記事削除: パスワードの入力

削除する記事の内容

おまけつきです。

11 チョコっとした小説 中木寸さん 240

 チョコっとコメントに困る。(あー、やっちゃった…)
 ストレートで読みやすいのだけれど、何を伝えたいんだろう、としばし悩んで、結局わからなかった。食べ物の怨みは恐ろしい、ということではないだろう。

12 掌 ヨクサルさん 622

 ヨクサルさんが書きたいと思われたもの、この文章に現れる表面的なことではなく、その奥底にあるだろう何か、おそらくまだ掴みえていないであろう何か、それは登場する夫婦が長い人生の中できっと掴んだであろう何か、そういうものを私は想像したくなる。私はこういう二人がけっこう好きなのだけれど、描写される中では、「そこそこ」「平凡ながら幸せ」「十数年ぶりとなる」「あと数年という」「ちょっとした」疲れ、安堵、充実感、寂しさ、むなしさ…と、抽象に傾いたところが浮き上がって、人生の機微とでもいうものが伝わるにはやや具体に欠けるし、登場人物よりもっと若い年齢の感覚のまま書いているように思えた。


以下、オマケ。


 いわゆるケータイ小説的なデザインの物語は今に始まったものではなくて、古くはコバルトノベルとかティーンズハートとかで数十年前にすでに使われていた表現方法があって、これとよく似ている。
 両者を区別せず語るが、これらが売れた理由、親しみやすさを感じる理由は、(かつてもどこかで耳にし、最近もある方の意見があって思い出したのだが、)同世代の人物の等身大の言葉で語るところにあるのではないか、ということである。これに同世代の読み手の感性が共鳴したことで、あれだけの市民権を得た、と言えるだろう。

 しかし共感したからといって、ケータイ小説の手法的な部分だけを真似しても、作者の思いに実感をこめて伝えることは難しい。ケータイ小説的手法の弊害は、見知った言葉を使うために表現がステレオタイプになり、うすっぺらく見えてしまうことだ。
 これはケータイ小説の手法を使わなければいいというわけでもなくて、旧来の純文学や、私小説的な手法を取り入れている人であっても同じことなのではないかと思う。特殊な例ではショートショートなどは、はっきりと構成の技術であるから、過去の作品を真似て失敗するとホントに悲惨な有様になる。
 自分が書きたいものに合った表現を探していくのは難しいと思うし、あまり慣れ親しんだ方法ばかりに頼らないで模索してみるのも、実感を伝える表現を研ぎ澄ますという意味で大切かと思う。がんばります。

運営: 短編 / 連絡先: webmaster@tanpen.jp