タンソさんの真摯な<結論>を読ませてもらいました。
〉高校文芸部の部誌なんて、ただでさえ読んでくれる人は少ないのだから、その少ない読者を逃がさないためにも、私は万人受けする、誰もがわかる作品の提供に腐心しなければいけない、と。
なるほど、タンソさんが「テーマ」にこだわられた理由、その背景がわかるとタンソさんの書いている「オチ」「スピード」「意外性」の議論も納得がいくというものです。自分はあくまでも「万人受け」へのこだわりがありませんが、タンソさんの挙げられた項目も小説を書く上では大事な要素ではあると思います。金子みすずじゃありませんが、「みんなちがってみんないい」と思います、どうぞご自身の信念のもとがんばってください。活躍をお祈りしています。
〉私の派閥は、万人受けという武器を使ってプロを目指す、あるいは本当にプロになった人もいるところです。
サイト「短編」を毎月読んでいて思う個人的な感想を述べますと、このサイトは「ひょっとしたらおおばけするんじゃない?」という人を生み出す力があるところだと思います。まず、ここの管理人が突出した個性をもっています、某サイトとはちがって運営資金やら参加費を要求しない。あくまでも趣味でやられている。しかし、はたして趣味で4年も5年もやれるでしょうか? 時間や労務を惜しまずにやられるその姿勢には昭和の凄腕編集者たちを思わせるものがある。北村さんは平成の直木三十五ではないか、という見方をしています。(誰か早く北村さんをみつけて援助しろ!)
次に、ここに投稿して優勝しても賞金もない、出版されるわけでもない、ハクがつくわけでもなく「漢字バーナー」がもらえるだけ、という点。ここがポイントだと私は思う。しゃれている。かっこいいじゃないか。
もちろん、投稿者の中には多かれ少なかれ「文豪になりたい」という野心を持っている方もおられると思うけれども、生活のために売文したり文壇政治に励むのは「もっと実力がついてからでいい」とある意味では割り切っておられるように思う。だからアラノさんやるるるぶさんのような、書きたいものを(千字といえども)書きつづけているのだと思うわけです。きっとバケますよ。
〉 時には、私の派閥にも目を向けてくれたらなと思います。
「派閥」など関係なしに投稿されればいいと思います。「多数のなかの一人か二人のために」といった明治の文士がおりましたが、まあ生活のために売れたほうがいいけれども、なんとか生きることさえできるのならば利用できるものは利用して、書きたいものを書いて、自分を認めさせる、という方法だってありなんじゃないでしょうか。「派閥」では万人受けをめざし、こっちでは書きたいものを書けばいいんじゃないでしょうか。もちろん押し付けるつもりはありません。
前の書き込みでタンソさんに対していくぶん侮蔑的な書き込みをしたことお詫びします。失礼します。