〉“下駄箱の前には、一足だけの上履きが落ちている。” 一足は履物の左右ひとそろい。なので「だけ」は変な感じ。片方の、とかかな。
仰るとおり「片方の」にするべきでしたね。まったく気付きませんでした!
〉“そこへ登校してきた男の子は、上履きを拾い上げると、すぐに女の子も登校してきた。” うーん、文章がなんとなくもたついているか。若干ねじれ気味か。
これまた推敲不足と言わざるを得ませんね。ご指摘ありがとうございました。
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〉〉“下駄箱の前には、一足だけの上履きが落ちている。” 一足は履物の左右ひとそろい。なので「だけ」は変な感じ。片方の、とかかな。
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〉 仰るとおり「片方の」にするべきでしたね。まったく気付きませんでした!
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一足だけというほうがいいですよ。ばかばかしさというか作為的な味があるじゃないですか? ちがいます??
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〉〉“そこへ登校してきた男の子は、上履きを拾い上げると、すぐに女の子も登校してきた。” うーん、文章がなんとなくもたついているか。若干ねじれ気味か。
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〉 これまた推敲不足と言わざるを得ませんね。ご指摘ありがとうございました。
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ねじれ気味がいいとおもいますよ。靴がしゃべるんですから、……。
あたまにスペースを入れろとか、誉めていながら推薦しないとか、変なヒ氷河期になった ので、横レスさせていただきました。
〉あたまにスペースを入れろとか、誉めていながら推薦しないとか、変なヒ氷河期になった ので、横レスさせていただきました。
という記述が気になった ので、横レス失礼。
あたまにスペースを入れろという指摘がなぜ変なのかご教示願いたいんすけど。小説を書くにあたっての基本的なルール(小学校で習う)なので指摘されても仕方ないんじゃないですかね。オレの表現には合わないからそんなルールは守らないゼーというスタンスもあるのでしょうし僕も場合によってはそのスタンスを認めますけど、一般にあたまを下げた方が圧倒的に読みやすいので、読みにくいと感じた読者は「あたまを下げた方が読みやすいですよ」と指摘するのも当然かと。
それから誉めていながら推薦しないのもどこが変なんすかね。1000文字もあるんだからその中に光る箇所があってそこを誉めたとしても、作品全体は推薦できるものではない、ということはよくあることなんじゃないですかね。僕はしょっちゅうありますけど。
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〉〉〉“下駄箱の前には、一足だけの上履きが落ちている。” 一足は履物の左右ひとそろい。なので「だけ」は変な感じ。片方の、とかかな。
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〉〉 仰るとおり「片方の」にするべきでしたね。まったく気付きませんでした!
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〉 一足だけというほうがいいですよ。ばかばかしさというか作為的な味があるじゃないですか? ちがいます??
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〉〉〉“そこへ登校してきた男の子は、上履きを拾い上げると、すぐに女の子も登校してきた。” うーん、文章がなんとなくもたついているか。若干ねじれ気味か。
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〉〉 これまた推敲不足と言わざるを得ませんね。ご指摘ありがとうございました。
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〉 ねじれ気味がいいとおもいますよ。靴がしゃべるんですから、……。
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〉あたまにスペースを入れろとか、誉めていながら推薦しないとか、変なヒ氷河期になった ので、横レスさせていただきました。
第三者がとやかく言うことではございませんが、作者本人が推敲不足だと自覚しているのだからそれでいいじゃありませんか。感想主も間違ったことは仰ってないように見受けられますが。
とは言え、“そこへ登校してきた男の子は、上履きを拾い上げると、すぐに女の子も登校してきた。”の一文は“そこへ登校してきた男の子が上履きを拾い上げると、すぐに女の子も登校してきた。”にさえすれば何ら問題はないと個人的には思いますがね。
“一足だけの上履き”については宜なるかな。作者の意図しないことを見出すのは読者の勝手ですが、この場合「“一足だけ”でもいい」のであって、「“一足だけ”の方がいい」と発言するのはおかしいでしょう。
ちなみに靴はひとそろいでひとつの存在だと解釈し、単に“一足だけの上履き”の“だけ”が余計だったのだと自分は解釈しました。
おひるねXさん、こんばんは。作為的な味」というキーワードが、心にビビビッと響いたので、ちょっと割りこんでみたいと思いました。
とはいえ、本筋とあんまり関係ないことを書きます。それから、ええと、もともと「ばかばかし」くて「作為的な味」を出すという意図が、作者の中崎さんにあったのかどうかは、問わないことにします。中崎さん、ごめんなさい。
〉 一足だけというほうがいいですよ。ばかばかしさというか作為的な味があるじゃないですか? ちがいます??
