仮掲示板

最近の流れについて

 皆さんの意見大変興味深く拝見させていただきました。
 タンソさんのような意見がひょっこり出てくるとは、短編も裾野が広がったなあとしみじみしました。(大きなことを言っているようで恐縮ですが、私も初期からいたわけではありませんけども)

 さてタンソさん、「高校文芸部の部誌なんて、ただでさえ読んでくれる人は少ないのだから、その少ない読者を逃がさないためにも、私は万人受けする、誰もがわかる作品の提供に腐心しなければいけない」とご自身書いておられるからには、高校生でいらっしゃる。大変うらやましいですね。若いということはそれだけで財産です。何にでもなれるし、何でも出来る。是非、その若さを生かしてがんばっていただきたい。
 それはさておきこの文章、いささか矛盾しているように思えるのです。なぜなら、私が高校生だった時に、文芸部の部誌を手にとったこと等一度も無いという事です。多くの人はそうでしょう。ですから、文芸部の部誌を買うタイプの人の中で、より多くの読者を求めたい、とすなわちそうなりますね。それが万人受けなのか?これに矛盾を感じるわけです。
 それからこの「万人受け」ですが、どういう作品が万人受けと定義されるでしょうか。仮に、単純に世間で売れている作品としましょう。今売れるのはどういうタイプか。携帯小説ですね。携帯の恋愛小説。これは今、すごく売れています。売れているからと言っても、私はあまり手にとってみたいタイプではないんですね。どういう小説かはご一読いただくとして、それを書きたいかと私が問われれば答えはノーです。
 ではもっと裾野を広げましょう。宮部みゆきなどは一般的かもしれません。よく取材され、練り上げられた作品ばかりでそれはそれですばらしいと思います。私にそこまでの技量があったとしてこういう作品を書きたいかと問われればこれもまたノーです。あまりにも人間がパターン化し過ぎる傾向にあるからです。例えば「模倣犯」。犯人がステレオタイプ過ぎる。しかし、そこは宮部さんの技量、読者が犯人を憎めるように話を導いていきます。読者は犯人に憤り、被害者に涙するでしょう。そういうラインが見え過ぎる。もちろんエンターテイメントとしてはすごく面白い。しかし忘れてしまう。何日かたてば、あれはどんな話だったかなあと思ってしまうんですね。確かにテーマなどは受け取りやすい。宮部さんの書きたいことが透けて見えます。メッセージ性が強いといったとこでしょうか。
 で、まとめ。もっと自由に何でも書いてみたらいいのではないかと思います。時間はいっぱいあります、少なくとも私よりは。昨今の芥川賞が万人受けとは言いがたいし、受けるものを狙い続けなくても良いのではないかと思うのです。「鍛錬投稿室」だけでウケルものを書いていても前へは進めないと思います。プロを目指すなら(もちろん目指して欲しいですが)「短編」にも出品されたらいかがでしょう。良い読者です。「鍛錬投稿室」よりは、参加者の年齢が高めかも知れませんが。小学館の携帯小説大賞もあります(字数は500から1000)。もちろん傾向はありますから(私なんぞは傾向にあわすなんてとても出来そうもないですが)プロを目指すなら傾向に添った作品を書いてみても面白いかもしれません。物書きなら、視野は広く持っていたほうが得ですよ。
 無駄に長くなりましたが、これで終いとさせて頂きます。どうにもうまく話をサゲられないようで。

Re:最近の流れについて

久しぶりに来てみたらなんか面白そうな議論をしていたのでちょっとだけ反論を書かせてください。ながつきゆうこさんのツリーに付けたのはその意見を土台にした方が端的に述べられそうだったからで、特に深い意図はないことをあらかじめお断りしておきます。また、この書き込みにより気分を害された方がいたとしてもゴメンナサイとしか言いようがないことも併せて断らせていただきます。

まず、タンソさんのような方は昔からいらっしゃいました。その多くが“読み手”の視点で書かれているのに対して、ご存じの通り「短編」は“書き手”の方の強いサイトですので意見が合わず(大体が「だったらオマエが書け」や「アンタの読解力が足りないんじゃないの(笑)」等の悪意ある意見によるモノですが、その後誰からもフォローがないなど短編参加者の総意なの?と受け取れるようなコトもありました)、いずれも短期間で訪れなくなっています。

次に、小説に限らず書き物というのは書き手と読み手がいてはじめて成り立つモノだと私自身は思っています。今回、タンソさんは投票時の感想で「一読者として」と自身を“読み手”の立場として書かれていますが、今回みなさんからの意見を読むとやはり“書き手”として書かれているのが殆どです。曰く、そんな作品は書きたくない。もっと広い視点を持った方が良いんじゃないか(意訳)、等々

元来、“読み手”というのはワガママで良いと思うんです。読解力のレベルもさまざまで良いと思うんです。その要望に合わせるべきは“書き手”であって、“読み手”に求めるのは間違いじゃないかと思うんです。“読み手”を意識していない作品は単なる自慰行為、チラシの裏だと思うんですがどうでしょう?

