無視されると思っていたので、お返事があり誠に感動しております。
プロの作家の一般的な形で慣れ親しんできた私にとっては、オチのない作品はどうも不安定な気分になってしまうのです。ですが、プロを目指している方々がいないのであれば、オチ云々は確かに野暮です。こういう世界もありです。プロを目指さないのであれば。
ですが、気になる「美しい」とか「綺麗だ」という感想は、小説に向けられたものではありません。これは、大自然の産物や風景に対する感嘆符です。小説というのはその大自然の産物や風景を見た作者の主観が入って然りです。主観つまりテーマ。確かに「オチ」「スピード」「意外性」を抜きにしても物語は伝わります。しかし、このテーマだけは欠かせない。テーマがない作品、テーマに気づかすことが出来ない作品は小説ではありません。ただの文章の羅列です。そしてそのテーマを読み手により的確に伝える要素として「オチ」「スピード」「意外性」をあげました。
自分に意味が分からないから、それはすばらしいんだという短絡的思考はなしです。
相対性理論は本当にすばらしいですか? そう思い込んでいるだけではありませんか? 以上です。
宣言をしておきながら手詰まり感がありましたので、変な題名で転機を自作自演。批評とは、肯定だけに非ず、否定だけでも非ず。故に、批判を無視することは、是に非ず。
〉 無視されると思っていたので、お返事があり誠に感動しております。
投票で、ご意見を意識しているといったものもありましたことから、それを読んだ方は各自それぞれに受け止めているかと思います。それを掲示板に載せたのが、偶然に私だったと、そういうことかと思っております。
〉 プロの作家の一般的な形で慣れ親しんできた私にとっては、オチのない作品はどうも不安定な気分になってしまうのです。ですが、プロを目指している方々がいないのであれば、オチ云々は確かに野暮です。こういう世界もありです。プロを目指さないのであれば。
プロとアマと指向が異なるべきなのか、根源的には同じであると思いますが、違うところもあるのかもしれません。プロでないからこういう世界もあり、とは、異なる見地からすれば、プロがやらない裾野にアマがいるとも言えるでしょう。もっともこれは、黒田皐月の同人漫画に対する見解ですが。
かく言う黒田皐月は、プロ指向ではありません。
〉 ですが、気になる「美しい」とか「綺麗だ」という感想は、小説に向けられたものではありません。これは、大自然の産物や風景に対する感嘆符です。小説というのはその大自然の産物や風景を見た作者の主観が入って然りです。
追体験に「美しい」などとという言葉を用いて良いか否かという議論かと思いますが、「美しい」が個々人の感覚によるものであり、このことも感覚的なことであると私は考えますので、絶対的な答えはないかと思います。
〉 主観つまりテーマ。確かに「オチ」「スピード」「意外性」を抜きにしても物語は伝わります。しかし、このテーマだけは欠かせない。テーマがない作品、テーマに気づかすことが出来ない作品は小説ではありません。ただの文章の羅列です。
これについては貴見のとおりかと。
しかし、それを満たさないものでも他人に見てもらいたいという欲求が実現される、悪く言えば実現されてしまうのが、ネット世界に代表されるような現代社会の姿かと、私は思うのです。と、それはきれいごとで、そうあって欲しい。
〉 自分に意味が分からないから、それはすばらしいんだという短絡的思考はなしです。
〉 相対性理論は本当にすばらしいですか? そう思い込んでいるだけではありませんか?
正に。そちら方面の成り損ないとしては特に耳の痛い言葉。
考えることを放棄してはいけないということ。
さて完結している意見にコメントをして何の意味があるのかは実は考えていない、黒田皐月でした。
タンソさんはじめまして、qbcです。
タンソさんのおっしゃられる、
>テーマを読み手により的確に伝える要素として「オチ」「スピード」「意外性」をあげました。
という部分にはとても納得します。
ところで、よく私は書く上で悩むのですが、
プロの書いた1000字小説というのを、
あまり読んだことがありません。
そもそも作品数じたいが少ないとは
思うのですが。
今後の参考と、興味のために、
プロの書いた1000字小説をタンソさんが
ご存知であれば、たいへんお手数を
おかけしますが、お教え願えないでしょうか?
