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「この町で一番の景色」
 明日には終わる萩山のやりたいことが、この街の一番の景色に関係していることであれば、明日には素晴らしい景色が見られることになるのであろうかと思うと、それは人工的な一番なのであろう。日時が決まっていれば「明日には終わる」という表現ではなく、日時に合わせた行動をとるであろう。だとすると、明日終わったからといって、明日に一番の景色が見られるものでもないのか。

「猫の粒」
 適当でなければこの話しは成立しないけれど、もし、適当に水を量るのであれば、安い猫の粒を二つ買って、ひとつは失敗したから今度は、ちゃんと量って戻すくらいを私はする。もしくは、高いものを適当に扱うことができるのは、実際それが高くても、主人公には痛くない出費なのであろう。猫が動物の猫だとするのは間違いで、猫という知らないもの。だから、動物の猫は知っていても本物の猫は知らない。本物の価値を知らないのに高いものを買うというのは矛盾。

「I was born」
 アイワズボーンにオマージュや引用の要素が含まれているのかは知らない。前作にも書いた乾いた感じというのが、観察的な書き方にあって、それがドラマチックさを見えにくくしているのかなと少し考えたけれど、悪いという感じはない。

「カンジャンケジャン」
 カンジャンケン、カンジャンケンと認識していて、ジャンケンの話しかと思っていたら、カニが出てきて、カニだからチョキなので、辻褄は合った。こういう普通の会話を読ませるのは難しいと改めて思った。

「ノイズ」
 ノイズは単なる現象、症状であって、原因ではない。原因が彼女にあるとすれば、眠り続けている期間とノイズ症状の期間は一致する。彼女をなんとかしなければ、ノイズはまた発生しそうだけれど、そこは小説の本筋ではないような書き方で、そこは好感が持てた。

「思い出」
 たぶん、よくよく考えてこんな最後にしたのだろう。その葛藤は伝わりました。だから悪いとは思いませんが、これは好みでしょうが、少し戦略さが鼻をつきました。偽りの本ということは、そこには思い出や感傷が存在しないのだから、葬儀の場所はセレモニーホールの方が現実味があって、ドライさも引き立つと思った。

「巨大なおじさん」
 少し出来過ぎな気もしてしまう。鬱屈した傾向がヨガで改善されるほど人間は簡単ではないように思った。奇麗な話しが悪いわけではないが少し引く。何故、芸術は愛なのだ、とピカソの説明を聞いたか読んだかして思ったことがあって、性交にはそれだけで力があるのかとも最近少し考える。じゃなかったら、性交描写がこれほど小説に出てくるはずないのだから。

「空っぽの部屋」
 ガチャリとかパタンは個人的に好きではない。ドアが開くと表現した方が自然に読めると思うが、それよりも成仏していないのはよくない。だけど、成仏させたらこの話しは成立しないから仕方ないのか。「思い出」もそうだけど、最後で実はどんでん返しっていう最後は成功するといいけど、パターンに流されると良くなくなる。

「灰かぶり」

「祈り」
 前作と同じ入り出しで気になったら、三連続で死だった。感想が的を射ているのかいないのか分からないから不安である。直接的に関連のない事柄が繋がって作品を作っているから、苦労して読んでも報われないのではないかとさえ思ってしまう。好意的な解釈でいうと、言葉では表現しきれていない感覚というのがあって、それが映像なのか、絵画なのか、音なのか、そういったものを踏まえないとまとまらないように思った。

「鉄分いっぱいもりもりプルーン」
 一本の現実さが通っているから、そこに不明な語が介入しても破綻することなく、話しの要素として取り入れられ、それが面白さに繋がっている。

「猫博士」
 妹と弟が結婚したのだから、姉と兄が結婚してもおかしくはない。ではなく、猫博士には双子の姉がいて、私には腹違いの兄がいて、犬博士は猫博士と母親が違うから、まず、犬博士と腹違いの兄が結婚をして、双子の姉と私が結婚をするなんてこともない。ただ、これは小説を書いたあとで知ったことだから、誰も知らないことになる。具体的にどこが面白いか言えないが面白そうである。

「イドの蘇生」
 科学的に蘇生が可能だとしても、倫理や法制上は、一度死んだイドが研究を中止することはできないと思った。そもそもイドが生きている間に研究を中止できないような、というか、一大臣がそれほどの権力を持つのは不自然である。というか、研究を中止させたくない理由が分からなかった。でも、そういうことを考えなければ、面白い話しであると思った。

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