などと、荒らしに近い書き込みをしてみるテスト。

Re*2:最近でもなさそうな流れについて

何かもう減速しきれずにまた書いてしまうような感じがします。記事番号64『恕に往かず…』と重複することを言うかもしれません。

〉タンソさんのような方は昔からいらっしゃいました。その多くが“読み手”の視点で書かれているのに対して、ご存じの通り「短編」は“書き手”の方の強いサイトですので意見が合わず、いずれも短期間で訪れなくなっています。

ひとつ前に現れた方を挙げるとすればP氏かな(P氏は作品投稿もしていましたが、物言いとして)と、当時はいなかったので間違っているかもしれませんが、そう思いました。
さてこれは、つまるところ『短編』の風土であり、簡単には改まらないかもしれません。ところで、なぜP氏を挙げたかというと、氏の主張の中に「投票率が国政選挙のそれにも満たないような冷たい読者」と言い換えられるようなものがあり、私はこれに感じるところがあったからです。
私は、もっと多くの人に投票してもらいたい。もっと多くの人に発言してもらいたい。しかし私自身は、それを実現する方法を知らない。
敷居が高いと思われているのでしょうか。そう思われている方がいるとすれば、是非ともまずはそう言っていただきたい。しかし本当はそのようなことはないと、敷居の内に居るつもりの私は思います。なぜなら、この私が、得票率ゼロ率の高い私が、ここに居続けられているのだから。他のご意見にも、『短編』の風土を評して風通しの良さを挙げた方もいたから。
今必要なのは、投票を含めた発言の絶対数だと私は思います。確かに質の悪い発言が大多数であるサイトが人気を博することはありませんが、今の『短編』にはまず、量が必要であるかと思います。ただしそのために投稿者に投票を強制することは、『短編』の特徴を損ねてしまうことになりますので、実施すべきではないでしょう。
私にできることは、よろしくお願いしますと言うことと、失敗を重ねてでも自身が発言を行うことだけです。だから、それが書き手側の発言率を上げてしまうことにもなりますが、それをします。

投票してくださいました多分あの方にありがとうございましたと余計なことまで付け加える、黒田皐月でした。

Re*2:最近の流れについて

 チキン様が私の伝えたかったことを分かりやすくまとめてくださったので、私にももう一言言わさせてください。
 黒田皐月様は多くの評価が必要なのだと仰られました。そしてチキン様は、私のような気持ちを抱く人は昔からいて、いずれも短期間で去っていったという事実を述べてくださいました。二方の考えを総じてみると、評価の数を減らしているのは、黒田様の言う『短編』というサイトの風土ではないかという結論に至ると思います。「“読み手”を意識していない作品は単なる自慰行為」であり、そういう作品が少なくないということ。そしてそういう意見を持つ「読み手側の書き手」を次々と殺していったという歴史がある。
 そういうサイトには、ある限られた人間しか投稿しないし、批評もしません。選民思想に支配された「ムラ」なのです。ゆえに、黒田様の願望は実現しない。都会の人を迎え入れるためには、ムラは古いしきたりやしがらみを捨て去らなければいけない。
 ですが、ムラにはムラの美点があります。私が今までの執筆方針を大きく揺るがすほどの影響をこのサイトで受けたことも、また事実なのです。
 さしづめ私は、一時的に訪れた観光客と言った心持です。住むことはできない。
 今後どうするかは、ムラ人がきめることです。私に分かることは、このムラはその風土ゆえ、極度に人口が少ないということだけなのです。
 

Re*3:最近の流れについて

〉 そういうサイトには、ある限られた人間しか投稿しないし、批評もしません。選民思想に支配された「ムラ」なのです。ゆえに、黒田様の願望は実現しない。都会の人を迎え入れるためには、ムラは古いしきたりやしがらみを捨て去らなければいけない。

なんだか、最後に捨て台詞のようなものを残されて悲しく思いました。ただ単に自分の意見が受け入れられなかったから、「ムラ」というレッテルを貼ってるだけのように見えました。

だって、短編には、毎回誰かが新しく参加してるじゃないですか。作者別目次のページ見たことありますか? これのどこが「限られた人間」なのでしょうか。

それから、
>「“読み手”を意識していない作品は単なる自慰行為」であり、そういう作品が少なくないということ。そしてそういう意見を持つ「読み手側の書き手」を次々と殺していったという歴史がある。
とありますが、純粋な読み手視点で言っても、書き手が読み手を意識しているかどうかは、少なくとも僕にとっては全く問題でありません。たとえ作者のオナニーでも面白ければ何だってかまいません。それに、エゴのない優等生の書き手が書いた小説ばかりだったら、それこそつまらないと思ってしまいます。読み手がワガママでいいのと同じように、書き手もまたワガママで良いです。そして、書き手に面白さを強要する以上、読み手もまた作者が仕掛けた面白さに敏感であるべきだと思います。
もちろん、これは僕が自分に課していることであって、読み手全員にそうしろと言っているわけではありません。ただ、読み手にもそういう考えの人間がいるということを知ってもらいたかったのです。

書き手と読み手

 はじめまして。決して「荒らし」ではないと私は思いますよ。こんな風に「短編」を見ている人もいらっしゃるんだなあと感じました。自分が批判の対象として想定されている「書き手」だったとするといささか困るんですが、話を聞いてもらえると幸いです。
 
