最初に、嫌味な言い方で済みません、と断っておいて、微妙な感想をありがとうございます。一年前に、雪山に置いていけば、という感想をいただきましたが、未だ忘れえず、果たしえず、おります。
実のあることが言えるのでもありませんが、感想への感想を少々書きます。
〉#06 秩序を想う (森 綾乃さん)
批判された「気候」ですが、私はこれで良いと思いました。しかし川野氏はそのような言葉を厳密に吟味して使わない感覚を嫌っているのだとも思いました。
〉 「気候」というのは一年とか長期間の大気現象を指す言葉で、数日間までなら「天候」や「日和」を用いてはどうか。
〉#19 桜の樹の上には (三浦さん)
自分の感想の繰り返しになってしまいますが、三浦氏の作品には、私にはそれを何かとは表現できない何かの感情が強烈に描かれていると思います。それを鮮烈にしているのが独特の文体で、文体は従属的なものだと思うのですが、いかがでしょうか。
〉 実を言うと、三浦さんの作品は昔から大好きなのですが、最近何期かの作品はいささか文体に依存しているような気が無きにしも非ずといった印象です。独特の言語感覚を構成するこの文体を、もし取り去ってしまったら、あとに残るものが頼りないような懸念があります。
〉#22 せぶんてぃ〜ん (qbcさん)
すごく野暮な意見ですが、想像こそが原動力だと思います。
〉 妄想もほどほどにしないと体に毒だと思います。
〉#23 餅を焼く (わたなべ かおるさん)
私はこの言葉は敢えて使われているものだと思いました。
〉 釈迦に説法、は自分に対して使う慣用句ではないよな、と思うのですが、どうでしょうか。
〉 六十七期をもって僕は投稿を最後にしたいと考えているので残り僅かですが宜しくお願い致します。
残念です、と言うと私が川野氏の作品を読めているようで、それは違うのですが、それ以外の言葉を思いつかず、そう言います。これまで作品を読ませていただいた、あるいは感想をいただいたお礼として、興味を持たれた新たな場所で頑張ってくださいとだけ、言わせてください。