発言の趣旨と関係の薄いご質問で、
申し訳ありません。
〉ところで、よく私は書く上で悩むのですが、
〉プロの書いた1000字小説というのを、
〉あまり読んだことがありません。
〉そもそも作品数じたいが少ないとは
〉思うのですが。
〉
〉今後の参考と、興味のために、
〉プロの書いた1000字小説をタンソさんが
〉ご存知であれば、たいへんお手数を
〉おかけしますが、お教え願えないでしょうか?
プロ作品でもなく、千字でもなく、そもそも小説でもないのですが、詩投稿サイト『文学極道』が、あるいはご参考になるかもしれないと思い、報告します次第です。
詩と小説は異なるものですが、中には物語のような作品もあるように見受けられました。分量としては、文字数を数えてはいませんが、感覚として千字程度かそれ以上のものが多いように思いました。
このサイトの最も恐ろしいところは、「批判上等!」の風土です。私の実力をはるかに超えているためそのレベルを見極めることはできないのですが、恐らく『短編』に投稿されている作品のうちの相当数は歯牙にもかけられないかと思われます。
題名どおり、三度程度サイトを流し読みしただけでしかないくせに発言してしまう、そんな黒田皐月でした。
黒田さん
早速の返信、ありがとうございます。
私もざっくりと読ませていただきました。
しかしながら、黒田さんのおっしゃるとおり、
サイトにも「詩を発表する場」とありますし、
私が求めているものとは違うように感じました。
「プロの書いた1000字小説」を
教えていただけるとありがたいです。
〉〉ところで、よく私は書く上で悩むのですが、
〉〉プロの書いた1000字小説というのを、
〉〉あまり読んだことがありません。
〉〉そもそも作品数じたいが少ないとは
〉〉思うのですが。
〉〉
〉〉今後の参考と、興味のために、
〉〉プロの書いた1000字小説をタンソさんが
〉〉ご存知であれば、たいへんお手数を
〉〉おかけしますが、お教え願えないでしょうか?
〉
〉プロ作品でもなく、千字でもなく、そもそも小説でもないのですが、詩投稿サイト『文学極道』が、あるいはご参考になるかもしれないと思い、報告します次第です。
〉詩と小説は異なるものですが、中には物語のような作品もあるように見受けられました。分量としては、文字数を数えてはいませんが、感覚として千字程度かそれ以上のものが多いように思いました。
〉このサイトの最も恐ろしいところは、「批判上等!」の風土です。私の実力をはるかに超えているためそのレベルを見極めることはできないのですが、恐らく『短編』に投稿されている作品のうちの相当数は歯牙にもかけられないかと思われます。
〉
〉題名どおり、三度程度サイトを流し読みしただけでしかないくせに発言してしまう、そんな黒田皐月でした。
タンソさん、はじめまして。
〉 プロの作家の一般的な形で慣れ親しんできた私にとっては、
〉プロを目指している方々がいないのであれば、オチ云々は確かに野暮です。
〉プロを目指さないのであれば。
・・・・・・とありますが、ちなみにタンソさんの書かれる「プロ」って具体的に名前を挙げれば誰のことですか? 興味があるので教えてください。「テーマに気づかすことが出来ない作品は小説ではありません」とありますが、読者って小学生からお年寄りまで、労働者から大学教師まで、いろんな立場な人がいると思うのですが、その全員が「すばらしい!」というような本ってあるんでしょうか? あるなら教えてほしい。
あるいは小説でメシを食っているというのがタンソさんの「プロ」の定義ですか? だとしたら、その「プロたち」の小説をタンソさんは理解できてます? そうですね・・・・・・イギリスのすばらしい「プロ」にチェスタトンという人がいますが、タンソさんは彼の「木曜の男」なんて理解できるでしょうか?
〉テーマがない作品、テーマに気づかすことが出来ない作品は小説ではありません。ただの文章の羅列です。
しかし、たとえ現段階でタンソさんが「木曜の男」のすばらしさを理解できなかったとしても(勝手ながらそう過程して)、それはタンソさんにとっては文章の羅列であるかもしれなくとも、ある人々にとっては小説です。「木曜の男」はたまたま思い浮かんだだけで、そうですね・・・・・・デュラスの小説とかでもいいです。
〉 自分に意味が分からないから、それはすばらしいんだという短絡的思考はなしです。相対性理論は本当にすばらしいですか? そう思い込んでいるだけではありませんか?
たしかに意味がわからないからすばらしい、というのは短絡的だと思うけども、それ以上に「今の自分には完全に理解できないけれども、もう少し読解力がついたらわかるかもしれない。もうちょっと気長によんでみよう」という姿勢のほうをおすすめします。理解できないからクズだ、と書かれるほうがまさに短絡的じゃない?