〉まず、タンソさんのような方は昔からいらっしゃいました。(中略)
〉いずれも短期間で訪れなくなっています。

 そうかなあ、というのが私の正直な感覚なんですね。具体的に誰?と問いつめるつもりはありませんが、そんな人いたかなあ、というところです。
 元来私という人間は物覚えがよくないのですが、考えてみると、去って行った人、というのはいつも、掲示板で華々しい議論の末、だったと思うんですよ。そしてそういう人たちは決まって書き手であり読み手でもあった。
 純粋な読み手の方というのは姿を現さないことが多いので、「短編」の作品傾向に呆れ返って読むのを止めた、という人は居たのかどうか、観測する術がないわけです。ある意味チキンさんが初めてじゃないか。だから非常に貴重な存在だとおもうのですが。
 で、
〉ご存じの通り「短編」は“書き手”の方の強いサイトですので
 というのも、そうなのか? って感じです。(おっしゃりたいことはなんとなくわかりますが)たとえば私なんかもうずいぶん書けなくなって読み専になっていますけれども、別に差別されてるとも思わないわけで。
 ただ言えることは、掲示板で感想を書いたり意見を述べたりする人は、やはり多かれ少なかれ「書くこと」に対して高い意識を持っていると思われます。この辺は個人的な見解になりますが、創作をするからには当然、普通の人とはちがった感覚を持っているわけです。
 だから「短編」で書き手の方が目立つとすればそれはある意味必然かなと思うし、別に悪いことではないと思うんですけどね。
 
〉小説に限らず書き物というのは書き手と読み手がいてはじめて成り立つモノ

 確かにそういう一面はあると私も思います。でもあえて言えばですね、書き手というのは創造主、クリエーターなわけです。極端な話をすれば、他者としての読み手が居なくても世界は成立します。映画ではそうはいかない、と言ってた監督がいましたが、小説は紙とペンだけで出来る仕事なんですから。
 実は自分が書かなく/書けなくなってから、「短編」の作品を読むと改めてそういうことを強く感じるようになりました。これ全部一つずつ独立した小宇宙なんだ、すごいなと。まあこういう感じ方が書き手的なのかも知れませんけども。
 そして小説の場合、書き手がまず第一の読み手になります。つまり自分の納得できるようなものでないと、書く意味がない。これはどんな芸術でもそうじゃないでしょうか。

〉曰く、そんな作品は書きたくない。もっと広い視点を持った方が良いんじゃないか(意訳)、等々

 意訳ということなので正確に記させてもらっていいですか。まず、書きたくない、じゃなく、書けない、なんですね私の場合。選り好みしている余裕はないのです。
 それから、もっと広い視点を、ということは、タンソさんの書き込みNo67を読んで、自分にも跳ね返ってくることとして改めて感じているのです。やっぱり自分だけ愉しんで書いていてはいかんなと。気づかぬうちに甘えが入っていたかも知れないと。
 おそらくそういう緊張感は純・大衆を問わず誰にも常に必要なものであって、人の作品を読んだり感想をやりとりしたり、あるいはこうして文学論を交わす中で磨かれるのだと思います。

 別件ですが露骨に書いてしまいますと、よかったらタンソさんも寄稿してみませんか、ということだったりします。チキン理論が正しいとすれば「短編」では書き手の方が強いのですから、書き手にならなきゃ勿体ない。

Re*4:最近の流れについて

〉だって、短編には、毎回誰かが新しく参加してるじゃないですか。作者別目次のページ見たことありますか? これのどこが「限られた人間」なのでしょうか。

 作者別目次、改めて拝見しました。
 確かに毎月新しい人が現れているようです。そして1作投稿して、消えている人がほとんどですね。なので、月の読者数は少ないのではないかと思います。そしてその総数すらもたったの350人以下。
 まあ、この際数の話は置いときましょう。数が問題ではないのですから。
 問題はレパートリーでしょう。不条理文学の投稿があるのはいいですが、
みんな不条理が好きで、選ばれるのもやっぱ不条理で、というのは・・・・・・
少なくとも私のような観光客はここでヒきます。
 不条理は、よほどの手だれにしか(それこそプロか)描けない難しいものでありますし。まずは、普通のオチのある作品を書くことの練習を、お勧めしますが・・・・・・いえ、やはりこの辺はムラ人に任せます。私の思う作品が絶対ではないのですから。

 ちなみに私、このサイトに別PNで投稿しています。

ちょっとよくわからないのですが

 チキンさんやタンソさん、黒田さんのご意見を伺っていると、個々の作者さんの意図であるとか、努力であるとか、そういうものがあまり語られず、昔の短編であるとか、サイトの傾向であるとか、そういうお話が出ていて、今現在の一参加者としては、「そうなのかなあ。どうにも変に方向づけされたくはないなあ」という気持ちです。

 私の経験では、自分の作品をなるべくたくさんの人に読んでもらうためには、はじめは自分の表現を狭めない方がいいようです。人の作品を読む時も、十把ひとからげに決めつけるよりは、自分が作品をじっくり読んで個々の面白さを見つけていく方が、どれだけ学びがあるか計り知れません。他の人の読み方も勉強になります。(恥ずかしながら申し上げますが、おかげさまで小学館からささやかな賞を幾度かいただくこともできました。)

