3 私の好きなもの;リベルテゆき
この小説では、生まれつき盲目の主人公が、目の見える人の世界、つまり光や色の有る世界を、あたかも渇望しているような描き方がされているようなのですが、生まれつき盲目の人というのは、本当にそんなことを望んでいるのでしょうか? 立場を逆にして考えてみると少しは分かりやすいかもしれません。つまり、“目の見える人(もしかしたら作者自身?)”は、“生まれつき盲目の人”の世界である“光や色の無い世界(あくまでも物理的な意味で)”を渇望しているでしょうか?
もし“生まれつき盲目の人”が、“光や色の有る世界”を一方的に渇望し、現状に不自由しているのであれば、それは、私たちの社会が“目の見える人”のために作られた社会であるからにほかならず、とても悲しいことだと思います。
この小説は、作者の優しさから出た表現であるのだと理解します。しかしこの小説を読む限りでは、――“生まれつき盲目の人”というのは、かわいそうな人である――という同情の気持ちしか伝わってきません。やはりそれだけでは、重要な何かを見落としているような気がするのです。
でもこの小説の良い点をあげるとすれば、それは“生まれつき盲目の人”の心の中にも、光や色を感じとる感性が宿っているのだということ示した点です。つまり“心の目”というものでしょうか。
そうであるなら尚更、“心の目”で見た世界を描いて欲しいと期待します。
4 映画;ケント
状況がよく掴めない、という難点がある。でもヌーヴェルヴァーグの映画やそれに追随する実験的な映画にはよくあることかもしれない。イメージがイメージを呼ぶ――捉えようとしても捉えられない、変化し続けるイメージ――そんなことを表現したかったのでしょうか。
5 バイクで走る;灰棚
今のような時代にあっては、“幸せ過ぎる悩み”といったところでしょうか。例えるなら今の時代の若者は、街灯の壊れた夜道を無理やり歩かされていると言えるかもしれません。
でも幸せにケチをつけたくはありません。星を眺め、バイクをぶっ飛ばし、女性にみとれ、人生に悩むのもまた、素敵なことです。