<「美しい」とか「綺麗だ」という感想は、小説に向けられたものではありません。>
とも書かれていますが、それも「短絡的」でしょう。あの厳格な「クラシック音楽」の世界でも現代ではピアノを弾かずにピアノの弦をひっぱったりするような音楽があるんですよ? どうして小説が「美しく綺麗で」あることを目指してはだめなのか、わかりません。
でもタンソさんの意見は個人的に興味深く拝読しました。芥川龍之介と菊池寛という正反対の小説家の友人の間で「小説とはこういうものだ!」と吠えている小島政二郎という文士を連想します。「眼中の人」という本ですが、彼も「プロ」です。よかったらお読みください。
最近は私自身は作品も感想も書けていなくて、掲示板に書くのはよそうかと思っていたのですが、興味深い論点がいろいろ出ているように思うので、いささか考えを述べてみたいと思います。
まずそもそも「オチ」とは一体何であろうか、ということであります。「オチ」のある短い話として、すぐに思い浮かぶのは落語というジャンルですが、これは笑いを必須条件としていて、オチはそれと不可分のものといえます。すなわちオチの役割としては相当限定されたものです。
では私たちが一般的に、話に落ちが付いたと感じるのはどういう時かと考えてみますと、一つの安定点に至ったという感覚であり、具体的には謎の開示、あるいは、新たな意味の付与、という言い方が仮にできるように思います。
――この辺はいま個人的に浮かんだことを咄嗟に書いています。おそらく研究するつもりであればすでにいろいろ先行があるでしょう。物語論とかいう分野になるはずです。
そうすると、『短編』作品にはこの意味での落ちのある作品は、けっして少なくないと思うのであります。むしろ私の見るところ、きっちり落ちている作品の方が多いのではないか。今期から一つだけ例を挙げるとすればNo15『わくわく』など、まさに意外性を持ったオチと言えるでしょう。もちろん他にもきちんと決着したと感じられる作品も多いのはないでしょうか。
そしてもう一つの論点は、オチのある作品が本当にすぐれているのか、あるいは、オチのない作品は駄目なのか、ということであり、さらには、プロの小説は必ずオチているのか、ということです。
さて、票感想では「オチ」「スピード」「意外性」が挙げられていたのに対して、掲示板では改めて「テーマ」という概念が持ち出されています。テーマがないと小説ではないという論ですが、これも一考の余地があります。
と言いますのは、古い話ですがかつて菊池寛の一部の作品はまさに「テーマ小説」と言われました。(長文書いてるうちにロチェスター氏に先越されちまったぜ。『眼中の人』は私も読みたいです)『恩讐の彼方に』とか『父帰る』などですね。こういうのは大衆も含めて広く受けたのですが、一方に、本当の文学は、一言で語れるテーマやわかりやすいオチがあってはいかん、という考え方もあったのです。ついでに言えば虚構も使っちゃいかん。自分の経験した事実だけ書く。今ではいささか混乱してきていますが、大体こういう暗黙の約束事に基づいて成立したのが純文学という奴ですね。
今日にありましても、この二つの潮流は相容れがたく併存しているのでして、重松清とか石田衣良なら常にわかりやすいテーマがあるかも知れないけれども、一方には……誰でもいいんですがたとえば笙野頼子だってプロの作家なわけです。
――笙野頼子の小説にはテーマがない、と言ったら間違いになるでしょう。男社会への異議申し立てという強烈な主題があるのですが、明らかに大衆文学(というのも問題のある用語ですな)的なテーマのあり方とは違うわけです。
〉テーマがない作品、テーマに気づかすことが出来ない作品
という言い方をされていますが、この後半に注目で、『短編』には確かにテーマがわかりにくい作品がありますね。必然的に判りにくくなってしまったのか、私の読みに穴があいているのか、と色々考えてつい深読みしてしまったりしますが、一面それは純文学中毒でもあって、こんな風にすこーんと叩き斬ってくれる読者は貴重なのであります。本当に。
最後にしかし、オチ・テーマ等があるかないか、とプロ志向とは、全く関係がないのではないかと思います。かくいう私だってプロを目指しているのですけども、問題はオチ・テーマではないと考えています。じゃ何か? それが判れば苦労はないのですが(笑)一つだけ言えることは、まず原稿用紙百枚書けないと話が始まらない(泣)それが実は千字を封印している理由だったりします。
以下別件ですが。
黒田皐月さんが『文学極道』なるサイトを紹介されていますが、
〉恐らく『短編』に投稿されている作品のうちの相当数は歯牙にもかけられないかと思われます。
というコメントにピキッと反応したのは私だけでしょうか(笑)。謙譲の精神の発現と思いますが、仮定の話で、十把一絡げにサイト全体を評定するような言い方は如何なものかと感じました。
言っちゃ何ですけど、向こうだって寝言みたいな作品はいくらもあると思いません?
