「魔女の空」
魔女が妻であった、ということであろうか。場所、状況の描写があって、魔女の手の指輪で読者を混乱に導く、という書き方は悪くはないと思う。それはそれとして、もう少し僕と魔女と妻の関係性の説明がほしいところである。前作でもそうであったが、作者は書きたいことを自身の脳内処理で片付けてしまって、読者への説明をあたかもしたかのような錯覚に陥ってしまっている。
「おれのおじさん」
一見、何もない小説でも心に残るものがある。何もないと思わせるほど微妙な気配の描写が何もないように見せている小説の特徴であるのであるが、この小説は単に何もない小説のように見える。ドラマチックな展開を期待してはいないが、小説としての展開はもう少し必要であろう。戦闘機や戦艦の模型から何かが導けそうな感覚はあるから、おじさんは戦争へ行った人なのか、もしくは戦後生まれの人なのか、そんな人生を書くことで小説に広がりを持たせることができたとも思う。
「第二幕」
劣等。
「ルーティン人生」
うまくいかない葛藤を書くと破壊的になってしまう。夢から覚めても般若がそこに居る理由は知りたいところである。こういった鬱憤、心の揺らぎを小説にしたくなる気持ちは分かるが、読者として見ると、だから何、となってしまうのも事実。それを回避するためにはイライラの原因を書くことである。
「ある夜」
感傷が強く出たことで、小説っぽくなったと作者は思っているかも知れない。けれど、夜にラブレターを書くようなもので、実は何も書いていないのと同じなのではないだろうか。夜眠れなくて月を見る。そこからのノスタルジー。こういった感情を悪いとは思わないが、読者からすると、ありきたりである。もっと新しいものがほしい。
「羊飼い」▲
嘘をつく感覚をテーマとしたことは評価できる。嘘をつくことに愚鈍になった主人公は、嘘で自分を表現するが、嘘という嘘なのか、嘘という本当なのか、ここは表現の難しいところである。前作もそうであるが「平和」や「嘘」を通して作者は言いたいのであろう。しかし、浅く、一方向にのみ突出してしまった主人公の感情は決して読者を引きつけるものではない。嘘を通した主人公の哲学や存在意義がもう少し魅力あるものとして書けていれば読者を納得させることができたかも知れない。
「闇と光と」
面白い小説の種のようなものを感じるが、次回でそれを実らせるわけでもなく、結局、今回も消化不良のような感覚になってしまうのであろうか。「死」に対しての結を次回で示さないのであれば、一話完結での展開をもう少し考えた方がいいだろう。この小説は「起承転」で終わっているので、どうも後味が悪い。
「遠い西洋」●
こういった宙に浮いた感覚の小説を作者は得意とする。はじめ、何んだかわからず読み進めて、ははぁーん、と納得できる読者の体験は心地よいものである。いや、書いていることはどうだっていいことであるが「西洋」を「赤と緑のパンツ」で表現するなんて脱帽である。真面目におかしなことを語るというギャップに妙に納得させられる。
「いつか私を殺しにくる」▲
多少こじつけ感もあるが、最後の一文を吐き出すことで納得を誘う小説である。書き方は違うがそのテイストはここ数作貫き通されている。結局のところ、最後の一文以外をどう処理するかにかかっている作品である。ある程度スキルを持った作者の書き方は方程式としては正解かも知れない。言葉選びも的確。ただ、そういったこととは別に「面白いなぁ」と素直に味わえないのである。
「坩堝」
先の明るくない小説を今は受け付ける気分ではない。誰もが殺人者になっていく様は、頭を混沌とさせ、読者の思考を奪う。これは作者の特徴であるので否定はしないが、受け付けるエネルギーが今の私にはない。
「川向の喫茶店」
地に足の着かない設定がまず気になった。こういった設定は上手く処理しないと、とんでもないものになってしまう。NHKスペシャル「AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン」を観ていて、AIの答えは、そのプロセスが理解できないものも多いことが分かった。それでも多少、読者への歩み寄りは見えている。
経済活動ができないということは「川辺」と「川向う」は同じ意味であろう。だとすると「脱サラ」と「追いやられ」には違和感が残り、結局自分の意思で国の保護下に入ったのか、意思とは関係なく追いやられてしまったのかが分からなくなる。弾かれた者の淹れたコーヒーを飲みたいのであろうか。少なくとも私は経済活動の中で缶コーヒーを飲む。