記事削除: パスワードの入力

削除する記事の内容

1 夢の男 511
夢は不思議だなあと思いました。いつまで不思議なもので居続けられるのだろうか。
この小説は、男女が同じ夢を見ていて、女にとっては幸せな夢で、男にとっては悪夢だということに焦点があたっていたのでしょうか。そのあたりが少しぼやけていて、この解釈で良いのだろうかと迷いました。
またこの解釈で行くと、あっさり女はその夢への執着めいた得体のしれない何がしかの感情を捨ててしまうということで、それでは夢の不思議さを軽く扱うことになってしまい、もったいないのでは、と思いました。

2 『ニューシネマパラダイム』 1000
映画が割と好きな私としては、最後のしめくくりの鮮やかさは印象的でした。
精緻な作り込みを感じるのですが、しかしその精緻が灰汁になってうまく飲み込めない箇所が散見しました。描写のところと、映画と小説への注釈のところです。
描写のところは、「決して囁き声でない彼。他の客に迷惑だと思った僕の心配は杞憂だった。100人ほど入るフロアは僕ら含めて、5、6人。それぞれの座席は姿も見えないほどにばらけている。」といったあたりなど、まどろっこしく感じました。「彼の声は大きかった。しかし映画館には人が少なかったのでそれほど心配もいらなかった」などでも良かったのではないのかなと思いました。
注釈云々は、「ジム・キャリーの出てる映画だったら『トゥルーマン・ショー』の方が深く考えさせられる。あれはドラマの話だけど」などは、この映画そういえば見てないなと考えたりして小説自体から思考が逸れました。また「人形劇だろうとアニメ映画だろうと、必ずエンドロールが流れる。」というところで、本当に全ての映画が「必ずエンドロールが流れる」のか疑わしく、ここでも小説を読む行為自体が妨げられました。
映画と小説について語る「彼」の足の重さに対して、語り手の方を軽い足取りにし、かつ読者の考えていることを代弁させてやればいいかなと考えました。

3 痛み 1000
何が悪いというわけでもないのだけど物足りない印象でした。
起承転結で言うと、起の部分だけという感じでした。兄弟の関係性が浮かび上がったのですが、そこから何も始まらないような淡さです。人物の台詞や行動を逐一取り上げてかさんだ文字数を、展開にもっていってもいいのではと考えました。
また、高校二年生が果たして弟を病院に連れていくのだろうかという疑問もありました。このあたり、疑問を抱いてたのは私だけかもしれませんが、この読者の疑問を先読みして、母親が忙しいなりの理由を記述しても良かったのではと考えました。現状の母親だとなんだか世話を放棄している印象でした。

4 どちらかはトム? 983
台詞まわしがまだるっこしい感じでした。
この小説の趣旨は台詞まわしそのものなのでしょうか。そうなのであれば、素直に誘えばいいのにという面白さがあるな、と二読目で思いました。
まだるっこしいセリフで面白いのが「ノーカントリー」という映画です。感想ではないのですが、この映画が好きすぎてつい書いてしまいました。すみません。あと外国映画の日本語字幕も字数の関係上ぶったぎった台詞も面白いです。戸田奈津子さんの「〜?」みたいなのも大好物です。

5 僕のやるべきこと 1000
「この世界の色はすべてこの絵の具で出来ている」という人物の意見に賛成できませんでした。それを抜きにしたとして、自然と出会って活力を鼓吹されるというテーマ自体はすがすがしかったです。
最初の一文が冗長だと思いました。

