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本文: 〉#1 リストカッターの少年 〉 〉少年が自殺しようとした動機が弱いというか、リアリティがない。「あなたがいなければもっと楽なのに」とか「お前、一回死ね」という両親の言葉にリアリティがないし、取って付けたような感じがしてしまう。 〉そして後半に出てくる「光の階段」も、いわゆる「三途の川」を少しアレンジしただけという印象。 〉最後に、正気に戻った主人公を心配して両親が涙を流す、という展開自体は悪くないと思うが、そもそも自殺の動機にリアリティがないので、最後の展開にもあまり重みを感じない。 〉 〉 〉#2 W.W. 〉 〉記号化の極みのようなものを表現したかったのだろうか。前半は割と内容がつかみやすいが、後半になると「私の名前」が氾濫して、何がなにやら分からないような感じになる。記号化の極みのようなものを表現するために、あえてそうしたのだろうし、そのアイデアは面白いのだが、やはり作品としての完成度がいまいちだと思う。 〉あと、自分と同じ名前をもつもう一人の自分という、存在の不安定さのようなものを提示している点は面白いと思ったが、記号化の追求により、そのテーマが破綻してしまったような印象を受ける。 〉 〉 〉#3 緊急事態と私 〉 〉十代の頃の、ままならないことに対する苛立ちのようなものを表現したかったのだろうか。感覚的な表現が多いのは十代っぽさを出すための工夫だと思うが、少しわざとらしい気もする。もっと普通の表現(普通が何を指すのかは人それぞれかもしれないが、自分なりの普通)のほうが自然に見えるし、伝わると思うが。 〉 〉 〉#4 性癖 〉 〉最後の方に出てくる「女の裸体が写っている」がポイントなのか。あと、やたらと「〜液」という言葉が出てくるので、それが性的なものをイメージさせているということなのだろうか。いずれにしても、読者に解釈を委ね過ぎだと思う。 〉 〉 〉#5 ニンゲンという暮らし方 〉 〉「皮」を脱いだり、その皮を存続させるための「珠」を大事にしたりという発想がとても独特で面白い。「皮」はつくろった自分で、「珠」は自分をつくろうための理性や常識、あるいは脅迫観念のようなものだろうか。 〉ただ、物語全体に流れているのは、世間や自分に対するあきらめのような感情であり、そのあきらめの中に安住しながら世間を皮肉っているてだけのようにも見える。葛藤がない。最後の「生きている」もなんだか空虚だ。 〉 〉 〉#6 本音誘発剤 〉 〉主人公の母親が父親(夫)を殺すという展開が急すぎて違和感がある。ギャップや意外性を表現したかったのだと思うが、それをやるのであれば、ギャップをある程度納得させるための何らかの仕込みが必要なのではないか。 〉 〉 〉#7 ガレのある料理店 〉 〉(予選の感想と同じです) 〉人肉を食うという残酷な話ではあるが、その残酷さを記号として(痛みを伴わないものとして)処理することなく(記号化が悪いわけではないが)、どこまでも残酷に描こうとしている点が素晴らしいと思う。 〉ただ、昔からよくあるような文学っぽい雰囲気が漂っていて、それが少しひっかかるが。 〉 〉 〉#8 宴のアト 〉 〉(予選の感想と同じです) 〉前作に出てきた「姐さん」側の話ということか。 〉今作もやはり「臭い」がキーワードになっていて、それをめぐる話になっている。「臭い」というのはとても現実感があって、それを表現するためには必然的に現実を表現しなければならなくなる。この作品は、とりたてて「現実」を表現しようとしているわけではないと思うが、言葉の間からじわじわと染み出してくる現実感のようなものがあるような気がする。そしてその現実感が、洗濯されたカーテンのようにとても心地よく感じられるという魅力がある。 〉 〉 〉#9 1992年の伊勢丹ロックウェル 〉 〉(予選の感想と同じです) 〉最後のダジャレのオチが少し分かりづらいし、弱い気もする。しかし、自分の中にカエルが棲んでいて、自分もたまにカエルになるという発想がとても独特で魅力がある。それに何よりも、全体的に力が抜けてていい。真面目に論評するのが恥ずかしくなる。ただ読んで楽しめばいい作品だと思う。
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