うーん。「作為的な味」がないからこそ(つまり、作為ではなく単なる言葉遣いのぎこちなさ、推敲不足と見なされているからこそ)、わらさんや石川楡井さんのような指摘が出てきているんだよなあ、と思いました。
ペアで一足のはずの靴を、一足「だけ」と言ってみたくらいでは、「ばかばかし」いほど「作為的な味」にはたどりつけないんじゃないか、と思います。
馬鹿への道は、もっと遠くて、深い。
言葉遣いや文法を間違えて「ねじれ」ている表現をわざと作り出し、「単なる誤用ではなく、確信犯=作為なんだよ」と読者にはっきり分からせ、なおかつ「味」を醸し出すのは、なかなか難しいことだよなあ、って、いつも思います。
よっぽどあざとくやらないと、「文章がぎこちないね、この人」と言われて終わってしまう。うまく「作為」であることを認めてもらえたとしても、「ほう。変ったご趣味をお持ちですなあ」と言われ、それっきり。労多く、実りが少ない。そのせいか、プロでも本気で取り組んでいる人はあんまりいない気がします。僕が無知なだけかもしれないですけど。
思い出すのは、鈴木志郎康の「月」という詩の、こんな一節だったりします。
私は人妻が手淫していた
私は老婆が手淫していた
私は女性重労働者が手淫していた
私は人妻が手淫していた
私は牛乳びんが手淫していた
私は時計が手淫していた
ここまでたたみかけられると、なるほど、見事に「ばかばかし」くて「作為的」ですよね。それだけでなく、ちょっと鬼気迫る感じさえするかも。
こういう詩を読むと、単なる誤用と「作為的な味」との間には、「長ねぎ」と「フランスパン」くらいの違いがあると思うんです。
でも、いったいそれが何に由来する違いなのか、どうしたら「作為的な味」が出るのか、僕には全然わかりません。わからないから、引き続き小説を書き、読んでいるとも言えます。
ついで全然関係ないことを言うと、中崎さんの小説に出てくる「下駄箱」って、僕、好きなアイテムですね。秘密めいている。何かが起こる予感がたちこめている。ささやきのような秘密の会話と、下駄箱とを結びつけたくなる心情は、よくわかる気がします。
近々、そういう小説を書いて投稿することに決めました。
……話は戻って。
褒めていながら推薦しないのは、なんか書き手にとっては腹立たしいですよね。僕もよく、地団太踏んだもんです。
でも、感想を書く立場に立ってみると、僕はわらさんに全面的に共感しますね。
全体的に見れば、投票するにはちょっと足りない。でも、きらきらする細部がある。その細部をめぐって、何かを語ってみたい。そういう小説は、今期、多かった気がします。
たとえ投票はされなくとも、また必ずしも肯定的な感想でなくとも、自分の小説を読み、それに誰かが心を動かす、というのは、なかなか楽しい体験だと、今は思うようになりました。それに、「ちょっとおもしろいな、おまえの小説。ちょっとだけど」と言われる方が、「おまえの小説、全然褒められたもんじゃないし、はっきりいって嫌いだけれど、投票しとくよ」なんて言われるより(そんなこと言われたことありませんが)、よっぽど嬉しいです。やっぱり。
文法的なミスの指摘もあっていいんじゃないでしょうか。今期、僕の書いた小説にもいっぱい誤記があることが分かって、実は深く落ち込んでいます。わはははは。いやいや、指摘はありがたいことです、本当に。
作家論、作品論があってもいい。こんなふうに論争するのも愉快。批評は北風でなく太陽、ヒ氷ならぬ火ヒョウだと割り切って、楽しんでみてはどうでしょうか。
長くなりました。また、いつかどこかで。 でんでん
ご意見ありがとうございます。たしかにそうだとおもいます。
〉〉あたまにスペースを入れろとか、誉めていながら推薦しないとか、変なヒ氷河期になった ので、横レスさせていただきました。
〉
〉という記述が気になった ので、横レス失礼。
〉
