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 失礼します、横レスです。いくつか思ったことがあるので。
 反論、と言えるほど深く考えた上でのものではないことを、先にお断りしておきます。

〉 読み手より書き手が多くなってくるのは世の流れであって避けがたいものでもあるが、「よい書き手になるためには、よい読み手であるべきだ」というのも一つの真理――あくまで、一つの、ですが――であって、小説だかなんだかわからないようなものの執筆を数こなすだけで満足しているような人には、「まず我慢して読む」ということも覚えてほしい。

 「一つの真理――あくまで、一つの、ですが」
 と、ドックンドールさんが――おそらく慎重に――書いておられるとおり、これはあくまでも「一つの真理」なのだと思います。
 ただ「よい書き手」が必ずしも「よい読み手」であるわけではない、あるいはその逆、「よい読み手」が必ずしも「よい書き手」ではないということも、「一つの真理」ではあると思います。
 つまり、ある人が感想を書いたとして、それが的外れだとか深く読み込んでいない感想だからといって、あるいは的を射た深く読み込んだ感想だからといって、その人が投稿した作品に、その感想の影響が出ることは、私としては好ましくないと考えています。
 また「感想を書く・書かない」「掲示板で議論をする・しない」といった部分においても、同じことを思います。
 ここは「言わずともわかっている」といった部分かもしれませんが、どうも「よい読み手」でなければ「よい書き手」ではないといった印象も受けたので。

〉〉ひとことでいうと(作家の思考の中)読者不在だと思います。

〉 おひるねXさんの発言ばかり引いて申し訳ないが、私たちアマに読者想定など必要だろうか。

 これは本当にケースバイケース、人によるとしか言えないものではないでしょうか。読者を意識したほうが「良い作品」を書ける人もいれば、意識しないほうが「良い作品」を書ける人もいるでしょう。(自分に良い悪いの判断ができるとは思えないのですが、便宜上そういう言葉を使いました)
 また、誰かにとっては「良い作品」であっても、別の誰かにとっては「悪い作品」であることも、多々あります。そういったところで、私としてはとても迷う部分です。

〉「書かざるを得ない」は、物書きとしてより根源的な欲求、衝動であって、「読んでもらえるようにする」は「読んでもらいたい何か」があって初めて必要とされる要素、本来どうでもいい部分だ。物を書くにあたっては、そういった根源的なもの、書かざるを得ないような何か、つまり「モティーフ」がなければ、自分の方向性――プロになるとかそういうことではなく――はいつまで経っても見つからないだろう。そのモティーフに形を与えるために、適当な人物設定や出来事を探してくるわけだ。キャラクターやストーリーの役割は、それ以上でも以下でもない。

 実はここが気になったのでこの記事を書いている部分があるわけですが、キャラクターやストーリーを「モティーフ」にすることも、小説・創作には許されているのではないでしょうか。「このキャラクターを書きたい」「このストーリーを書きたい」という衝動を持ってしまった人にとっては、その役割は「それ以上」なのだと思います。

 他にもドックンドールさんの記事には、共感できる部分もあれば、相容れない部分もあります。でもまあ、同じ考えを持たなくてはいけないわけではないですしね。これも私見です。

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