仮掲示板

短編感想

 あー、なんか色々書いてしまったが、ご理解いただきたい。

「傘を取りに来ただけだから」
 台形や三角形からながめる映像はどこか絵画的表現に通ずるものがあり、僕の中では映像として鮮明に捉えられた数少ない作品のひとつであった。意味のない言葉、なにげないやり取りも大切な空間を形作る要素として秀逸だと思う。この感覚は完全な想像だけでは表現できないように感じる。実際の出来事を小説に仕立てたように思う。次回の投稿も希望しています。◎

「真実とは」
 言い訳じみた言葉によって「わたし」の価値観を台無しにしているようだ。「ときどき雨」のように作者の価値観は時として作品を破壊する場合だってある。実際に何かがあって「わたし」がぬれぎぬを着せられ「あの子達」が最低になった原因が少しでもあるとすれば、それを描くことで作品としての価値が出たのではないかと思う。作者は原因を知っているはずである。いや、作者しか知らないのである。それを出してほしかった。

「ここがどこか分からない」
 スマホがある現代で分からない場所などあるのであろうか。と読み進め、迷子だったのかと。でも、この違和感は何だ。そうだ、一人称なのだ。迷子になる年頃の子供にしては一人称の語りが少しズレているというか、目線が違い過ぎる。前半はどうしても大人を想像して、知らない街に迷い込んだ、あるいは異空間の出来事のような感覚に包まれる。結を子供を前提とするならば、ここは神の視点(あるいはもっと別な表現で)などの方がしっくりくるのではないかと思う。

「いいひと」
 いい小説のタネみたいなものは感じます。「スペースコブラ」を観るとウイットに富んだやり取りが面白いのです。ひとこと、ひとことの返しが。その感じがあと少しで生まれそうな気配だけは感じられます。わたしが美容師ならば、私は客であり、髪を整えてもらうが鏡は見るだろう。わたしが介護士ならば、私は介護者であり、老人の戯言のようでもある。いずれにせよ、シシオドシのある空間にいるという不思議さはあるがしっくりとこない。

「ヒーロー」
 悪のパターンというか、あぁ、そうなんだという、やっぱりそうなんだという感想。真意も見越してのヒーローだとしたら、いや、それでも、見る人が変わればヒーローは悪にだってなるし「真実とは」のわたしとあのこ達のように関係は曖昧であり、そもそも僕の言動からするとヒーローは既に悪の手先である。何がヒーローで何がヒーローではないのかを描いてほしかった。

「生まれ変わり」
 くしくも前作のタイトルと「生まれ変わり」の作者の名前が一致したのには笑った。何故、臆病な僕が死んだのかの描写がもっと描かれていると良かったと思う。彼女の親御さんに結婚のあいさつにでも行くのか。それとも、もっと違う意味での臆病さなのか。ちょっと物足りなさが残る。前作「危険な薬」のようにある意味分かりやすい展開も必要なのではないだろうか。読者のとっかかりのようなものが。

「冬の日、昼休み」
 結局何だったのか。サトシは本当は死んでいて、マサアキの幻を描いたのかと最初は考えたが、サトシは単純に浮浪者のような存在になっていたのかも知れないとも思った。その場合、マサアキはそんなサトシと同じベンチに座ることができるのであろうかとも思う。内面に抱えた嫌悪というのか。この作品も、もう少し何故そうなったのかの背景描写があるとしっくりきたと思う。俗に言う起承転結を入れるには文字数が足りないことは分かる。だから、転になる部分(オチのような)だけでも強調できたら作品としての安心感が生まれるのではないかと考える。

「療養所」※自作についての説明
 僕に関わりある人が高次脳機能障害になり人間として崩壊した事実と、ASLという難病を知ったことから「療養所」は生まれた。青年が療養所での出来事を瞼で記載し、それを消してまたはじめから記載するといった繰り返しを描いたのだが、どうであろうか。記載は消されるが、記憶までは消せない。その葛藤を描きたかった。

「合コン」
 この作者は一貫して男女の間を描いている。たぶん、毎回登場人物は同じなのだろう。そうなると、ちょっと食傷気味になるのは仕方のないことなのか。ハナシとしては良く出来ていると思うがウィットに富んではいない。今回は男女間なら「傘を取りに来ただけだから」に票を入れたい。

「ときどき雨」
 こういった作者自身の弱肉強食の世界観を描くことは非常にむずかしい。小説は架空の出来事ではあるが、作者の物言いは作者の現実からくるものであり、作者の考えが如実に現れる部分になる。的が外れると選挙演説の如く読者の気持ちがしなびてしまい、声を大にしても感情は読者の心に届かないでいる。でんでん虫を食べる様を「もぐもぐ…」と表現するのは好きではない。

「紅い花」
 千原ジュニアも結婚後、嫁さんと一緒に住むようになって原因不明の熱が出たとか。同居に対する拒否反応みたいなもの。ここでは同居人を殺害することでその呪縛から逃れられたのか。実際にお金がないのだから手術はできないといった場面は笑わせる。そんなウィット感は素晴らしいと思う。いっそ、ウィットで通してしまっても良かったのかもしれない。

「銀座・仁座・賀座」
 一貫している。実際を記録した日記のようでもあるが、それは作者のみ知ることであろう。「合コン」同様この作者も僕にとって食傷なのであるが、続けることは大切である。いや本当に。悪気のない親切はどこにもはけ口がない。こんなのが一番堪える。悪いことばかり書いてしまうが、こういうタイプは必要なのであるし、安心もする。

「俺たちがスーパーファミコンだ」
 手の込んだ作品であると思う。一部、二部などの分け方に上手くは言えないが映像を感じさせるもの(戯曲ではなくて、小説自体が演劇としての要素を含む感じ)がある。結局、何かがそうなると結果はこうなる、みたいな展開がないので作品に好感が持てたのだ。短いセンテンスも小気味好い。○

「人間」
 この作者は被災や社会問題を上手く取り入れた作品を多く描いている。女の子は死んだ人間なのか。それとも森の妖精なのか。とにかく戦争の匂いを感じさせる作品である。都市の中の人間ではない人々は比喩としての表現なのか。それとも本当に人間外のものなのか。ただ、結婚、生活費を稼ぐ、といった部分は生活感を出すので「つるの恩返し」のようでもあり残念だと思う。何かがそうなると結果はこうなるといった部分が出てしまった。

「川辺の香り」
 鮎は香る。泳ぐ。海ではなく川なのである。言葉のつながり、チョイスが奇麗である。女性の陰毛に対する衝撃のくだりは素晴らしいと思う。そんな感覚、あったことを懐かしむ。そう、三角形なのだと。だから、純粋に鮎、香、川、水などのみでの作品の方がしっくりくるような気もするが。ピルのくだりはなんだか萎えてしまうのである。もっと純粋に。透明な水の中を泳いでほしかった。○

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