> 海坂さま
「テクストそれ自体の示す方向性」は、書き手よりも読み手、批評する人々(作品に意味づけをしていく人々)が示していくものだろうと考えています。書き手はどんなにがんばっても限界があります。それは本作についての海坂さまのご感想からも明らかなように。
ですから、読み手の中に「国歌・国旗の占める比重はやはり大きいと言わざるを得」ないとおっしゃる方がおられるのであれば、それはそれで書き手としては手の出しようのないところです。
せいぜい、書き手にはそんな意図はないけれどもそう読まれてしまうだろうことも覚悟した上で書きたいことを千字で書いたらそうなってしまった、とぶつぶつ言うくらいが関の山であります。
これは海坂さまの文章に対する私の感想ですが、国歌斉唱と「世界を輝かしいものに」という表現に、ある特定のつながりを読んでしまうことこそ恐ろしいと思います。敏感な方がいらっしゃるだろうと想像しながら、本当にいらっしゃることに、改めて驚いています。
> どうしてこの子たちは日の丸君が代をこんなに意識するのかなあ
という部分は少し首を傾げました。
そんなに意識しているように書いていないと思います。逆に無意識でしょう。この「国」について教育を受けているわけでもないのに無意識に、自然な範囲の愛国心というか、日本人としての自覚というか、そういうものを抱いているらしいことを「教員」は新鮮に感じたのでしょう。
余談ですが三島の政治色は独特ですね。政治結社をつくるほどですから。対比したりしたら三島に怒鳴られそうです。
海坂さまの中では、彼らの夢と国家とが、同程度の虚構なのですね。
「世界に行く」というのは子どもの表現ですから幼いものです。まさかワールドカップに出場することはできないでしょう。しかしさまざまな国の人と、彼らの望む手段で(バレーなり手紙なり何でも)自由に交流できる世の中にしておく義務が、大人にはあると「教員」は考えています。
子どもには、大人の想像を超える夢があるのだと思います。「教員」はその夢を実現する努力をしたいと思っているだけです。