qbc様、フレドリック・ブラウンの「ノック」(『宇宙をぼくの手の上に』『さあ、気ちがいになりなさい』所収)などはいかがでしょう。たったの二文です。原本が手元にあれば、全部書いて紹介も出来るのですが、残念ながらないのです。ちなみに、これは星新一の「ノックの音が」(新潮文庫)のあとがきにも載っています。
ご返答ありがとうございます。
読んだことがありませんでしたので、
早速アマゾンで『さあ、気ちがいになりなさい』を
注文いたしました。
タンソさんのご推薦を読むのが楽しみです。
ところで、タンソさんは、
> ただの文章の羅列
とおっしゃいました。
私は、小説は「ただの文章の羅列」に
過ぎないと考えています。
結局、「ただの文章の羅列」に
読者が反応するかしないかでしか
ないと考えています。
そしてタンソさんの「なし」票という
「ただの文章の羅列」に対して、
いくつか返信がつきました。
これは、タンソさんの文章を読まれた方の
> 心の中でスイッチが押され
たからではないでしょうか?
一連のやりとりの中に、
> 「オチ」「スピード」「意外性」
はあったでしょうか、そして
> 主観つまりテーマ
はあったでしょうか。
私はあったと思います。
すべての要素を満たしていた
わけではないのでしょうが、
短編というサイトに参加している
方々の心理の文脈に対して、
タンソさんの発言は感ずるところの
ある意見を放ったということだと
読みます。
タンソさんは、「鍛錬投稿室」
というサイトをお挙げになりましたが、
そちらに愛着がおありではありませんか?
やはり「短編」に参加する方も、
「短編」に愛着があるのだと私は
思っています。
このあたりの一連を小説と名づけて
「ただの文章の羅列」を書けば、
面白いものになるのではないのかなと
考えます。
〉 qbc様、フレドリック・ブラウンの「ノック」(『宇宙をぼくの手の上に』『さあ、気ちがいになりなさい』所収)などはいかがでしょう。たったの二文です。原本が手元にあれば、全部書いて紹介も出来るのですが、残念ながらないのです。ちなみに、これは星新一の「ノックの音が」(新潮文庫)のあとがきにも載っています。
みなさま、1000字小説を
教えてくださいとの私の願いに
お答えいただき、誠にありがとうございます。
「掌の小説」川端康成
「夢で会いましょう」村上春樹と糸井重里
「SUDDEN FICTION」外国作家の人たち
「夢十夜」夏目漱石
「めくらやなぎと眠る女」村上春樹
「テレビピープル」村上春樹
「よるのくもざる」村上春樹
「ノック」フレドリック・ブラウン
星新一の短編集
以上の作品、読んでみたいと思います。
特に「掌の小説」は読もう読もうと思って
いたので、良い機会になりそうです。
ちなみにタンソさんにお薦めいただきました
「ノック」ですが、早速読まさせていただきました。
ご紹介では「2文」とのことでしたが、
実際は「2文」を中心にした短編でした。
しかしこの作品を読むことで、タンソさんが
おっしゃられていた「オチ」や「スピード」
の重要性に関するお話がよく理解できたように
思います。
鮮やかに裏切られる「オチ」はやっぱり
面白いものでした。これは、短いからこそ
の利点かもしれません。
ただ、私は、1000字きっかりの小説をできれば
読みたいと思っていたので、そういう意味では
やはり1000字形式そのものの参考になる作品は
これから作っていかなくてはならないのだなと
認識を新たにしました。
私からも、1000字ではないが、
短い文章の作品ならば知っているものが
ありますので、紹介させていただきます。
「カフカ寓話集」カフカ
「博物誌」ルナール
「悪魔の辞典」ビアス
「しゅじゅの言葉」芥川龍之介
「超短編アンソロジー」本間祐