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本文: 〉 今回は時間を考えて読んだ。 〉 過去から現在までの登場人物の時間の流れを感じて、例えば、数分程度の時間の描写から、数十年の年月を語ったものまで。分かったのは、時間をかけたから作品が深くなるものでもないということだった。 〉 現実のこの世界に時間はあるのか、時間とは何か、といった問いはある。でも実際、我々は時間というものを感じて生きている。これは事実である。ということは時間のない小説などあり得ないことになる。時間のある世界で時間のない小説が書ければ、それはたぶんすごいことであるが、頭で想像することさえ私にはできない。 〉 〉「煮る」 〉 くどいなぁと思いはじめた矢先に読み終えた。 〉 原因があっての行動のようだから意味はあるようだ。意味があるからいいというものでもないが、何かを捨てて逃げ出そうとしているのにスピードや焦燥は感じられない。眠れない夜のまったくの暇つぶしのようだ。だから、それをどう評価しようかを迷う。 〉 〉「画像の喪失」 〉 症状は面白いというか、実際、画像を思い浮かべるとはどういった状態なのか。生きている人間の顔を見て、その人はその人だとの認識をして、その人が死んで一週間はその人の顔を思い浮かべる自信はあるが、一ヶ月先には自信はない。ましてや、一年ともなるとその人の顔を思い浮かべることなど不可能とさえ思えてくる。それでも人間は記録ではない、記憶という曖昧模糊な顔を作りだす。だから、遺影を見ることでその人の記録を維持しているのだとも言える。 〉 全然別の経験で私は一度、肩こりを実感したことがあった。あぁこれが肩こりなのかと実感(私はそれまで肩がこったという経験がなかった)したが、それが、一般的な肩こりなのかを検証する手段は私にはなかった。 〉 後半部分、男が登場してから少し先の展開が欲しかった。 〉 〉「半畳一間の礼拝堂」 〉 意味のなさはいい感じではあるが、そこから醸し出される面白みは感じられない。と思って次の日、読み返して兄の変態・異常っぷりが見えてきて、だからといってそれはスプリットやタトゥーでは解消できないことも分かった。この解釈が正しいのかどうか不安ではあるが。 〉 それにしてもこの金は汚いのであろうか。そのことをラムネを飲みながら考えてみたが、どうも汚いという結論はでなかった。 〉 遠くで蝉が鳴き、空中をふわりふわりステップするかのように、石を詰めた革袋を担がされるかのように訪れる意味のなさは極上である気さえしてきた。 〉 〉「銀座・仁坐・倫坐」 〉 〉「講演会(後編)」 〉 〉「ババーキッチュ」 〉 最初の作品の印象が良過ぎて、その後の評価がどうも辛くなってしまう。 〉 作者の実年齢は分からないので推察ではあるが、どうも介護を描くには年齢が若過ぎる印象を読んでいて持った。 〉 どこにどう違和感があるのだろう。白髪頭で歳を表そうとしている浅はかさなのか。それとも若過ぎる老老介護なのか。18歳から2年の活動で20歳、そこから50年で70歳。このはなし、何となく夫は年下であると思ったので68歳とした。国連では60歳以上、WHOでは65歳以上を高齢者として定めているので、年齢的には範疇にある。握手会があるところは現代のアイドル像に近い。昔見たエイリアンの映画をあの「エイリアン」だとすると公開は1979年。これも現代から見た昔で問題ない。全部なくなった歯を70歳に当てはめる、これには無理がありそうだ。と、こんなことをいくら考えても評価と関係ないのでやめる。 〉 〉「サロメの白昼夢」 〉 最初の数行の茶番劇は、つまらない小説のパターンであると悟らせるに十分であった。対話があって、殺した方法をあげて、殺した理由を持ってくる。そして、それが夢で、芝居と対比させる。読めば読むほど評価が下がっていく。 〉〜〜ただ考えずにはいられない。私と彼女の望みは、果たして何だったのか。〜〜 〉 どう言ったらいいのか正確な名称は知らないが、ここで、言葉の逆転現象が起きている。ここから作品に深みが生まれている。ストーリーとは直接関係なく、私の感じた個人的な言葉遣いの妙なのでこれを評価するかは迷う。 〉 主人公は実際にしゃれこうべを持っているようであるが、それは彼ではなく、レッドスカルなのであろうかと思って締めくくる。 〉 〉「虎」 〉 一休さんのことを考える。 〉 〉「存続の条件」 〉 アンパンマンは死なない。と思い、辞書の断片のような文体があり、菌や細胞が増殖する様を想像する。ライフという言葉は独特の違和感をはらんでいる。私はライフという言葉を低評価とした。 〉 わたしであり、わたしでないといったものには主体性がなく、その主体性のなさがここでは存続を助けている。存続できるものは強者ではなく、適応できものであり、地に足のつかない状態でふわふわと漂い続けられるものである。最初、高田純次かと思ったが、どうやら所ジョージが正解のようである。それを考えると高評価に値するのかもしれない。亡くなった永六輔も随分といい加減であったようだ。 〉 〉「そのあと、どうするのか?」 〉 〉「忖度な一杯」 〉 どうも読めない言葉が私を解放してくれない。 〉 〉「仕事」 〉 隠されたテーマを想像すると食傷気味になる。
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