 サイトの傾向らしきものをあげつらっても、そのことによって自分が多くの人に読んでもらえる作品をものにできるわけではありませんからね。読書と創作は呼吸のように表裏一体、不可分だと思っている(癖を掴む努力はできても)私としては、ここの作品に限らず、一つ一つの創作を自分がどう読み、それを自分の表現にどう生かして発信していくか、そういうことだと思っています。それでも未熟者ですから100%の作品・感想ができたためしはないですけどね。まだ道は遠いです。

Re:ちょっとよくわからないのですが

 小学館で賞を幾度か受賞なさったと聞いたので、一部読ましていただきました。
 「うんどうかいはユウウツ」で、思わず震えて感嘆の声を上げてしまいました。
 私はこのような作品を目指しているのです。以前あげた「オチ」「意外性」「スピード」というのを消化するのがいいと述べましたが、まさしくこの作品が端的だと、勝手ながら思います。
 そして、「一つの作品をじっくり読む」仰るとおりだと思います。「うんどうかいはユウウツ」も、初見ではよく読み取れませんでしたが、二度三度と読むうちに、作品のすばらしさが分かってきました。
 
 ですが、「個々の作者の努力を語る」というのは、よく分かりませんでした。 読み手側の努力というのは分かります。その作品を読み解くよう努めるということです。しかし、作者の努力と言うのは、隠蔽されるべきものだと思っていました。「自分はこれだけ努力したんだ、だから評価してくれ」という意味で述べたのではないと思いますので、真意をお聞かせ下さい。


 

タンソさん、ご丁寧にありがとうございます。

 作者さんの努力を語ることについてですが、誰が、というところだけまず整理すると、「作者自身が自分の作品について語る」という意味合いでないということをお伝えしておきます。

 努力とは言い換えると創作姿勢、となるのでしょうか。自分の作品をより良いものに洗練していくための、鍛錬。その工夫とは、オチあるいは作品の帰結点であり、意外性であり、速度あるいは雰囲気であり、テーマであり、表現であり、あるいは小説を構成するこうした既存の概念を打ち破り、新しい作品世界を作り上げる努力、そういうものも含まれるでしょうか。また、これには、初心者には初心者の努力、熟練者には熟練者の努力、あるいはそういう経験では決められない個別性があっていいと思います。必ずしも自分と同じところに人が拘って作品を書いているわけではないのですから。

 こうしたところを読み手の側が汲み取る努力をする、という意味合いで申し上げました。読み手あるいは書き手として、受け容れられるものが大きい方が、読む楽しさも書く喜びもより大きくなるのではないか、そう思うのです。というのは、実は私がもともとショートショート好きで、それしか読んでいなかったからです。いまだに読み方には偏りがあります。今はショートショートはいっさい読まない、というくらい偏っています。

 「うんどう会はユウウツ」評価いただいてありがとうございます。ジャンルで言えばショートショートになるでしょうか。そういうわかりやすさがあるのかもしれませんね。高校生くらいまでは、こういうスタイルの作品がわりと好きでした。筒井康隆とか。
 しかしですね…あれは不条理性(人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況。インターネット大辞泉より)の強い作品になっていると思っていたのですが、そうは読まれなかったということでしょうか。

 ここにある作品で賞をいただいたのは、わりと最近のもので「西瓜の迷産地」でした。「きらら携帯メール小説」の佳作です。こういう作品を評価してくれる賞もあるということで、ありがたいことです。
 それと、このサイトには商業誌に掲載されたり賞を獲ったりした方が、他にもいらっしゃるはずですよ。新聞の時評欄に投稿するとかなり高確率で掲載される方とか。皆さん奥ゆかしいからおっしゃらないだけで。

何度も書いてしまいますが

〉 こうしたところを読み手の側が汲み取る努力をする、という意味合いで申し上げました。読み手あるいは書き手として、受け容れられるものが大きい方が、読む楽しさも書く喜びもより大きくなるのではないか、そう思うのです。

 なぜ“読み手”に努力を求めるのでしょう?
 上質のショートショートほど読む努力しなくても面白い。さらにその裏が見えればもっと面白いといった構造になっています。
 “書き手”ではない一読者として言わしてもらえれば、別に作者が真摯に書いて無くたって、片手間10分で書いたって面白かったら別に良いんです。評価するのはその作品であって作者の努力や姿勢ではないのですから。

 一読して「面白くない」と感じた作品を誰が深読みまでして面白さを探し出すのですか? 短編では毎回20数作品が投稿されています。私は全作品通しで読むと一時間から一時間半程度は必要です。つまり3読するならば最低3時間以上の時間が取られるわけです。 結局、そこまでしてしか面白さが判らないような作品は結局「つまらない」の烙印を押されても仕方ないんじゃないかと思います。

 最後に、個々の作品を挙げて書かないのは単純に時間がもったいないのと、その作者と私だけの議論になりそうだからです。また、このように書き込むのは「短編」というサイトの趣旨は共感できるのに、現状の投稿数に対して投票者数が1/3から1/4という“読み手”不足に不満を持っているからで、どうにか“読み手”を増やしていけたらいいなという思いからです。
 もっともそれを「変な方向付けをされたくない」と一刀両断にされるのではやはり“ムラ”と評されても仕方がないのかなぁと私は思っています。

