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本文: 〉第六弾です。今回はおまけつき。 〉 〉 〉16 僕と猫 たけやん 490 〉 〉 たけやんさんの作品はかなり好き。字数的に物足りなさを感じるのだが、かといってどこに何を付け加えても自分は作品を壊してしまう感じがする。「短編」では川野さんの作品にも通じるのだけれど、1000字より少ない字数で独特の世界をきっちり描いてくれるので、楽しみな作家さんである。 〉 〉> 代わりに、金魚の万年筆で今これを書いている。 〉 〉 一番やられたのがこのラストの一文であったというのが、この作品の掌編としての質を物語っている気がする。いわゆる物語としてのオチらしいオチではないけれど、安心する猫、ふわふわゆれる金魚の万年筆、というゆるやかな創作風景がこの一瞬でふわっと広がるようで、嬉しかった。 〉 〉 〉17 松の木のおじさん bear's Son 1000 〉 〉> 田舎の小学生三人の内一人が少し離れた県道沿いに池を見つけた。 〉 〉 という一文で始まるのだが、これは一体誰の視点だろう、という違和感を与えられた導入であった。小学生三人。統計的だ。この後も同じ表現が続く。三人の内二人は王子池で釣糸を垂らしていた。おじさんが一人来た。二人でおじさんとゆれる木を見ていた。違和感の原因はきっと人称の使い方にあって、最初に人数を書くと不特定多数から抽出して登場させたようで、登場しない予備軍との取替可能であるような雰囲気を与える。独特だ。自分は意識して使ったことがないので使ってみようかと思うけれど、読み手に距離を感じさせてしまうので、使いどころが難しい。 〉 物語はかわいらしくて、小学生とおじさんのギャップとか、気遣いとかがそのままストレートに描かれている。体を痛めて糸を取ろうとしてくれたおじさんに対して、「弟子にしてください」と叫ぶちょっと残酷な王子も、小学生らしいと思う。 〉 〉 〉 〉 以下、練習。 〉 〉 おじさん一人が戻ってきたのは、戻ってきたから先のおじさん一人と同一人物であって、別なおじさん一人ではない。そのおじさん一人は、小学生二人が自分に気を遣って、取れてもいない糸を取れたと言ったのではないかと思った。おじさん一人には、行動した責任として、小学生二人が無事に魚釣りに復帰して、ある夏休みの一日を楽しく過ごすことができているか見守る義務があった。しかしおじさん一人は、さっき松の樹から落ちるという子どもっぽい失敗をしてしまったため多少気恥ずかしくもあり、口笛を吹きながらさりげなく通りかかった。そのメロディーは「十人のインディアン」であったかも知れない。今はインディアンではなくネイティブアメリカンと呼称するようだが、この歌の歌詞まで変わってしまったのだろうか。それとも「ちびくろサンボ」のように存在自体抹消され、誰も歌わないのだろうか。しかしそういうことはおじさん一人には関係ない。おじさん一人の関心は、先の小学生二人が今も楽しく遊んでいるかどうかに向けられている。おじさん一人は口笛を吹きながら通りかかる。One little, two little, three little…現場では小学生一人が増えていて、小学生二人は小学生三人になっていた。増えた小学生一人は小学生不特定多数からの無作為抽出された小学生一人ではなく、彼らの呼称するところの「王子池」の名付け親である小学生一人であるわけだが、おじさん一人にはそれはわからないし、池が彼らによって王子池と呼ばれていることすら知らない。小学生一人が増えているとそう思っただけである。おじさん一人はそ知らぬ顔で現場を通り過ぎ、角を曲がる。すると小学生三人の内の小学生一人、多分さっきはいなかったもう一人の小学生一人が「弟子にしてください」と大声で叫んでいる。おじさん一人は、自分に向けられた言葉であるかどうか判断に迷い、それに応えないが、もれ聞こえる笑い声から、先の小学生二人が、もう一人の小学生一人を加えて、楽しく遊んでいるのだと考え、一安心して去ってゆくのだ。 〉 〉 〉…覆面トーク? 〉 〉 小学校の算数で、「バスに何人乗って、何人降りて、今何人残っていますか」みたいなのがあったけど、そんなイメージ。斬新だけど、やはり難しいか。 〉 〉 〉 〉 〉18 きれいな円が描きたい 三浦さん 992 〉 〉 一揆の首謀者を探すために書かされる円と、真円すなわち深遠を単の世界に描く行為との意味づけを探してしまった。どのような円を描いたものが殺され、また、生かされたのだろうか。描き慣れた者を智恵ある者と見做し処刑したのであろうか。そう言えば一揆に参加し生死を共にすることを誓い、署名する際、唐傘連判状というやり方で、円形に名前を書き並べて首謀者をわからなくさせた(普通に並べると端の人が首謀者になることが多い)という。社会科の資料集で写真を見たことがある。 〉 過去の恩讐を乗り越えて、唯、円を描くことに己を見出すという感覚は、肉体的・心理的なものを超えて霊的な(幽霊の意味でなく、今様の言葉でスピリチュアルな)世界を観ずることができなければ、生まれてこないものであろう。深い。
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