6 あるアパートの一室 920
話自体は面白いのだけど、文章に面白さがないのが非常に残念でした。
この話の面白さは、「借り手のつかない部屋」「ポルターガイスト」「霊媒師」といったいかにも胡散臭い噂話、妄信のまとわりつくアパートから、結局その噂話、妄信をしていた中心であると思われる誰もが離れていってしまうというところだと感じています。或いは噂話の中心はいわゆる間主観的な人と人の間なのかもしれませんが、ともあれ自業自得という言葉と動いている人間の生々しい匂いを感じます。
文章のところは、まず語り手が誰かなのかというのが気になります。話し言葉で描かれていて、実際に誰かが喋っているような印象ですが、その話し手はこのアパートとどんな位置関係にあるのか。
語り手の問題とも関係するところですが、語り手の視点一点のみで状況や人物を説明しているので、全体的に平板に感じます。これを打開する方法は、例えば大家さんに「このアパートは呪われている」といった台詞を喋らせるといったところではないかと考えます。それすら語り手が語っている訳ではありますが、台詞は肉声そのままであると読者は誤解すること多々ありますし、語り手自身が執筆の弾みで思わぬ事を人物に喋らせてしまうこともあるかと考えます。こうすることで、語り手の視点以外に「呪われている」という大家さんの視点が小説の中に生まれます。そしてこの視点は小説の平面の上で、ひとつの塔のように立ってきます。塔が立つと、語り手の視点に対して死角、つまり塔の影ができます。影はなぜそんなことを大家さんは言ったのか、という理由の部分です。語り手にとってもそれは興味の対象ですし、読者にとっても行間の妙を探りたくなる喚起というところになってくる、と考えます。この影はさらにそれに触れる者の想像力が強ければ強いほどに五感にも浸潤してきて当惑の境へと誘う手綱になるのではと考えます。
そして大家さんに対してアパートの住人が「私が若いころに堕胎したせいかも」などと言えば、もうひとつ語り手以外の視点が生まれます。こうした視点の絡み合いによって小説の平面に歪みや坂や穴などが工事され、語り手や作者にとっても予測不能な小説がこの世に垂れこめてくるのではないのかなと考えます。

7 発掘の日 1000
SFだなと思いました。
ショート・ショートは好きです。この間、久しぶりに藤子・F・不二雄のSF短編全集を読み返したのですが、とても面白かったです。何回か読み返しているのでオチは知っているのですが、それでも面白いです。オチが分かっていても面白いのは、おそらくFさんの絵柄のとんでもなく日常的な児童漫画っぷりのお陰ではないかと考えます。SF的ありえない非日常オチが魅力的かつ生活感ある絵柄の中で描かれることによって、真実味を帯びるのではないかなと考えます。

8 銀行強盗 906
ショート・ショートだなと思いました。
一点「今、私の隣には、銀行強盗に銃で撃たれ、うつぶせになり気持ちよさそうに眠っている友人がいるのだ。」のところ、銃で撃たれた後に気持ち良さそうな顔しているのかなと思いました。揶揄してそう書いてあるのであったら要らないつっこみですが。

9 桜の坂道 474
よく分からなかったです。
誤字混じりの文章というのを読み進めるというのも、案外と面白い行為なのではないのかなと作品を読んで思いました。次々と私の中の常識が壊されていくのが小気味よかったです。

10 1番ショートコウタ背番号6 1000
オチが良くなかったように思いました。
天井に突っ込むオチであるのならば、野球少年である必然性はなかったのではと考えます。「6−4−3のダブルプレー」や「1番ショートコウタ背番号6」といった語感の面白さから野球少年という設定が選ばれたのだと思いますが、それであればいかにも野球少年的な死を与えてやるべきだったのではと考えます。
日常が何事もなく非日常をくわえこんでいる姿は良いと思いました。

11 3分間 967
なぜ「夫への恋心を思い出した。」のか、ちょっと曖昧でした。音楽がきっかけのようなのですが、どうも郵便局の男性に気持ちがいってしまっているような印象もあったので、ぼやけてしまったように読めました。
「愛を求めてさまよった、カミソリと揺りかごが常に背中合わせだったような感覚」といった表現のあたりを具体的に描くとより人物の解像度が上がり、輪郭がくっきりとしたのではと考えます。