Re:何度も書いてしまいますが

チキンさん、はじめまして。読み手のロチェスターです。

〉 “書き手”ではない一読者として言わしてもらえれば、別に作者が真摯に書いて無くたって、片手間10分で書いたって面白かったら別に良いんです。

とかかれてますが、それではまるで「チキンさん=読者代表意見」みたいじゃないですか。私も毎月短編を「読者として」読んでおりますが、おそらくチキンさんが「面白い!」と思われるのと私が「すばらしい」と思う作品はまったく違うものだと思います。

まず、本当に「プロっぽい」作品が読みたければインターネット上の投稿素人作品ではなく、まぎれもない文芸誌を読まれるべきではないですか? あるいは本を買って。そうした場合、チキンさんは正当な「読者」であり、お金を払うことによって「すき放題」に批評する権利を得るわけです。

ところがここは「短編」という名前こそあるものの、全員が全員プロ志向なわけでもないし、「読者」といわれたって別にお客さんなわけでもないわけです。そういうわけで「つまらん、つまらん」と文句だけ書く人は基本的にブログのあらしと同レベルと言われたって仕方ないんじゃないか、と思います。そのことは少し黒田さんにも言いたい。

それから「読み手を意識しない作品なんてマスターベーションだ」というご意見がありますけれども、えーと、マスターベーションって比喩が卑猥なのであんまり使いたくないんですが、それをまあ使わせていただくと、では読み手を意識した作品はセックスってことですか。でもですよ、誰でもそうだと思いますけれども一度もセックスの予行演習(まあマスターベーションですか?)をすることなく、いきなりはい本番でセックスってできました? (経験者だと仮定しますよ) マスターベーション抜きの(仮想演習なしの)セックスこそ、思い上がりも甚だしい、となりませんか。

あるいはマスターベーションじゃなく、まあ「愛」にたとえるとしてですね、誰かを好きになるとして、まず自分を愛すること、自己を強く肯定すること、これがあって初めて誰かを愛することができると思うんですが、どうでしょう。自分のゆがみさえ認められない人が相手の欠点をゆるしたりできるだろうか。

つまり、読み手に面白い小説を提供するにしても、まずは自分自身を面白くさせるための練習期間が必要だと思います。サイト「短編」投稿者はそういう時期にあたる人が多いんじゃないですか。もちろん、その時期を脱しているうまい人もいると思いますけどね!

だから、「つまらないものはつまらない」なんて言うならば、そのお好きなプロを読めばいい。「つまらない時期をいつになったら脱出するか。この点を伸ばせば彼はいけるぞ」とプロデューサーの視点みたいなのをもって読ませてもらうと「読者」として楽しいですよ!

それから「閉じられたムラ」と表現もちらっと拝読しましたけれども、だいたいこういうサイトで3年以上続いていて閉じられた、というのはひどくさびしい意見です。

とかく文芸サイトではかつて自分が言われたこと、抑圧されたことをそのまんま誰かに鬱憤をはらすことが多いように思われます。私もそんな感想を書いたことが
ある。そして今チキンさんに対して自分がかつて言われたことを言っている気がする。しかしまあ、この活字離れと一般的に言われている時代に散文サイトでやりとりをしている縁というのは大事にしたいものです。悪意はないつもりですが、せっかくなので同じ読者として「盛り下げる」ことよりも「どうすればいいか」と肯定側になりましょうよ。個人的にはとむOKさんの書き込みに深く感ずるところがありました。





すみませんがかなり長くなりますよ。①

 またまた長くなってしまいましたが、今度はチキンさんのご意見へのコメントとして掲載させていただきます。長いということは、それだけで暴力だったりしますので、こうして出すのもためらわれるのですが、他に上手な方法を思いつかなかったので、そのまま出しています。しばしお付き合いいただければ幸いです。そう、前置きから長いのです。

 それと、ロチェスターさんはじめまして。我ながらうるさい人になったみたいで、嫌がられてしまうんじゃないかと心配していましたが、好意的に受け取ってくださり、ありがとうございます。こうして同じ対話の場で意見を出し合うのは初めてですね。今後ともよろしくお願いします。

 まず整理させていただきますが、チキンさんのご意見について、少し前に書かれていたサイトの傾向に関するものと、今回書かれた読み手の努力、この二点について順番にお話したいと思います。

 まず先に、読み手の努力ということですが、私は他の参加者全員に一括して努力を求めるつもりで書いてはおりません。ただ、自分が、かつて面白いと思えなかった作品を面白く読めるようになった時に、自分が試みていた方法を紹介しているだけです。

 他の方と読み方について意見交換することはできても、読み方を制約することはできないと思っています。読み方のルールなり約束なりが決められていれば別ですが。ですから例えば、「オチ・意外性・スピードがあって、一読で面白い作品を評価するべきである」とは言いません。逆に「一読でなく何度でも読まなければいけない」という気もありません。趣味のものを気楽に読みたいと思って悪いわけがありません。そして自分が面白くないと思うのも自由です。思うのは。それをどう表現するかは別として。

 ただ、いろいろな面白さがあっていいのだから、それを読めないよりは読めたほうがいいと、私は思います。わからないものをわかろうとするのは悪いこととは思えませんし、それを「努力」と呼んでもそう誤りではないでしょう。

(②へ続く)