〉あたまにスペースを入れろという指摘がなぜ変なのかご教示願いたいんすけど。小説を書くにあたっての基本的なルール(小学校で習う)なので指摘されても仕方ないんじゃないですかね。
たしかにわたしもそうだとおもいます。でも、まあ、よこがきですとそれほど字下げの効果も薄くなるのではないでしょうか?
それよりも、1000字のしばりで、スペースを使う場合は、段落を切り分ける感性と不可分なのではないでしょうか?
…… ただ、スペースを空ける基本の指摘はあまり役に立たないのではないか? と感じたのです。
>オレの表現には合わないからそんなルールは守らないゼーというスタンスもあるのでしょうし僕も場合によってはそのスタンスを認めますけど、一般にあたまを下げた方が圧倒的に読みやすいので、読みにくいと感じた読者は「あたまを下げた方が読みやすいですよ」と指摘するのも当然かと。
〉それから誉めていながら推薦しないのもどこが変なんすかね。1000文字もあるんだからその中に
>光る箇所があってそこを誉めたとしても、作品全体は推薦できるものではない、ということはよくあることなんじゃないですかね。僕はしょっちゅうありますけど。
これも、全体を語らず、一部だけ持ち上げるのは、あまり役に立たないのではないでしょうか?
〉…… ただ、スペースを空ける基本の指摘はあまり役に立たないのではないか? と感じたのです。
〉 これも、全体を語らず、一部だけ持ち上げるのは、あまり役に立たないのではないでしょうか?
何の、役に立つか立たないかという話なのかが気になります。
先に個別の問題を。
縦書きと横書きの差は感じません。僕は仏文学を専攻していますが、どの文献も頭は下がっていますし、日本語にしたって、今期のおひるねXさんの作品は読みにくかったです。段落頭だけが問題ではなく、明らかに推敲不足で文章の意図が伝わりにくくなっています。
それから「全体」は「一部」の積み重ねであり、一部を置き去りにしたまま一足飛びに全体を語ることは到底無理だろうと僕は考えます。
長い間おひるねXさんに抱いていた違和感の正体とでもいいましょうか、作品を書くにあたり何を重視されているのか、感想に何を求めているのかが見えてきたので、僕にとってはありがたいやりとりでした。
まだ確信には至らないので、「役に立つ」の定義というか、何にとって役に立つのかを教えてください。
まぁ、作品の意図をより正確に、より深く読者に伝えるためならば、絶対に役に立つと僕は断言しますが。
議論自体が意味不明なんだけど、とりあえず優勝回数トップ、トップ、優勝いちばんしている、優勝いちばん回数多い、優勝優勝優勝、の人間から言わせて、優勝回数10回から言わせてもらうと、一字下げしないで勝った作品ないので、一字下げしたらいいんじゃないの? と思います。
そうでないので勝てたら勝てたでいいし、勝ちたいなら下げたらいいし、勝ちたくないなら下げたくてもいいし、要するに読者の好みの問題だって、秒単位で分かってくれたらいいなと思います、この理屈が。くだらないことで時間費やしたらもったいないって、ほんとうに。
〉 ご意見ありがとうございます。たしかにそうだとおもいます。
〉
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〉〉〉あたまにスペースを入れろとか、誉めていながら推薦しないとか、変なヒ氷河期になった ので、横レスさせていただきました。
〉〉
〉〉という記述が気になった ので、横レス失礼。
〉〉
〉〉あたまにスペースを入れろという指摘がなぜ変なのかご教示願いたいんすけど。小説を書くにあたっての基本的なルール(小学校で習う)なので指摘されても仕方ないんじゃないですかね。
〉
〉 たしかにわたしもそうだとおもいます。でも、まあ、よこがきですとそれほど字下げの効果も薄くなるのではないでしょうか?
