自分の名前が出てきたので、つい反応してしまいます。いまはもっぱら読者として『短編』を拝見させていただいている者です。
こちらに投稿した作品の票感想に、自分のサイトでの発言が触れられたときには、私としてもかなりイヤなかんじがしました。しかし一方で、私の作品が連続して優勝したときには、「同じ作者がつづけて優勝するのはどうかと思うが」といったような票感想のコメントもあり、西さんのおっしゃるとおり、作者単位の評価はマイナスにもプラスにもなるものと思います。
また『短編』としても「作者別目次」や「優勝者列伝」など少なからず作者という単位を公式にフューチャーしているくらいですので、投票にその視点が導入されるのは、ある程度しかたないことかな、と思います。さすがに「○○さんの作品だからおもしろい」などといった票感想が出てきたりしたら問題ですけど、作品そのものの評価が基本となっているかぎりは、たとえ不公正な視点であるにしても許容範囲内とせざるをえない気がします。
ついでながら、私も戦場ガ原さんと同様に票感想の内容はあまり重視していません。さだかじゃないのですが、企画段階の当初は票だけだったのが、それじゃあやはり無責任すぎる投票や不正が横行しかねんということで、念のためなにかしらコメントを書かなきゃダメってことにしよう、といった経緯だったかと記憶しています。現在はかなり重視されていて、私も決して軽視できない気分ではありますが、ゲームのルールがあくまで「どんな感想であれ1票は1票」であることには変わりがないですね。だから純粋に点取りゲームとして楽しめればいいのですけど、それもなかなかむずかしいことで。
あと、このレスでは無関係な内容になりそうですが、最近話題の「馴れ合い」というか「馴れ合いと見られかねない参加者間の親交」につきましては、大いにいいんじゃないでしょうか。仲よきことはうつくしきかな、とだれかエライ人も言っています。しかし個人的には、いわばコンテスト(投稿作品と票感想)を「舞台と客席」、この掲示板を「楽屋」と考えていますので、舞台と楽屋のケジメは大事にしてほしいと願ってやみません。小説とその感想が掲示板に投稿されたり、掲示板の話題が票感想に書かれたりする最近の状況には非常に幻滅していて、作品投稿者としての参加興味は完全に失せています。
しっかりケジメがついているかぎりは、この掲示板やらオフ会やらmixiやら出会い系サイトやらで参加者のなかに親しい関係やそうでない関係ができたりしても、それが掲示板で露骨に表れていても、舞台でのパフォーマンスにしか興味がない私なんかは一向に知ったこっちゃない、勝手にしやがれ、ってなもんですので、大いにイチャついたりケンカしたりしたらいいんじゃないかと思います。こう掲示板をチェックしているとおり、舞台しか興味ないなんてウソですが、あくまでもゴシップ記事を読むみたいな興味です。私は『短編』に公式掲示板が存在すること自体に疑問を持っているくらいです。お客さんにもマル見えな楽屋なんていらないというか、恥ずかしいじゃないかと。掲示板があるかぎり「内輪」や「馴れ合い」のそしりは避けがたい。というか、それらをあえて見せびらかすのがこの掲示板のおもな機能だとすら思える。
それはさておき、このケジメというのは『短編』がシステム的に対応できるものではなく、いかに主催者が掲示板を「たかが掲示板」と低く位置づけていようとも、参加者各人の意識に一切ゆだねられるものですし、それは全体主義的に統制が図られるべきものでもなく、そもそも万事ご自由ご勝手にどうぞなかんじが『短編』のよさだと思いますので、けっきょく「ケジメのなさ」についても「そういう風潮」として了解せざるをえません。いまはマッチがケジメの必要性を高らかにうたっていたころとちがって、ケジメがないのがブームなんだな、ケジメのないほうがモテるんだな、とでも理解して、それに同調するなり、それが気に喰わなければ参加しなけりゃよい。そうして無為に人材をうしなったりして、はなはだ残念な場合もしばしばありますが、開設時からずっと見てきて、『短編』とはそういうサイトなんだと思う今日このごろ。そろそろ日光が強くなってきたので棺桶に帰って寝なければなりません。