年の初めから厳しい感想になってしまい、申し訳ありません。
今年もよろしくお願いします。
#1 あふれだす恋愛衝動
素朴な恋愛感情の話。素直な書き方で好感が持てるし、話の進め方も悪くない。しかし、よくあるテーマを、よくありそうな感じでなぞっただけというふうに見えてしまう。テーマはありきたりでもいいと思うが、それをありきたりじゃないように書くのは難しいことだ。でもそれをやることが表現することなのだと思う。
#2 にわか仕込みのかめはめ波
意図的に話を脱線させるような書き方。面白い試みだとは思うが、あまり意味のある脱線ではなく、とにかく脱線させたくて脱線させただけに見える。作者としては、それこそが意図していることなのかもしれないが、読んでいる方としてはその表現が前のめりすぎて、表現を押し付けられているような気がしてしまう。「意味のある脱線」というのは説明するのが難しいが、新しい展開を作るような脱線とか、物語に広がりを持たせるような脱線ということになるだろうか。この作品では、脱線によって、多少は物語に広がりを出すことはできているのかもしれないが、それ以上のものはないような気がする。
それから一番最後も、彼女の話を強引に貼り付けて、とりあえず終止感を出しているだけに思えてしまう。
#3 落ちようと思って
マンションから落ちる意味が分からない。ただそのことを読者に突き付けても、解釈のしようがない。それから「ビニール傘の重みが不快でたまらなかった。」というのもよく分からなかった。全体的に言葉が足りない気がする。
#4 爆発!
父親のおならを、中二病的な世界の出来事として大げさに捉えようとする少年の話ということか。発想は悪くないと思うが、もっと中二病的な演出があったほうが良かったのではないかという気がする。これでは少し物足りない。
#5 赤瓦の屋根は海の向こう
沖縄というのは、もちろん外国ではないが、いわゆる日本本土とも違うという微妙な距離感があると思う。だからこの話は、東北や九州などの地方出身者の上京の話とも微妙に違ってくるのではないかと思ったが、そうした微妙な違いは特に読み取れなかった。スパムやシーサーといった沖縄っぽいワードが所々に使われているだけで、よくある上京の話と変わらない気がした。この作品の作者が沖縄出身者なのかどうかは分からないが、あまりリアリティを感じなかった。
#6 獅子の山
獅子にさらわれた子供たちを、その父親たちが助けにいく話。子供たちを救い出したところまでは、話が理解できたのだが、最後のほうの、父親たちが子供たちに取り囲まれ、自らの銃で死ぬという展開がよく分からない。唐突すぎるというか説明不足だと思う。
#7 故宮の恋
北京での話までは、歴史的な建物などの、日常とは違う特別な場所で男女が自然に近づいていく感じがとても良かった。映画にしたくなるような情景だと思う。しかし、その後の展開として描かれた最後の部分は、北京での話に比べるとかなりショボいというか、どうでもいい話に思える。なぜこんな書き方をしたのだろう?
#8 八咫烏
「侍」を切り口にサッカー日本代表の話を書くという発想は面白いと思うし、モデルとベッドの上でやり取りをする場面までは面白かった。しかし最後のほうは、なんとかまとめようとして尻つぼみになってしまったように見える。最後の「かたじけない」も、取って付けたような感じがしてしまう。
#9 最期まで。
病の深刻さや、死ぬことの重さが今一つ伝わってこない。物語のために用意された病や死でしかないように思える。恋愛の話がメインだとしても、恋愛の部分だけがフワフワ浮いていて地に足がついていないような印象になってしまう。
#10 死語の辞典
この作品では、文字と言葉をほぼイコールのものとして描いているように(混同しているように)見えるが、文字と言葉は別物だと思う。文字は基本的に情報を記録するための道具に過ぎないが、言葉は単なる道具ではなく、人間を人間たらしめている何かだろう。あるいは、文字を持たない民族はいるが、言葉を持たない民族はいないということを考えれば、言葉は文字より上位に位置するものだということが分かる。そして文字と言葉は、時計と時間の関係に似ていると思う。時計は時間を象徴するものではあるけれど、時間そのものではないはずだ。もしかすると、話を分かりやすくするために「文字≒言葉」としているのかもしれないが、やはり読んでいるとその部分が引っかかってしまう。
それから、始めに「文字を獲得する」ことを言葉の起源のように描いている部分にも違和感がある。いくら文字を獲得しても、それだけでは意味は生まれないんじゃないかと思う。「それ単体では意味をなさない文字」とは、「〇□△」みたいな記号でしかなく、それを「〇△」や「□〇」といった具合にただ組み合わせても、そこに意味など生まれないだろう。文字に意味を持たせることができるのは、基本的には文字をあてはめるための言葉が先に存在するからではないだろうか。もちろん、単語同士を組み合わせることで新しい言葉を作ることはできるし(「若い+者=若者」など)、作品の中に出てくる「文字の組み合わせ」というのはそのことを言っているのかもしれないが。
細かい指摘になってしまって申し訳ないが、言葉の本質的な部分を題材にするような話だったので、あえて指摘させていただいた。でも、言葉についていろいろ考えるきっかけになったことは良かったと思う。
#11 未来ちゃんと僕
テレビから流れてくる言葉をそのまま書き出したような演出。それはいいとしても、「小説のようなもの」をむやみに放り込みすぎたせいか、その言葉がほとんど意味のないものになってしまっているように思う。それに、テレビの言葉を書き出すことと、「小説のようなもの」という言葉を随所に放り込むことを同時にやる意図がよく分からない。
#12 愛おしい人
無理にハプニングを起こす必要はないが、よくある話をよくある感じで書いているだけのように見える。よくある出来事であっても、人によってそれぞれ感じ方は違うはずだと思うのだが、そういう違いの部分があまり見えてこないということかもしれない。
#13 蛟
両親を殺した仇の養子になる話。この手の話には親の仇だったことを知らされないパターンが多いような気がするが、この作品は初めからそれを知った上で養子になるというパターンだ。主人公は最終的に、仇である男を自分の父親として認めるわけだが、そうなるまでの過程の中で、男の中にいる自分(主人公)の憎しみや復讐心を想像するという部分が面白いと思った。自分以外の人間は他者であるが、他者とは自分を映す鏡のような存在でもあるだろう。そして他者を許すことは自分を許すことでもあり、主人公は最終的に自分を許したのだと思う。
#14 その日も、女は倒れるくらい働いた
単に「巨大好き」の話を進めていくのではなく、そこに妻の想いが重なっていくということろがいいと思う。単なる巨大好きだと救われない人生になってしまいそうだが、それを受け止めてくれる人がいることで、理解し難い「巨大好き」にも何か意味が与えられるんじゃないかという気がする。
#15 十か条
(決勝の感想と同じです)
箇条書きではあるけれど、ちゃんと物語が見えてくるのが面白い。あるいは、この箇条書きをもとに普通の形式の物語を組み立てても、多分それほど面白くはならないんじゃないかと思うし、箇条書きだからこそ面白くなっているような気もする。なぜ箇条書きにすると面白いのかというと、これが書かれた紙が部屋の壁に貼ってあるという状況や、それを見た彼氏がおそらく面食らっているであろう表情、そしてこの文章を、多分一人で書き進めている彼女の姿などを想像できるからだろうと思う。
それから、文章にあまり力んだところがないのもいい。こちらも力まずに楽しく読める。