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 絵画にはそもそも言葉はなく、ある種のバランス(抽象・具象、色彩など)を直感で感じとる芸術だと思っている。言葉ではないものの感想を言葉で表現する。言葉で表現できるんだったら、絵画は必要ないのではないか。ふと、そんなことも考えたりする。小説はどうなのかと考える。

「宵待ち」
 宵とは日暮れのことらしいのだが。それを知って読み直すと夜のこない世界が広がっている。この世界は昼間のみで書かれていて、やがてこない夜がある。宵がまだあった時代に生まれた店長と客との会話、そして、宵のない時代に生まれた主人公。ただ、その状況のみならず、もう少しその先は知りたい。おしなべて文字数にまだ余裕があるので、文字数を増やして主人公である店員のその先を書いてほしいと思った。

「金平糖と僕達」
 灰とは燃え尽きたあとに残るものではなく、いろいろな色の金平糖がつぶれて混ざり合ったという意味なのか。立ち歩きができる頃の自分は真っ白だったと、読んだ。好きな部分は「色」をつけないところ。若い頃、わたしは白や黒は色ではないと教わったこと(異議はあるとは思うが)がある。前半部分の彼女が何故、金平糖の瓶を出したか云々はいらないかな。単純に菓子屋の棚に並んだ瓶でも良かった。△

「憧れの幽体離脱」
 いいと思う。わたしには太陽に向かって行った二人は自殺したのだと感じてしまったのですが、もっと楽しい世界へ行ってしまったのでしょうか。暗示のような読みをわたしはできませんが、とにかく、歪感(普通の中にある少し歪(いびつ)なもの)が出ていて好みです。だけど、どうも、ひっかかるのです。次回も男女間のやり取りなのでしょうか。一作目と同じく荒削り感もあるし。いいものは感じるんですが、今回、ダントツではなかった。嫉妬。○

「ねえ、スタン」
 この店、アバンティですか? この作者の文体というか創作のパターンには少し抵抗(わたしには投げやりな書き方に見えるし、エロに逃げている感じもする)があったのですが。スタンのせいで評価ができなくなってしまう。ただ、アリクイを持ってきているのに、歪感を感じないのは何が原因なのでしょうか。腹に残らないのです。

「Death and Alive」
 訳すと「生」と「死」でいいのかな。殺されるというパターンとしてはうまくまとめられていると思う。別に夢だってかまわないし、同じことが繰り返される(何か的確な言葉があったように思うが忘れてしまった)表現もいいと思う。最後は現実なのか、それとも夢から覚めるのか。わがままですが、次回は何かもっと不完全なものを望みたい。

「銀座・仁坐・寒坐」
 そうか銀座か、と改めて思う。この作品のタイトル一覧を見ていて最後(今回は寒)にコンセプトのようなものを知る。面白い面白くないで言えば面白くない。でも、わたしはこの作品を通していつも村上友晴という画家を考える。作者にそういった意図はないと思うが、一種、業(ぎょう)のようなものを考える。ただ、絵画は言葉ではないので推察するのに自由度はあるが、この作品は言葉として既にあるから、それに対して感想を書くのは難しい。

「おら動物になりテェ」
 こういう破滅的な文章は好きですが、いまひとつ腹に残らないと感じている。結局、愚痴のようでもあるが、四十前後の年齢だと感じる一種の共通した感覚。書くことで浄化される部分もあるし、みんな知ってて慰めてんだよ、自分を、とも思う。やりたいことって何だろう。責任感のあることは惨めなのか? やりたいことやると幸せにでもなれるのか? 対局に「置かれた場所で咲きなさい」があるのだと思う。

「スクリャービン」
 たぶん上手いんだろうけれど、わたしの腹には残らなかった。今回考えていた歪感にもっとも遠い小説だと感じた。だからといって評価が低いのではない。所謂、ワキガは人を覚醒させる力を持っている。書いてあることを理解することはできるけれど、その先の共感できる何かが見つからなかった。でも、本当はそんなもの最初から無くって、書かれている以上のことを感じる必要なんてないとも考える。静物画で果物を描くことは単に果物を描いたに過ぎないのであって、画家の心情とか時代背景云々なんて説明は後づけなのだとも考える。

「放っておけない私」
 多重人格ではないが、自分がもう一人の自分に語りかけるような感覚はある。本当はこうしたい、ああしたいがあっても、いや、世間体はこうだからとか。マスクの救急隊員にウイット感を入れたつもりであるが、どう感じてもらえるだろうか。

「えび天」
 前回の続きということで。この終わり方だと次回も同じ流れなのか。作者のサイトには「人間の女」と自己紹介があって、今までの作品も女目線を感じてはいたが、今回の作品は男である。前作の女の服選びの中での会話には女特有の陰鬱さ(程良い言葉が見つからない)が見てとれた。しかし、今回、書こうとしている男は、どうも、浅はか過ぎる気がする。特に歪を持たない小説だから、会話のやり取りはもっとウイットに富んでいてほしかった。

「体内時計」
 同じ労働時間内で出来る仕事量というものは他者とでは違いが出るのは当然であると考えている。だったら、仕事の速い人間は労働時間の短縮(もしくは給与面での優遇)だってあるし、もし、一日の仕事量が決まっているとするならば、手の遅い人間はやはり残業はあるのだろう。いやいや、残った労働は他の人間がやるのだから労働時間は同じ、だとするのならば、やる気やノルマといったものは必要なくなり、より、労働者にとって悪影響がある。しっくりこない。
 ホワイト企業というものは存在しないのであって、ブラックの中でいかにやりくりするのか、わたしはそんなことを現実世界で考える。

「夜行船」
 いいのだと思う。qbcさんの作品はいいのだとの先入観が先にあって、だから、これを評価しないのはわたし自身に問題があるのかも知れないと思う期もあったが今回は違った。普通なんだけれど、少し歪でもある、何かが書かれているのではないけれども、確実に何かが書かれている。これは前作には感じなかったことだ。いいなぁと思う。◎

「シューカツが終わるまで」
 あえて言うならば、まとめられ過ぎ。いいということの感想を書くのは非常に難しい。この作品にも何も突飛なことは書かれてはいないのだが、歪な空間は確実に存在している。澱が沈殿したよどみない上澄みの存在は感じる。同じく、寝るシーンで終わらせる「夜行船」には温かさがあるが、この作品には冷たさを感じる。○

「ひとめみた瞬間に」
「××されない化け物」
「人という存在」
 三作まとめて申し訳ないが、創作初期にありがちな皆がよく書きたがる思いつきが書かれているように思う。言いたいのは分かるが、すり切れるほど使い回された感は拒めない。自分の想いだと感じていても実はよくある表現だったり。だからといってこういった創作方法の脱却に時間のかかることも分かっている。ただひたすら書いて、書いて、身体からその澱をはき出したあとに残った上澄みがほしい。

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