すみませんがかなり長くなりますよ。②

 長いなあと思われたら、ここは飛ばしてくださっていいかもしれません。やや細かい話になりますので。


 もう少し掘り下げて、作品に表れる作者の努力を読者が読み取ることは、作品を面白く読むことに本当に繋がっているのでしょうか。

 あくまで私の意見であることをお断りした上で言いますが、

「作者が何を書きたいと思って、それをどのような方法(あるいは思考錯誤・努力)で為したか」(このへんを私は作者の創作姿勢・努力という言葉で表現しました)

に、私が配慮したい理由は、(ショートショートであれば作品の質そのものにはそれほど関係しないかも知れませんが)例えば文学志向の強い作品については、作者の今現在の感じ方考え方生き様そのものが、作品の表現に強く反映されてくるものだと思うからです。

 それは作品中で文章によって主張されるのではなく、登場人物の設定だったり、細かいしぐさだったり、小道具の選び方だったり、情景描写であったり、表現の選び方であったり、物語の構成や帰結点であったり…様々です。こういう「作者の努力」を作品から読み取ろうとすることが、私にとって、とても勉強になります。しかし、一見ではなかなかつかみにくいものもあるので、自分が読み慣れないスタイルの作品のよさを見つけるには、必然的に何度みますし、時間もかかります。

 なお、ここでは、あくまで作品から読む、という意味で申し上げており、作者自身による作品解説については除外しています。それはまた別な論点ということで。

 話はずれますが、気楽に投稿される作者さんがいても、不思議ではないわけです。私が三十分かけて懸命に読んだ作品を、実は鼻をほじくりながら五分で書いている、ということだってあるかも知れないのです。それはちょっと嫌ですが、鼻をほじっているところを透視しようとして読むわけではないし、読み手としてはそういうことに関係なく、払った努力に見合った面白さを発見できるのだと思います。また、作品が優れているなら、時間も鼻も関係ないし、鼻を掘っていいアイディアが出るなら私もやります。

(③へ続く)

すみませんがかなり長くなりますよ。③

 このサイトには「上質なショートショート」ではないにせよ「文学的に優れている」(と私が感じる・偏見含む)作品もありますし、文学作品を志向したけどうまくいかなかったんじゃないか(あるいは私が単に作品の良さを読み違えていただけかも知れませんが)という作品もあります。それに、初めて書くような人もいて、その人がショートショートを志向しているのかどうかもわからないわけです。

 こうしたさまざまな作品に対して、「上質なショートショート」の読み方だけを当てはめて批評するわけにはいかないのではないでしょうか。だから、一見で理解できないものを面白くないと切り捨てるだけではなく、異なる読み方を模索することや、何度か読んでみることも必要なのではないか、と私は思っています。

 正直、見知らぬ人からいきなり「つまらない」とただ烙印を押されるよりは、「こういう書き方の方が面白いかも」と言っていただけた方が、励みになるのではないでしょうか。人それぞれですけどね。

 重ねて申し上げますが、これは私個人の意見であり、サイトの総意でも主流でも何でもありません。新たな面白さを発見しようとする時の私の方法ということの表明であり、他の方へは何の強制力も持ちません。

論点の一つ目は、以上です。

(④へ続く。)

すみませんがかなり長くなりますよ。④

 次にサイトの傾向についてですが、意見を出す人より出さない人の方が多いサイトなのに、一部の方の意見を聞いただけで、あたかも「サイトの総意」らしきものを感じるというのは、行き過ぎであろうかと思います。こう言っては何ですが、「面白くもなさそうな作品が集まっていて読むに耐えない。誰かも自分と同じことを言っていた。しかしお前が書いてみろと反論されていた。それが嫌だった」こういう印象をチキンさんが「短編」サイトにお持ちになったのか…そんな風に解釈できますが、間違っていたらすみません。

 私は「短編」の代弁者ではなく、一参加者に過ぎませんが、少なくとも今はそんなサイトだとは私には思えません。以前のことはまったくわかりません。それは風聞に頼って決めつけていいことと思えませんので、ここで申し上げることはありません。

 ここの掲示板は雑誌のアンケート欄ではありませんから、自分が「面白くない」と意見を出せば、参加者である読み手なり書き手なりから、「そんなことはない。面白い」「こういう読み方もある」という指摘を受けることがあってもおかしくないわけです。

 チキンさんの仰るとおり読み手はやはり基本はわがままで、自分の楽しみに貪欲です。そういうものだと思います。小説好きなら誰もが素敵な作品を読みたい。書き手の私は自分の作品が一蹴されると少し悲しく感じますが、実は読み手としての私はやはり楽しみに貪欲です。

 だから、自分が面白いと思った作品がけなされれば反論もするでしょう。そして反論する方は必ずしも議論のプロではないから、よほど気をつけていたとしても、その言葉は相手を傷つけることになったり、チキンさんのように、まるで自分がサイトから排除されたかのように感じられたり、そういうことが起こらないとは言い切れないのだと思います。

(⑤に続く)

すみませんがかなり長くなりますよ。⑤

 それは、サイトの総意であったりサイトの責任であったりするのでしょうか。わがままであっていい読者同士が、少しずつ、お互いの言葉に気をつけて相手の楽しみに歩み寄る、そういうことでしか解決できないのではないしょうか。そう私は思っています。なので、作者の努力なりを読み取ろうとすることも、そういう歩み寄りのヒントを増やすことにつながるのかもしれないし、少なくともあまり無視したものではない、と思うわけです。

