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タンソさん、はじめまして。

〉 プロの作家の一般的な形で慣れ親しんできた私にとっては、
〉プロを目指している方々がいないのであれば、オチ云々は確かに野暮です。
〉プロを目指さないのであれば。

・・・・・・とありますが、ちなみにタンソさんの書かれる「プロ」って具体的に名前を挙げれば誰のことですか? 興味があるので教えてください。「テーマに気づかすことが出来ない作品は小説ではありません」とありますが、読者って小学生からお年寄りまで、労働者から大学教師まで、いろんな立場な人がいると思うのですが、その全員が「すばらしい!」というような本ってあるんでしょうか? あるなら教えてほしい。

あるいは小説でメシを食っているというのがタンソさんの「プロ」の定義ですか? だとしたら、その「プロたち」の小説をタンソさんは理解できてます? そうですね・・・・・・イギリスのすばらしい「プロ」にチェスタトンという人がいますが、タンソさんは彼の「木曜の男」なんて理解できるでしょうか?

〉テーマがない作品、テーマに気づかすことが出来ない作品は小説ではありません。ただの文章の羅列です。

しかし、たとえ現段階でタンソさんが「木曜の男」のすばらしさを理解できなかったとしても(勝手ながらそう過程して)、それはタンソさんにとっては文章の羅列であるかもしれなくとも、ある人々にとっては小説です。「木曜の男」はたまたま思い浮かんだだけで、そうですね・・・・・・デュラスの小説とかでもいいです。

〉 自分に意味が分からないから、それはすばらしいんだという短絡的思考はなしです。相対性理論は本当にすばらしいですか? そう思い込んでいるだけではありませんか? 

たしかに意味がわからないからすばらしい、というのは短絡的だと思うけども、それ以上に「今の自分には完全に理解できないけれども、もう少し読解力がついたらわかるかもしれない。もうちょっと気長によんでみよう」という姿勢のほうをおすすめします。理解できないからクズだ、と書かれるほうがまさに短絡的じゃない?

<「美しい」とか「綺麗だ」という感想は、小説に向けられたものではありません。>

とも書かれていますが、それも「短絡的」でしょう。あの厳格な「クラシック音楽」の世界でも現代ではピアノを弾かずにピアノの弦をひっぱったりするような音楽があるんですよ? どうして小説が「美しく綺麗で」あることを目指してはだめなのか、わかりません。

でもタンソさんの意見は個人的に興味深く拝読しました。芥川龍之介と菊池寛という正反対の小説家の友人の間で「小説とはこういうものだ!」と吠えている小島政二郎という文士を連想します。「眼中の人」という本ですが、彼も「プロ」です。よかったらお読みください。

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