「リストカッターの少年」◆
可も不可もない。そう思わせるのはやはり、平凡な結果(涙に濡れた両親の顔)にあるのではないのであろうか。
構成もしっかりしているし、丁寧に書いてあるし、でも、はっとさせられるものは感じない作品、だから、可も不可もないとした。
でも、これ自殺じゃないんだよね。リストカットは自傷行為であって、自殺目的ではない。
「w.w.」▲●
ちょっと頭をひねらないと分からない書き方には、行きつ戻りつ読ませる効果が含まれている。この小説は内容よりも、読む際に発生する、どろどろした感覚が面白いと思う。
もちろん、最低限の構成は必要ではあるが「マッチ売り」という明快であっさりした記号や、伴侶と復讐という分かりやすい対比は軽やかでよい。
「緊急事態と私」▲
正直、どう評価しようか迷うところである。
作者特有の意味不明さと、ラフな書き方。悪い評価ではないが、何がいいのかを書くのが難しい。前にも書いたと思うが、読者への歩み寄りが少ないことが評価を妨げているとは思うが、今作、それはそれでいいとも感じられた作品である。
「性癖」
メモから男の性癖をにじませる、という意図はよく分かる。
ただ「女の裸体」だけでは性癖を感じ取ることはできなかったし、こういった小説的(箇条書きのような)ではないアブローチの仕方には、インパクトはあるが、最後はほとんど流し読み(読んでいてつまらない)をしてしまう効果もある。作品に存在する奥行きのようなものが書けていれば(この作品では心理や状況を読み解くことができない)もっと違った作品に生まれ変わったのではないのであろうか。
「ニンゲンという暮らし方」●
なかなか面白い作品に出会った。
前作「さよならの先」前々作「遠い過去に存在したはずの街について」は好きではなかったが、今作は(まとめ過ぎた感じはあるが)好きである。
では、何が好きなのであろう。作者固有の血の通わない書き方というのがあって、一種、アッケラカンとしている文体は感情移入を強制させないので、その分、逆に「ニンゲン」というモノを考えさせられる。と、いうようなことを書いてしまうと、ちょっと感動がズレてしまうがまあいい。
「本音誘発剤」◆
単調な前半から、父親の死、という後半部分。なぜ、父親は錠剤を飲まなければならなかったのか。父親もまた、少女と会話をしたかったのかも知れない。そう考えると、実際に対面で会話をさせて、本音の不条理さのようなものを出した方が、作品として、しっくりくると考えた。母親の「ヘンな薬」という言葉で終わらせるのはもったいない。伏線というのか、練った展開は必要であろう。前作もそうであったが、結の部分が唐突過ぎる。
だから「リストカッターの少年」と同じで、考えて書こうとしている姿勢は見えるが、中途半端で平凡な印象だけが残る。
「ガレのある料理店」
最初、松本の娘を入れていたのであるが、それはばっさり捨てて、失踪というワードを追加した。
「宴のアト」
はっとした。やられた。というのが第一印象。
前作からの連作で、この先もまだ続くのであろう。そう考えると前作の不完全さにも意味があるし、次作も気になってくる。
ただし、今作は繋ぎの要素(中だるみ)が強く、単体で読んだ場合、読みづらく、物足りなさを感じる部分もある。やはり、作品が完結して、そこでどうなのか、ということに重きをおきたい。次作以降に期待しよう。
「1992年の伊勢丹とロックウェル」▲●
言葉遊びでしょう。「w.w.」や「緊急事態と私」も言葉遊びの部類だと思うのですが、共通するのは人間を書いているとか、世界観があるとか、そんなことでは一切なくて、作品に流れるリズムやスピードで、それを許容できる体力が読者にあれば好まれる作品になると思います。ちゃんと書こうとしていない姿勢(手を抜くという意味ではなくて、構成よりも感覚を主体とした書き方)がいい。
「幽霊と映画と手帳」◆
ちゃんと書こうとしている作品って、どうもまとまり過ぎていて、何となく収まっているな、小さくなっているな、という印象が残ります。
今回でいうと、作品の出来不出来は別として「幽霊と映画と手帳」と「リストカッターの少年」と「本音誘発剤」がそれに当たると思っています。
幽霊という面白い題材であるだけに、まとめ過ぎ感がどうも気になってしまう。作者が見せる宇宙観や、その他諸々、1000文字以上に広がる世界観が今回は欠けていて、うーん。