〉
〉それよりも、1000字のしばりで、スペースを使う場合は、段落を切り分ける感性と不可分なのではないでしょうか?
〉
〉…… ただ、スペースを空ける基本の指摘はあまり役に立たないのではないか? と感じたのです。
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〉>オレの表現には合わないからそんなルールは守らないゼーというスタンスもあるのでしょうし僕も場合によってはそのスタンスを認めますけど、一般にあたまを下げた方が圧倒的に読みやすいので、読みにくいと感じた読者は「あたまを下げた方が読みやすいですよ」と指摘するのも当然かと。
〉〉それから誉めていながら推薦しないのもどこが変なんすかね。1000文字もあるんだからその中に
〉
〉>光る箇所があってそこを誉めたとしても、作品全体は推薦できるものではない、ということはよくあることなんじゃないですかね。僕はしょっちゅうありますけど。
〉
〉 これも、全体を語らず、一部だけ持ち上げるのは、あまり役に立たないのではないでしょうか?
こういうやり取り大好き。
早い話が、おひるねX氏
重箱の隅をつつくみてえに細けえことぐだぐだ書かれたって何の参考にもなんねえから一つの作品として面白かったか面白くなかったかはっきりしろって言いたいのでしょう。
確かにそう言いたくなる気持ちも分かる。
一作者としてみれば、感想書きの中には感想になっていないものが
見受けられることもあるので。
……僕は気をつけてますよ。そこは。一応ね。
でも欠点を改善してよいところを伸ばす。それは教育の基本でしょう。教育とは言え先生気取りではないので誤解のなきよう。
さておき、わらさんの言う“一部”ってのはそういうことじゃないのでしょうか。
木を見て森を見ず、とは言いますが、生きている森か死んでいる森かは木を観察しなければ分からないんですよ、ってな。
一字下げについては自分も推進派だけれども、どうだっていいんですよ、本当は。一字下げしていたって読みづらい作品もあるし、一字下げしてないからって、ハッもう評価しねえなんて思いませんから。
ただ一字下げなどの小説作法ってのはある程度知識とか経験積めば自然と会得していくものだし、していない作品の場合、全体的に文章に自覚的でないという傾向が見受けられる。ああ、まだ書き慣れてないんだなあというのがよく分かる。
一事が万事で、文章の拙さは作品の拙さであるけれども、それは『文章が拙い⇒作品として拙い』ばかりではなくて、『文章が拙い⇒作品のよさが発揮できていない・作者の意図が表現されていない⇒作品として拙い』って意味。
だからといってそれがすべてじゃない。今回の『貧と富の心の狭間で…』なんかは一字下げもしていないしタイトルの時点で“…”ですから作法も整っていない。けど中身はいい。僕の中では結構高評価でしたよ。
文体とか言葉の選択は、作品としての評価に含まれるが、誤字脱字・小説作法云々は単なる読み手の気持ちの問題。目に付けば意欲が損なわれるってだけ。それは読み手としても嫌だから指摘しているだけ。
そんなもの、自身で小説とやらを書いていれば分かるものでは、と思うのですが。