まさか読み方を否定することなどできるはずもありますまいと、そう思うのです。
それで最初に、点数付け。実はこれもまた読み方のひとつであり、読者の努力の表れだと、そう思うのです。芸術は単一軸上に並べることはできないと多くの人は言いますが、私もそう思うのですが、これを表現するに当たりその表現をわかりやすくするために単一軸上に並べることを試みる、それは受け手の努力ではないかと、そう思うのです。いえ、比較的高い点数をいただいたから擁護するのではありませんよ。
そして次に、『暑寒』と似たような思考経由。この読み方に置いてけぼりを食らったような気がする黒田皐月は、恐らくチキン氏は、あるいは無意識下に、二段階の読みをしているように思うのです。一段目は通常どおり描いてあることをなぞる読み方。そして二段目がそこから飛躍して背後にいるものを特定しようとする読み方。チキン氏の書く感想は、その二段目だけが表れているものが散見されるのではないかと思うのです。そうすると私などは一緒に飛べないから置いてけぼりになる。一段目から書いてもらえると受け取りやすくなるのではないかと、そう思うのです。いえ、読めなかったから当たっているつもりはありませんよ。
何かこのあたりで誰かが一言言わなければ、局所的に良くないことが起きそうな気がしたもので、それで書かせていただきました。
なお、余計なことですが、
〉 これは私のミスですね。略さずメタファーと書けばよかったんです。
が本当のミスだったのではないかと、申し上げておきます。
〉 というか、寓喩と書いた方がよかったかもしれません。
○○に入るのは、略した部分ではないと思うのです。「メタ小説」など、そういう使い方。
ひとつひとつの感想にそれぞれお礼を申し上げるのも何やら上手くないかなと、それが面倒になって思った、そんな黒田皐月でした。「それ」が多いなこの文もまた。