推敲の跡が見受けられないとのお言葉、厳しく受け止めさせていただきます。
と言えれば格好良いのですが。
さてところでなのですが、この「推敲の跡」に興味があります。一発書きのものでも幾度となく修正を加えたものでも、作品として展示されたものにはそのことは明示されず、結果としての作品だけがそこに存在することになります。推敲の跡とは、修正を加えたことが目に見えてわかる表れであり、綻びに似たようなものであるように思えます。真に良作であるためにはそれを見せないことが必要であり、それが見えるということはどのようなことなのだろうかと、興味深く思いました。
とは言ったものの本当に推敲していなかった、黒田皐月なのです。
今期はいろいろと発言してしまっておりますので、そんな調子で余計なことまで申し上げますと、長月氏の感想で私が楽しみにしていることは、わたなべ氏の作品の感想です。
何しろ二人の感性はかなり異なり、それは相容れないもの。実は感想を見るまでもなく作風からしてそうなのですが、その表れ具合がなかなかに興味深い。
それを私は、わたなべ氏寄りで見ています。何しろ『リンゴを選ぶとき』が大好きと断言するような者ですから。
皆様のお気に入りの作品も聞いてみたいなと思う、黒田皐月でした。