12 コーヒーゼリーと都会の月 984
別れ話とプロポーズのタイミングが合いすぎていて予定調和を感じました。こんな折良く指輪をもっていないんじゃないかと思いました。
コーヒーゼリーとお話のテンションが同期していたのは良かったです。モンタージュですね。
「綺麗な満月がぽっかりと照らしている。」など生硬で視覚的な表現が多かったのが気になりました。「どうしたんだい?」といった台詞なども硬い印象でした。

13 ウナギとカメ 1000
ウナギとカメの去来を対比して描こうとしていたのでしょうか。どちらかにフォーカスを絞った方が分かり良かったのではと考えました。長編小説などでは違ってくると思うのですが、1000文字サイズの中で同じ筆圧で描かれると、どちらに注目していいのか分かりませんでした。
カメとウナギが何かの寓喩なのかなと考えたのですが、分かりませんでした。

14 アイヨリモ、コイナラバ 987
「コイならたぶん、ギリでいけたのに」などのセリフが小気味よかったです。
オチのあるショート・ショートは面白いのですが、そのオチがさらに驚き以外のものを浮き彫りにするようであったならばな、と思いました。このお話にも、ちょっとした違いが悲劇を生む、といったテーマを感じることもできるのですが、そのあたりの方向にもうすこし踏み込めば良いのではないかと考えました。

15 忘れるを知る 1000
「これが大人の態度というものだろう。」といったところが作品の言うべきところだとするならば、なるほどと思いました。
小説がある意見をはっきり言ってしまうというのは、危険なのではないだろうかと考えます。私だけかもしれませんが、小説の中で明確な意見を見ると、言ってることがどうであれ、なるほどという意見しか持ち得ません。
であればどうすればいいかと言えば、小説を装置として置き、読むという行為を通してその意見なりを読者も持ちうるよう経験していただく、ということなのではと考えています。

16 冬の思い出 997
最後のあたりの状況がよく分かりませんでした。凄惨な光景を見せることがテーマだったのでしょうか。
少年達、女、俺、という3者が小説の中に登場していると考えているのですが、それぞれの役割が曖昧だった印象がありました。が、3者が精神的には何も絡み合わず、物理的な距離は近いのですがそれぞれの世界がただ独立しているような感覚もありました。したがって孤独を感じました。

17 羽化と、その後 493
寂しい感じがしました。醜いアヒルの子という話を思い出しました。
オリジナルを感じる話というのは難しいなとたびたび考えるのですが、その脱却は、小説や映画といった展開のあるものではなくて、机や庭といったものから引き出してくるのが良いのではないのかなと考えています。
電気ポットを小説に置き換えるとするならば、お湯を沸騰させて貯めておいて必要な時に使用するという機能面から、ある高ぶった感情が貯められ、折にふれて吐き出されるといったストーリーが思い浮かびます。そしてポットを一人物に置き、それを使用する人物、ポットから出されたお湯で入れられたお茶を飲む人物などを立てたり。あるいはSF的思考ですが電気ポット人間などを直接出してしまっても問題ないかもしれません。漫画のAKIRAのアキラくんは核エネルギーを擬人化したものだと考えられなくもないという話ですし。

18 ニルヴァーナ 1000
SFだなと思いました。
テキストのフォルムとして逐一改行することについて考えました。私のPCのモニタいっぱいに開いたブラウザでこのお話を見るとすべての文が折り返しされずに表示されます。ブラウザのウィンドウの幅を縮めると折り返されます。携帯から見ると折り返しばかりでした。文章の見た目で印象も変わるので問題とするところと考えるのですが、こんなに読書環境で様相が変わってくるとなると実作時に大混乱をきたします。
テキストの表現効果として考えると、逐一改行は映像のカット割のように感じました。

19 ダイエット 1000
これでは痩せられないだろうなと思いました。
夫人、先生、友人、そして語り手の4者が登場してくると考えるのですが、それぞれの機能的役割に濃淡をつけてあげれば印象深い話になるのではないのかなと考えました。話の面白みは暴走する婦人のところだと思いますので、そこを目立たせるために先生、友人をより理性的な人物にするといったことが考えられます。また語り手と友人を一緒にしてしまって、友人が喋っているという格好にしても良いのではないのかなと考えました。

