#1 哲学的少女
カフェで、少女がフラペチーノを飲みながら哲学的?なことを考えている、という設定。
重々しい雰囲気の文章から、最後の、日常的な軽い雰囲気の文章へ急に切り替わったところが少し面白かった。
#2 アサイラム
避難できる場所(アサイラム)があるのは幸せなことだと思う。
子どもの頃は自分を守ってくれる人間が沢山いるが、大人になると自分のことは自分で守らなければならないし、避難できる場所も少なくなっていく。
子どもの頃の「婆ちゃん」みたいな存在は、とても貴重だったんだなと。
#3 マッチョマン微笑
筋肉は、体を動かして生命活動をするために必要なものだが、表情筋は無くてもたぶん生きていける。
しかし人生の幸せを感じるためには、笑顔になることが必要なのかもしれないし、その意味で、表情筋も無駄ではないのかなということを考えた。
#4 敵の敵は味方
敵は、仕方なく生まれてしまうもので、わざわざ作る必要はないと思う。
#5 鳩のはなし
孤独な鳩が、傷ついた鳥と出会って世話をすることに幸福を見出していたが、快復した鳥は1年後に去ってしまい、再び鳩は孤独に戻るという話。
鳩の孤独が鳥によって癒されていく部分は良かったが、再び孤独に戻った鳩がなんだかかわいそうだし、もう一展開、何か救いのようなものが欲しいなと思う。
#6 アップデート
前々回の『まぼろし』という作品と、アイデアや内容がかぶっているので、感想も前々回と同じようなものになってしまう。
作品を単独で見ると、うまく話しがまとまっているし、そう悪くない出来だと思う。
しかし、ある作者の作品を継続して読んでいる者からすると、同じような話に見えてしまう。
#7 アジの食卓
家族を守ることは並大抵のことじゃないだろうが、そのやり方は人それぞれなのだろうなと思った。
#9 抗えない魅力をもってそれは
ボタンがあるとそれを押したくなる衝動があるのと同じで、ドミノも最初の一つを押したくなる何かがあるのかもしれない。
個人的には、それを押してしまった結果、とんでもないことが起こったら怖いので、なかなか押せないが。
#10 ふりだしへ戻る
今まで歩いてきた道が突然途切れて不安になる、という感覚は分かる気がする。
自分だったら、元来た道を戻って別の道を探すか、または自分で道をつくることを考えるかもしれない。
しかしこの話には、そういう選択肢がなく、死刑台に上がるような感じなので、どうすればいいのか分からなくなってしまう。
#11 出してごらんよ
「大人にやらされている感」みたいなものは、誰しも子どもの頃、多かれ少なかれ感じたことがあるんじゃないだろうか。
それに、子どもには、大人が提示したこと以外の選択肢が基本的にない(義務教育だから(本当は子どもに義務はないのだけど)学校に行くしかないといったこと)から、自分で物事を考えられないような気がするのかもしれない。
そういうことを踏まえると、子どもにとって、自分で物事を考えるのはすごいことだと思う。
#12 花弁一片
思い出というのは、今の現実とは別の世界にあって、その思い出に触れた瞬間に、別の世界に連れていかれるような感覚がある。
あくまでもそれは思い出という名の別世界であって現実ではない、という寂しさみたいなものがあるのだけど……といったことを考えた。