皆さんの意見大変興味深く拝見させていただきました。
タンソさんのような意見がひょっこり出てくるとは、短編も裾野が広がったなあとしみじみしました。(大きなことを言っているようで恐縮ですが、私も初期からいたわけではありませんけども)
さてタンソさん、「高校文芸部の部誌なんて、ただでさえ読んでくれる人は少ないのだから、その少ない読者を逃がさないためにも、私は万人受けする、誰もがわかる作品の提供に腐心しなければいけない」とご自身書いておられるからには、高校生でいらっしゃる。大変うらやましいですね。若いということはそれだけで財産です。何にでもなれるし、何でも出来る。是非、その若さを生かしてがんばっていただきたい。
それはさておきこの文章、いささか矛盾しているように思えるのです。なぜなら、私が高校生だった時に、文芸部の部誌を手にとったこと等一度も無いという事です。多くの人はそうでしょう。ですから、文芸部の部誌を買うタイプの人の中で、より多くの読者を求めたい、とすなわちそうなりますね。それが万人受けなのか?これに矛盾を感じるわけです。
それからこの「万人受け」ですが、どういう作品が万人受けと定義されるでしょうか。仮に、単純に世間で売れている作品としましょう。今売れるのはどういうタイプか。携帯小説ですね。携帯の恋愛小説。これは今、すごく売れています。売れているからと言っても、私はあまり手にとってみたいタイプではないんですね。どういう小説かはご一読いただくとして、それを書きたいかと私が問われれば答えはノーです。
ではもっと裾野を広げましょう。宮部みゆきなどは一般的かもしれません。よく取材され、練り上げられた作品ばかりでそれはそれですばらしいと思います。私にそこまでの技量があったとしてこういう作品を書きたいかと問われればこれもまたノーです。あまりにも人間がパターン化し過ぎる傾向にあるからです。例えば「模倣犯」。犯人がステレオタイプ過ぎる。しかし、そこは宮部さんの技量、読者が犯人を憎めるように話を導いていきます。読者は犯人に憤り、被害者に涙するでしょう。そういうラインが見え過ぎる。もちろんエンターテイメントとしてはすごく面白い。しかし忘れてしまう。何日かたてば、あれはどんな話だったかなあと思ってしまうんですね。確かにテーマなどは受け取りやすい。宮部さんの書きたいことが透けて見えます。メッセージ性が強いといったとこでしょうか。
で、まとめ。もっと自由に何でも書いてみたらいいのではないかと思います。時間はいっぱいあります、少なくとも私よりは。昨今の芥川賞が万人受けとは言いがたいし、受けるものを狙い続けなくても良いのではないかと思うのです。「鍛錬投稿室」だけでウケルものを書いていても前へは進めないと思います。プロを目指すなら(もちろん目指して欲しいですが)「短編」にも出品されたらいかがでしょう。良い読者です。「鍛錬投稿室」よりは、参加者の年齢が高めかも知れませんが。小学館の携帯小説大賞もあります(字数は500から1000)。もちろん傾向はありますから(私なんぞは傾向にあわすなんてとても出来そうもないですが)プロを目指すなら傾向に添った作品を書いてみても面白いかもしれません。物書きなら、視野は広く持っていたほうが得ですよ。
無駄に長くなりましたが、これで終いとさせて頂きます。どうにもうまく話をサゲられないようで。