> 最後に、個々の作品を挙げて書かないのは単純に時間がもったいないのと、その作者と私だけの議論になりそうだからです。

 そういうこともあるかもしれませんね。極論になりますが、毎回全部の作品を熟読して語る、となるとそういう時間は誰しもないでしょう。それに疲れてしまいます。こんなに長く書くのも正直ちょっと疲れます。それに他の本だって読みたい。吉行淳之介が鞄の中で私を待っているのです。

 ですが、せめていくつかの作品についてでも、好みの異なる読者さんや、あるいは作者さんを交えるなりして、気持ちよく作品についてお互い語ることができれば、サイトの傾向やら総意やらを云々するより、実りが多いし楽しいのではないでしょうか…と、私がそう思っているということを、ご理解いただければ嬉しいのですが。まあ、そういう考え方もあるのだ、くらいに心に留めていただければ、長く書き込んだ甲斐があるというものです。

 投票数が少ないことについては残念だと感じていますが、いまのところこれはというアイディアもないです。ごめんなさい。

(了)

さらに余談もあるのですが…もう十分ですよね。

Re*2:何度も書いてしまいますが

 ロチェスターさんはじめまして。まず、貴重な反論ありがとうございます。また、私の書き込みによって不快な思いをさせてしまいましたことをお詫びいたします。
 ともあれ、若干の誤解があるようですのでその弁明のために敢えて書かせていただきます。

まず、
〉〉 “書き手”ではない一読者として言わしてもらえれば、別に作者が真摯に書いて無くたって、片手間10分で書いたって面白かったら別に良いんです。
〉とかかれてますが、それではまるで「チキンさん=読者代表意見」みたいじゃないですか。
ですが、
 えーとですね、私の意図としては「一読者として」と書くことによって、読者の一人として、つまり、私個人の意見ですよ。としたつもりだったのですが、書き方が拙かったようです。

次に、
〉まず、本当に「プロっぽい」作品が読みたければインターネット上の投稿素人作品ではなく、まぎれもない文芸誌を読まれるべきではないですか? あるいは本を買って。そうした場合、チキンさんは正当な「読者」であり、お金を払うことによって「すき放題」に批評する権利を得るわけです。
について、
 私自身、「プロっぽい作品を読みたい」と発言したことはありません。……ないと思います(あやふや) たしかに、「面白い」作品を読みたいといった意味合いのことは書いていますが。ただ、ロチェスターさんの理論ですと、このような「素人投稿」サイト(?)では感想も書いてはいけないことになってしまうのではないでしょうか?
 もっとも、「プロ」の作品についてはロチェスターさんの意見に賛成です。私の場合、自分で稼ぐようになってからは図書館で借りたことも古書店で購入したこともありませんから。おかげで生活費における本代の割合が異様になっていますが。

最後ですが
〉それから「読み手を意識しない作品なんてマスターベーションだ」(中略)マスターベーション抜きの(仮想演習なしの)セックスこそ、思い上がりも甚だしい、となりませんか。
の部分ですが、
「マスターベーション」という表現は今回誰も使っていないはずです。私は「自慰行為」という表現を使っていますが、「自慰」という言葉はなにも性的なことの意味だけではありませんよね。ですから、ロチェスターさんのような理論展開は全くの想定外でして少々戸惑ってしまいました。 

 もっとも、このような誤解は、ひとえに私の文章力の無さが引き起こしたものと思いますので、ロチェスターさんには改めてお詫びいたします。

チキンさん返信ありがとうございます

チキンさん

〉私の書き込みによって不快な思いをさせてしまいましたことをお詫びいたします。

返信ありがとうございます。「反論」ではありましたが「不快」ではありません。議論と喧嘩は違うものだと思います。そもそも議論が「喧嘩」のために終わることこそまったく無駄なことであるように思います。できる限り、妥協点を見出したい。自分の主張することが100%正しいと思った方がその論うんぬんよりも人間的におかしくなると思います。どうもこちらこそ。

〉ロチェスターさんの理論ですと、このような「素人投稿」サイト(?)では感想も書いてはいけないことになってしまうのではないでしょうか?

いやもちろん感想はどんな感想であっても書かれることを禁止されるものではないと思ってます。だからチキンさんがどう書かれても自由です。ただ、その「チキンさんの感想」についての「感想」を禁ずることもおかしいということです。つまり、今回のこんな議論になるということでしょうか。

〉「マスターベーション」という表現は今回誰も使っていないはずです。私は「自慰行為」という表現を使っていますが、「自慰」という言葉はなにも性的なことの意味だけではありませんよね。ですから、ロチェスターさんのような理論展開は全くの想定外でして少々戸惑ってしまいました。 

お恥ずかしい・・・・・・その点申しわけないです。性的表現にとろうとするのはむしろこっちの方かもしれないですね。ハハハ・・・・・・。

〉 もっとも、このような誤解は、ひとえに私の文章力の無さが引き起こしたものと思いますので、ロチェスターさんには改めてお詫びいたします。

いえ、今回双方において謝るようなことがあるとすれば「マスターベーション」の件でこっちに誤りがあったことくらいでしょう。もちろんそれぞれ納得がいかない点もあれば、腑に落ちないと思われるところもあるでしょうが、だいたい今回のテーマははっきり結論がでる種類の話ではないと思ってますし、こっちの考えも明日には変わってるかもしれません。

