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本文: 〉【第178期 作品感想/三倉 夕季さん】 〉 〉#10 幽霊と映画と手帳 〉・素直に文章通りに読むと随分とあっさりした読後感になり、手帳の辺り一連で何か引っ掛かる箇所が幾つか出て来る。その為、これは幽霊を幽霊だと捉え切れないなと感じ、ふと自分が直感的に考えた風に読んでみるとがらりと印象が変わった。作者が意図していない事かもしれないが、幽霊と作者自身がダブる感覚になったのだ。全体的なストーリーとしてもきちんと纏めてあるが、映画のくだり辺りから話の世界の中から読後である自分が浮遊していくような感覚に陥る。そして手帳のくだりを読んでいくと、話の中の“幽霊”と手帳を忘れていったであろう“高校生”の関係性が、“作者”と“読者”である自分と一致してしまうのだ。そうすると、違和感を感じていた終盤の文章に合点がいく。『もし手帳を開いたあなたにこの文章が読めたとしたら』の一節。ここで“あなた”と記した事によって、高校生に宛てたものから読者に宛てたものへとからりと変貌するのだ。そしてその後の文章を読むと、作者自身が読者に向かって話しかけているように感じる。だからこそ『付属のペンで「こんにちは」と試しに書いてみました』なのかなと。その一言により引き寄せられるように冒頭に戻され、はっとする。まるで作者がこのお話自体を手帳に記して読者へ向けて描いてるように思えたのだ。その一連を辿った後、今一度目に付いたタイトルが訴え掛けるように熱を持つ。幽霊でも映画でも手帳でも、その通じ合える瞬間や時間こそが大切だと訴え掛けられているように感じた。加えて作者から読者へ、この作品を通じて同じ時間を共有出来ましたか?という問い掛けを感じたので、この感想が返事になっていたらと勝手ながらに思う。最後の一文の言い回しが少し勿体無く感じるが、とても読後の余韻を味わえる作品だった。タイトルと掛け合わせて全体で表現していると思った理由は以上である。裏タイトル『あなたとわたし』でも良さそうと思える位の纏め方。有意義な時間を貰い、見当違いやもしれないけれど、作者と繋がれるような心地にして貰える素敵な作品だと思う。 〉 〉⇒この作品に出てくる幽霊というのは、「孤独」を象徴している存在であり、この作品はその孤独の中でのもがきや葛藤が、手帳に記された文章として記録されているという作りになっていると思います。人間は、基本的には孤独な存在で(そうじゃない可能性もありますが)、放っておくとこの作品に出てくる幽霊のように世界から隔絶されたような状態に陥ってしまう気がしますし、実際にそういう人も多いのかもしれません。庭の手入れを放っておくと雑草が生え放題になったり、物を捨てられないとゴミ屋敷になったりするのと似てて、人間はコミュニケーションや人間関係の維持を怠ると孤独に陥ってしまうんじゃないかと思います。しかしそのような状態に陥ってもなお、誰かと通じ合いたい気持ちをどこかに持っているのもまた人間であり、そのひそかな気持ちこそ孤独に対する救いがあるんじゃないかという気がします。 〉 私自身、なぜ小説なんかを書いているのかというと、「もし手帳を開いたあなたにこの文章が読めたとしたら(もし通じ合うことができたら)」という、幽霊が抱いている希望や救いと同じような気持ちがあるからだと思うので、作者から読者へのメッセージになっているという指摘は、きっとそうなのだと思います。そして、1000文字の文章を読む2、3分の間だけでも時間が共有できたとしたら、それは作者にとっても、そしておそらく読者にとっても幸せなことでしょう。
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