20 景色 878
亡くなった息子さんを回顧するイメージを描いたお話なのかなと思いました。
「蜘蛛の糸」が冒頭に説明もなく出てきて、「蜘蛛の糸」をどう解釈してこのお話に登場させたのかが気になりました。
梅の木の影が動きだすところは良いなと思ったのですが、全体のトーンが語り手の独白で一本調子のトーンのために、作品としての華やかさに欠けるかなと思いました。登場人物を増やして対話させても良かったのではと考えました。
全体的に文章が装飾過多ではと思いました。「棚から花瓶の落ちるが如く、抗(あらが)えずにかくんと力が抜ける」といったところなど、「かくんと」と「花瓶の落ちるが如く」は同じ意味なのでどちらかひとつで構わないのではないかと考えました。
「黒んぼ」は扱いの難しい言葉ですね。

21 ダークマター 1000
研究者の割には前半の説明の言葉がやわらかいんだなと思いました。
この文章の書き手は作者というのは分かっているものの、作者自身が書いているという見た目ではなく、研究者が書いているという見せ方をしている訳ですが、この記述者の問題というのも、コントというかこういうエンターテインメントにとっては何のために書かれているテキストなのかというあたり、難しいと思います。作者の個性を前面に押し出すことで圧倒するという方法もあるかと考えたりするのですが。

23 お母さん、僕はここにいるよ 992
なんだか冒頭のところの家族の人数や年齢などやたらと全角の数字がちらばっていて、謎めいた雰囲気を漂わしていておりました。雲がまだらに空を覆っているような感じで、このテイストで突き進んでも良かったのではないのかなと考えたりしました。
ものすごくよく考えることなのですが、最初の一行「お母さん、僕はここにいるよ」などといった作者には分かるんだけど読者にとってはいきなりだと分からないようなところ、つい私も書いたりしてしまうのですが、やっぱり読者にとってはいきなり内容から入っていったほうがベターなのかなと。

24 天然 1000
面白かったです。
最初慣用句誤用全部指摘して1000文字にして来月嫌味で投稿しようと計画していたのですが、途中で気づいてこの常に足の指を進むたびにごきごきと挫いてゆく小説の快楽の連続は連続しているというところに一番の旨味があったのではないのかなと考えています。文脈の放埓や意味錯誤、「電車に乗車する」式二重表現が連続するとこういった浮遊感が生まれるのだなと思いました。
最後のパーツがあることによって安定感はあるのですがないほうが良かったと考えています。特に「78期」という狭い言葉の使用。特に「眉間に皺を寄せた。」などの慣用表現。特に「ニコリと微笑んだ。」のところでここも二重表現と解釈できるところ。

25 春はトンカツ 1000
「春のトンカツ」や「クライスレリアーナ」といった転がしてみたくなる言葉が散らばっていて、「コーヒー、ワン!」「ハンカチ、わんっ!」などのリピートなど仕掛、小道具としての気球など、テクニカルだなと思いました。それらが使われている日記のようだなと思いました。

26 卵 1000
「もう元には戻らない」と卵で暗示しつつやっぱり「憂鬱な会社に行った」と元の生活に戻っていってしまいそうな雰囲気にするというのはちぐはぐなんじゃないだろうかなと思いました。しかしむしろちぐはぐの連続というのもむしろ面白くなる要素になるのではないのかなとも考えました。
色々試行錯誤することはとても大切なんだなと思いなおしました。

27 犬の木 1000
鶴の恩返しを思い出しながら、助けた犬が死んで埋めた後で鳥がやってきて話しかけてきて、もしかしたらこの鳥は犬と何か関係があるのかなと読んで思いました。埋めた後に植物が生える筋書は神話を思い出させてとても良かったなと思いました。むしろ生え始めた後の方が気になるかなとも思いましたが。
起承転結を作った後、ぐっと縮めてそれを起承にしてしまうというのも面白いと考えています。

運営: 短編 / 連絡先: webmaster@tanpen.jp