では感想を読ませてもらうのを楽しみにしております。また議論することもあるかもしれませんが、それはそれでいい時間になると期待してます。



大丈夫、私も結構長いから

 長文でのご意見ありがとうございます。長文が暴力だとは思っていませんし、一定の主張を述べるのであればそれに見合った「長さ」というものがあるはずという考えの持ち主ですので、おかげさまで概ね理解できたかなと思っています。

 その上で、反論というか、意見のすり合わせとして私見を三つほど述べさせていただきたいと思います。

 まず、作品を読むことで見えてくる“作者”には二通りあると思います。ひとつめがとむOKさんが述べておられるような「作者の努力」であり、もうひとつが「作者の為人」です。
 努力、つまり作品が完成するまでの思考をトレースすることは愉しいですし、為人と対峙することは厳粛な気分にさせてくれます。ただ、これらのことが見えてくることが果たして作品そのものを楽しむことになるのかどうかについては、とむOKさんと意見が分かれるところです。見たくなかった作者の一面が見えてしまって、面白かったはずの作品も途端につまらないものに……なんてこともありますしね。

 と、この文章を書いてて気づいたんですが、私はどうも「努力」という言葉が嫌いなようです。「努力」というコトバが、自分が好きではないことを他人に強制されるイメージがあるからなんでしょうけど。まあ、ホントどうでもいいことですが。


次に移ります。
〉 正直、見知らぬ人からいきなり「つまらない」とただ烙印を押されるよりは、「こういう書き方の方が面白いかも」と言っていただけた方が、励みになるのではないでしょうか。人それぞれですけどね。

 今回は特定の作品を挙げているわけではないので十把一絡げに「つまらない」「面白い」と書いていますが、大抵の場合は“なぜ”つまらないか、“なぜ”面白いかその理由は書くように心がけています。ただ、「こういう書き方の方が面白いかも」という書き方はしません。大上段に構えて「私が書いた方が面白くできる」というイメージを与えてしまう可能性があるからです。
 このあたりもとむOKさんとは意見が分かれるところです。


三点目ですが、
〉 次にサイトの傾向についてですが、意見を出す人より出さない人の方が多いサイトなのに、一部の方の意見を聞いただけで、あたかも「サイトの総意」らしきものを感じるというのは、行き過ぎであろうかと思います。こう言っては何ですが、「面白くもなさそうな作品が集まっていて読むに耐えない。誰かも自分と同じことを言っていた。しかしお前が書いてみろと反論されていた。それが嫌だった」こういう印象をチキンさんが「短編」サイトにお持ちになったのか…そんな風に解釈できますが、間違っていたらすみません。

 えーと、この点についてはもう少しコトバを重ねた方がよかったですかね?
まず、「面白くもなさそうな作品が集まっていて読むに耐えない。」とは私もタンソさんも書いていないはずです。私の理解では「ここの作品は外に向かって(読み手を意識して)書かれた作品が少なく、内にこもった(自己満足の)作品が多いように思われます。できればもう少し外に向かって書かれてみてはどうでしょう?」ぐらいの感覚なんですが。
また、「お前が書いてみろと反論されていた。それが嫌だった」とありますが、私が本当に嫌だったのは、「お前が書いてみろ」と暴言を吐かれた方に対して誰もたしなめなかったことです。この掲示板での議論は一対多数(+傍観者)になりがちですが、いくら対立している相手とはいえ、暴言を吐いた方に対してはそれが味方であってもたしなめるのが相手に対する礼儀だと思っていましたから。
 とはいえ、とむOKさんのおっしゃるとおり昔から(とはいえ断続的でここに来ていない期間の方が長いのですが)掲示板の住民はそれほど多くはありませんでしたので、「サイトの総意」と評したことは誤りでした。訂正いたします。「掲示板での総意」あたりが妥当でしょうか。


 今回の議論に参加した目的はタンソさんのフォローと、読み手(投票者)を増やす手段の議論や現状への皆さんの意見を伺えたらいいなぐらいの気持ちでしたので、あえてサイトの傾向にこだわった意見を述べさせていただきました。また、ついでに議論への参加者も増えればいいなと、煽ったり、妄想・暴言に近い発言をしてみたのですが、乗っかってくる方はほとんどいらっしゃいませんでしたね。残念といえば残念ですが、この議論自体も収束しているようですので勝手ながら今回はココまでとさせていただきます。
 なお、「短編」自体には共感する立場ですのでサイトの姿勢、つまり運営者である北村さんへの批判は書かないように心がけていましたが、私の書き込みにより不快な思いをさせてしまいましたならばこの場を借りてお詫びいたします。

 最後にツリー違いですが、記事115のながつきゆうこさんへ
 私の好きな作品ですが、初期の黒木りえさん(不老不死~強盗)、川島ケイさん(「ちゃろ坊」「傘を広げて」「土曜日、朝六時」)、ヒモロギさん(「トーフ地獄」、「原っぱの決斗 キツネ対メカダヌキ」)あたりは好きです。作品を読んで頭の中でぱっと絵が出てくるような作品が私の好みといえると思います。

運営: 短編 / 連絡先: webmaster@tanpen.jp