●掲示板
【第181期の感想/岩西 健治さん】
「超能力カップル」●
最後に一番言いたいことがあって、それを語らせるために1000文字の助走がある。作者の特徴的な書き方になりつつある。好きなものは最後まで取っておくタイプの小説。これを書くためには、素材を選定して、組み替え、印象づける言葉、などを巧みに考える必要がある。もちろん、このタイプ以外の小説でも同じことをしてはいるのであるが、その差を量るにはどうすればいいのか、それを考えていて、ふと、詩に曲をつけるのか、曲があって詩をつけるのか、を思い起こした。私は曲に言葉をのせた方(こちらの方が感覚的に作業がしやすいと思う)がしっくりくるのであるが、この小説は、たぶん、詩に曲をつける感じ(ジグソーパズルのように整然と作業する行為)に近いように思う。そんなこと勝手に考えて、作者の創作に私はいつも脱帽している。ただ、その作意的行為が私の心に響き過ぎることもある。前作はそれであった。それが、私の中の評価を下げることになるのであるが、今作の評価は中間といったところか。本音を言えば、たまには作者の作ったカップラーメンも食べてみたいのである。
⇒「ジグソーパズルのように整然と作業する行為」という自覚はあまりなくて、どちらかといえば、その場の思い付きで書いている感覚が強いと思います。ただ、その場の思い付きであっても、全体のまとまりとか矛盾がないかどうかということも考えながらやっているので、結果的にジグソーパズルを解くような感じになっているということはあるかもしれません。もっと楽に書けたらいいなとは思うのですが、そうなるためにはもう一皮むける必要があるのでしょう。
それから『つぶやき』で岩西さんが語っていた罪悪感についてですが、小説のような表現行為をやっていると、現実の事件に内容が似てしまうということはたまにあると思います。まともな人間であれば、被害者や遺族のことを考えて、罪悪感を覚えるのは当然のことでしょう。私もまた、例の作品に票を入れた立場にあるため、もやもやとした罪悪感があります。われわれがやるべきことは、被害者の冥福を祈ることと、その「罪悪感」から何かを学びとることではないでしょうか。
●予選
2017年10月31日 23時57分13秒
読後に考えさせる余韻や主張がある所が良いと思えた。何度か読む方が味が出てくると思う作品。
⇒「何度か読む方が」というのは、ちょっと分かりにくい部分が終わりの方にあるので、一度読んだだけではピンとこないということかもしれません。しかしそれを「味」と捉えてもらえたのは幸いです。