかしそういいつつ私は私の基準で感想を書きます)。



○「月銀奇譚」感想

 こういう千字小説は、よく知らないけれど「携帯小説サイト」では流行るだろうなと思った。対象読者としては、いわゆるケータイ世代で、パソコンの文字なら読むけれども、紙の本を手にとったことは年に一度あるかないか――そんな読者が、携帯をとおして小説のようなものを読んでみたい、と思ったときに、この作品は彼らにとても新鮮な風を呼び起こすような気がする。普段、ブログやメールで使わない言葉づかいであるし、なにやらおもむきがありそうな気がする。なんとなくイイ雰囲気っぽい気がする。余韻がありそうな気がする。おもしろい気がする。

……というわけで、あるタイプの読者には好評だろうと思う。でも、紙の世界が中心である読み手たち、本屋で売っている本だけではなく図書館で昔の文豪たちの世界を知っている人たちからすれば、この物語は物足りなすぎる。というのは、狐っぽい女が男を誘惑するというこの話は、まだ何も物語が始まっていないように思う。私には余韻にさえ思えなかった。「実は狐である女が男を誘惑する」という昔話の典型に対して、作者はそれにてきとうな読み心地のよい化粧をしただけで、その「狐が男を誘惑する」ことに対する自分の解釈を何も出していないように思った。

つまり、この物語のなかに作者自身の執筆理由のようなものを、思いのようなものを、なにも感じない。私には小説というより、描写の練習としてのスケッチのように思えた。だが……これが多分ケータイ小説読者にはウケるんだろうな。

○「不惑」感想

「奮発して買ったホールケーキも、切り分ける必要はない。皿さえも出さず紙箱を開いてそのままテーブルの上に置いて、私はフォークだけを用意した。」

この話では、この部分がすごく好きだ。とってもいいと思う。四十になろうとしている独り身の切実さがにじみ出ている。それでいて、四十って外見とちがって四十だから何もかも大人ってわけでもないんだよね。

だけど、これが日記ではなくて小説ならば、やはり作者はもっと工夫すべきだと思う。なんとなく小説ではなく新興宗教の説法を読んでいる気分がする。それとも作者は今、女装から宗教に興味を変えているのだろうか? 別にこの場で信仰を否定するわけではないし、信仰を持つことは本来とても大事なことだ。だが、これは小説のはずである。小説であるならば、えんえんと一人語りの感傷から、とうとつに論語に感銘を覚える、といった宗教に目覚める新興宗教入門書のようなパターンではなく、もうすこし外部の刺激をいれるべきではないだろうか。

たとえば、主人公がケーキを前にしてひとりパーティーを開こうとしていると、長屋の隣の子供が一階の廊下で「ヨンジューにしてマドワズ、ヨンジューにしてマドワズ」と叫んでいて、「ぼうや、どうしたのそれ?」「先生が人間は40歳になったらしっかりしてるんだって」「そうよ。人間は40歳になったらきっちり働いてなくっちゃいけないのよ」

なんてことを隣の母息子が主人公の窓をあけっぱなしの部屋の前で喋っているのを、主人公は聞いていて、せっかくひとりでハピバースデーを歌おうとしていたところがためいきでロウソクの火が消えてしまう……みたいな、外部との仕掛けを通じて、この男の孤独をあらわすのはどうだろうか。そうでもないと、世界がどんどん閉じられていく気がする。

○「おフトン姫を読んで思ったこと」感想

 この話は細部がこまかいところまでリアルなところがおもしろかった。あと、「ばんざあい」と叫ぶ唐突さとか言葉の選択にもセンスを感じる。だが、この話をつくっている作者には大臣にも大臣の妻にも男にも愛情がないような気がした。ひきこもりなのに偉そうにする夫とその妻、それに有限会社の冴えない男の三組を適当に組み合わせてみた――そんな感じがした。布団大臣の強調された設定、強調された滑稽さには、なにか作者のひきこもりの人に対する悪意すら感じる。これは現代では「ブラックな笑い」ということで笑い飛ばす種類のもので、たんに私の感性が田舎っぽく古臭いのかもしれないが、生存競争が過酷な東京在住者ではないのんびりした地方人の私には、こういう笑いは苦手だし必要としていないので後味がわるかった。

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