浜口の後継を決めるというときに、重臣の西園寺公望は、民政党以外に政権は渡せない、とまず考えていたそうです。こういう時に反対党に政権を渡してしまうと、前例となって、暗殺や狙撃が絶えなくなると危ぶんだからです。彼が若槻を奏請した一つの理由がそれで、いきなり政友会の犬養毅には行かなかった。 なるほどな、と思っていたものですから、主題とはあまり関係ないだろうと思いつつ、つい余計なことを言いました。失礼。