どうも、こんばんわ。
これを書かれた方はおそらく―さんで、その実体は!というのはさておき、無記名なのでそのままタイトルにさせて頂きました。
>犬に対して洗濯ばさみに神経を尖らせる、という夫は、性格が細かい、では説明が付かない気がする。赤ん坊ならばわかるが、犬ではね。しかし、そういうこともあるかもしれない。しかし、もっと説得力のある他のエピソードにした方がいいと思う。
そういう風に感じていただくと作者としてはありがたいのです。なぜなら、主人公に共感してもらわなくてはならない最初のポイントなのです。説得力のあることを夫が言っていたとしたら、「なんだか自分の至らぬ点を指摘されて反省するどころか逆切れしている妻」になってしまい、物語としては面白そうですが、今回はそういうものを書こうと思ってなかったので、エピソードとして「赤ん坊でもあるまいし」的な感じを抱かせるように作りました。まあでも、犬でも危ないですよ。噛み砕いてしまうので。うっかり飲んだら危険です。うちの犬くらいでかかったらさほど問題はなさそうですが、設定上チワワか、ポメラニアンあたりなので(森さんご指摘のパグはもう少し重いかも)注意するにこしたことはありません。
>不意にあらわれる、プレゼント。血にまみれた手は拭われ、犬の待遇は戻り、内蔵はピニール袋へ。一応、すべてが丸く収まり物語は終わるが、実のところ、この「私」は全く納得していない。
納得できるような夫婦関係は理想ではありますが、難しいものです。話し合いによってなんでも解決できるほど、簡単な関係とは言い難いのが夫婦だと思っています。納得できなくとも承服せねばなるまいと、大半の夫婦者は日々感じていることではないかと思い、そういうものを書いてみました。
>「血でくすんだ小鰺の体へ水を流すと、空っぽの腹が銀色に光る。その目はまだ、波の狭間の太陽を見ている」空っぽの腹の、その目は、つまり、犬に嫉妬する妻は、太陽を見ている。犬がやってくる前の、腹にはまだ内蔵がつまっていた、海で自由に泳いでいたときのように。そのことを、この作者は自覚していない。
これは見解の違いなので、ああそう読むのかと逆に勉強になりました。
空っぽの腹は暗に子供のいないことをあらわしています。犬に嫉妬するというよりは、言葉のやり取りにおける食い違いや、ちょっとした習慣の違いに納得できない気持ちをこの作品では書いているつもりです。
外へ向けて積極的に働きかけなければ、外へつながる術を持たないというのが専業主婦だと思っています。というのはつまり、自分の家の中こそが社会の全てなので、そういう状態を魚に置き換えてみました。魚は自由に泳いでいますが、陸の生き物である私にとって、海に閉じ込められているというイメージがあります。アジが海の中から空を見るように、妻は窓の中からふと視線を外へうつします。どんなに自分が狭い世界で生きているか。
>たとえば、イングリッシュローズの鉢植えを、「私」が怒りに任せて、たたき割ったとしたら、どうだろう。そのとき、夫はどんな反応をするのだろうか。夫の反応と「私」の態度や行動によって、夫の人間性、夫と「私」の関係、「私」の屈託が一度に活写されると思われるのだが、一度、考えてみてはどうだろうか。作者に提案したい。
こうした方が確かにストーリとしてははしゃいだ感じになって、猿飛佐助もびっくりの活劇になりそうですが、ストーリーの展開上植木鉢を割ってしまったら、妻の行動が支離滅裂なことになるので、認識の違いを感じる程度にしています。
例えば、夫が浮気しただのなんだの、明らかに夫が悪いことをしているのなら叩き割ってもいいでしょう。しかしこの場合、夫の言う事は神経質であるにしろちょっと大げさではありますが、 理にはかなっています。洗濯ばさみの出しっぱなしは危ないです。人が踏むかもしれません。それをわかっているけれど、いちいち家の中のことに口出しして欲しくはないとか妻側のいろんな感情が相まって、悶々としているわけです、妻は。夫はそれほど気にしてないかもしれない。ちょっと注意したに過ぎないかもしれない。そういう夫婦のささやかなズレ(しかしそういうものほど後に大きな溝となって現れる)を書いたので、話としては地味ですね。確かに普通の人の普通の話なんですが、それを書きたかったのでまあ、こんなもんだろうと思っています。
そうそうメインの小あじの南蛮漬け、ちゃんと仕上がることが出来なかったのが残念ですが、頭から尻尾までバリバリ食べられますよ、おすすめです。このあと、片栗粉をつけて二度揚げし、酢と醤油一対一に刻んで種を抜いた唐辛子を入れて一煮立ち(すっぱいのが平気な方は省いてよし)したものへ揚げたてをどぼんと漬けます。夏は冷やして、冬は温めてお召し上がりください。あくまで長月家のレシピですが。