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第八弾。ここでおしまいです。長々とご迷惑をおかけしました。


22 部活動生22 壱倉柊さん 1000

 夢は時おりこんな風に時間を狂わせて現れることがある。というか私はそういう夢をよく見る。予知夢らしい夢も見るのだが、実はこのお話とは真逆で、見ているときは今の自分の感覚なものだから、それと気づかないことの方が多い。例えば小学生の頃、足も届かないような異常に車輪の大きい自転車で、いつも遊びに行くのと逆方向に疾走するというおっかない夢を見たのだが、数年後高校になったら、二十六インチのロードレースタイプの自転車で、夢で見た方向に通学することになった。もちろん足は届いた。役に立たない夢であるが、気づいていたら勉強も手を抜いたであろうから、気づかないくらいで良かったのだろう。
 読んでいて、知ってるような知らないような感覚だと思ったのは、こういう真逆の夢を見ることに原因があるのだと思う。壱倉柊さんがこの夢で何を語ろうとしたのかはよくわからなかった。実際見た夢を見たとおり語っておられるのかも知れない。日常の忙しさには忘れられてしまう、居場所を知覚する感覚が夢にはふっと出てくる、そういうことなのかも知れない。
 目覚めた後の速度が素敵。


23 くろぐろとうろこを るるるぶ☆どっぐちゃんさん 1000

> 川だった川べりを男が歩いている。

 この人の言葉のセンスはとてもまねできるものではないし、たとえそれっぽいものができたとしてもそれは悪しき亜流でしかない。と思う。別なサイトでこの方による詩を拝読することができるが、「言葉によるコラージュ」によって詩と小説と、あるいは絵画との境界を取り払ってしまっているように見えて、こんな風に概念から吹き飛ばす力が自分でも欲しいと思うのだけれど、実はご本人はそのへんきっちり分けて書いておられるのかも知れず、そのあたりも凡人には計り知れぬところである。こういう突き抜けたオリジナリティが自分に備わっていたらいいなあと羨ましい限りである。いいなあ。分けてくれないかなあ。
 最近はこの方の作品を読む時に、つながりとか意味とかを一切無視して読むようにしている。とてもじゃないけど掴みきれないから、せめて雰囲気だけでも匂って、何か見つけようという魂胆なのであるが、これも成功していない。
 しかし作中で見られる感動についての識見はともかく、るるるぶ☆さんの配置する言葉に涙を誘われたことは何度となく、ある。

> 鈴の音で、鈴の男の踊りを、トーマが踊る。
> 心臓を沢山ぶら下げて。
> 心臓には沢山の絵が描いてあった。どこかへ行けそうな、羽のような絵。

 萩尾望都の「トーマの心臓」と、たなか亜希夫の「軍鶏」に出てくる元ダンサーの高原トーマと、どっちで読んだらいいんだろうかとか思った。いずれもマンガ。

 そんなわけで、コラージュみたいな断片感想。陳謝。


24 線的虚構の解体(おためし版) 曠野反次郎さん 1000

 自分が私小説やメタ小説になじみが無いだけかもしれないけれど、こういう曠野さん作品の場合、虚実どっちでも楽しいというか、あまり区別しないで読んでしまっている。今回もどのへんに虚実の境目があるのかよくわからない。けど楽しい。だからディレンマもない。こういう読者がいるからメタ・メタ書かないといかんのだろうか。
 これを完全に現実として読むと、前回の作品について自分で解説をする、つまり種明かしであるから、古来作家はこういう欲求に逆らって作品で勝負をするので、これは芸人がギャグの解説をしてしまう事態に近い。しかし「線的虚構の解体(おためし版)」は作品として提出されているし、位置づけがメタメタで、ネタ。だからどのへんまでメタでどこからネタかはわからない。ランダムに幾つも掛けられた御簾の奥でにんまり笑う曠野さんが見えるような見えないような。

 そんなわけで、るるるぶ☆どっくちゃん先生に続いて、次々回は文学に造詣の深い海坂他入先生の登場です。お楽しみに!

 いや、嘘です。ごめんなさい。

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