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「刹那」と「せつない」の語源の違いについては、そういえば忘れておりました。違うというご指摘のとおりですね。
 仏教における「刹那」の考え方は、それの定める時間を決める派と、定量的に表すものではないとする派とで分かれるようです。私はどちらかといえば後者に賛成です。

 ところで刹那とせつないとは、語源が違うからといって両者を完全に分離し得ないような気がしています。せつないという感情は「刹那に生じ消えさる」そういう性質を持っているのではないでしょうか。せつないが昂じればかなしいになり、せつないが去ればまた異なる感情が生まれる。「五粒の涙」ですね。
 一瞬に生まれ、消え去るもの、その儚いものを捉えようと心が揺さぶられる。刹那に生まれ、去る感情。この心の動きとせつないという気持ちとは、完全なイコールではないのですが、どこか似ている。これが「刹那」と「せつない」という二つの言葉に強い縁を感じる理由です。
 より仏教に近い言葉にしてみると、悟りを得る過程で、己の業に気づきはらりと涙する心、というところになるのでしょうか。専門ではないのでわかりません。あくまでアナロジーです。

 黒田さんの作品で言えば、「擬装☆少女 千字一時物語9」に出てきたかわいらしいネグリジェを着る少年の、その袖を通し肌を包む至福の時間。その時主人公が感じているものが、「せつない」という感覚だったのではないかと思います。肉体的に男性であるという自分を意識しながら、女性の服を身に纏うことで、自らの存在を確かめ、安らぎを得る。矛盾であるという感覚を抱えながら、ありのままに生きようとする少年。あの一瞬には、少年のすべてがあったのではないでしょうか。
 すると黒田さんは一度、刹那をその筆の上にのせて文字にしたことがある。しかもそのことで短編読者の共感を得てさえいる。そうとも言えるのかと思います。

 このようにして、ことばは意味を少しずつ転じてゆくのかも知れませんね。あるいは自分が知らないだけで、既に同じ思想がより洗練された表現で語られているという可能性もあります。どなたかご存知であれば、ぜひ教えてください。

蛇足ながら。

>> 本物しか愛せない男が愛していたのは文書化された規則であった。

 これは、ジョー淀川が「本物しか愛せない男」と書かれていたから、編集部のみんなも等しく愛していない峰よしお最高Tシャツを愛せないというだけなんだろうか、ハンニャさんのことだからキャラの設定を生かす仕掛けがもっとあるんじゃないか、と思って読んだためです。読み返してみると、切羽詰って取り出しただけという風ですね。ジョー淀川は単に、峰よしお最高Tシャツの持つ何かが許せないということなのでしょう。

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