仮掲示板

にぎやかし

〉岩西さん、改めましてはじめまして。お世話になってます。

 こちらこそ、はじめましてです。

〉集中力の足らない真面目に考えられていない作品だった。

 変に傷つかないでほしいのですが、この感想、結構腑に落ちたのです。

「芸術は、受取手に精神を発生させる装置としてある」
 これは、最近わたしが絵画などの芸術に対して感じていることのひとつであります。小説も同じだと思います。制作者がある意図や目的を持って作品を表現しても、受取手(読者)はそんなこと関係なくて、自分のフィルターを通してでしかその作品を評価できないのです。まぁ、制作者の精神や歴史を読み解くといった評論家や研究者みたいな見方をすることもできますが、それはそれほど重要ではないとわたし個人は思っております。
 「真面目に考えられていない作品」が腑に落ちたのは、ある種のテクニックのようなものが見えたからであります。複数の要素を組み込んで、小説としての結末を表現してあり、小説としてまっとうであるからこそ、腑に落ちたのであります。わたしも含めて、もっと不完全なパワーがほしいのですが、定型や作者の色といったものがどうしても数を重ねると出てしまうものです。
 今回は、たぶん、前田さんに票がいくと想像していますが、だからといって「傘を取りに来ただけだから」がずば抜けて素晴らしい小説であるとも思いません。ただ、荒削りな部分(不完全なパワー)が真面目に取り組んでいる様を見せつけている(これも受取手の精神でしかない)ので、対照的にクロクマさんの作品が真面目でないといった表現の感想になったのだと想像しています。

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