掲示板も何やら盛んですね。びっくりしました。
「好き」とか「良かった」ということを、ただ一言書いただけの感想が増えている気がする、というeuRekaのご指摘を読み、
『よく分からなかった。作者と読者である私との間の会話は成立しなかった。』などと書いた自分を猛省。確かに、「何が分からなかった」のかを書かないと大人じゃないなと思った次第。
また、割と棘のある感想を書く人もいるようでそのことも議論になっている。
『よく分からなかった。』とバサッと斬ったのはいけなかったかと少しだけ反省しました
(そういう感想を作者が期待していたというか、想定していたと思うのは私だけ??)←反省の色無し
何が「よく分からなかった」のか。
誰の視点で書いているかが分からなくなることがあること。
『アルツハイマーと高次脳機能障害とダウン症の会話。』から『はたまた、別の記載と混同して記憶しているだけなのか。』という部分。これは、誰だろう?
自分の書いた記載ながら、記憶を消してそれが分からない『青年』(「博士の愛した公式」の博士のような感じの青年)の可能性もあるけど、『青年の思い込みが先走りしてしまっただけなのか。』ということから、別の第三者が、青年の残した記載を読んでいる可能性も残る。
また、『三人のアルツハイマーの会話。会話が成立したことに賛同する者はいないし、不成立をとがめる者もいない。お互いの言ったことを忘れてしまうことに既に戸惑いはない。』という所。
『会話が成立したことに賛同する者はいないし、不成立をとがめる者もいない。』は、「三人のアルツハイマー」の会話を介護士さんが聞いていればそれは分かるけど、『お互いの言ったことを忘れてしまうことに既に戸惑いはない。』は、誰の視点? 『お互いの言ったことを忘れてしまうことに既に戸惑いはない。』の『お互いの言ったことを忘れてしまうこと』と『戸惑いはない』と、第三者視点から断定するのは難しいと思う。「戸惑いはないようだ」なら分かる。
青年の他に、この人達を観察している人がいると考えることも難しいように思える(神視点でも辻褄が合わない)。
だから、誰の視点で書いているかが分からなくなることがあること。
この短編の内容を少し強引に希釈して解釈すると、「むかしむかし、人間は天に届く塔を作ろうとしました。その塔をバベルの塔と言います。しかし、神はその行為を怒り、バベルの塔を壊し、そして人間が意思疎通できないように、バラバラの言葉を与えました」というような神話がモチーフの、「人間ってわかり合えないよね」的な感じにもとれるけど、それは違うような気がする。
そういうわけで、「よく分からなかった」。
結論としては、「何が分からない」のか「良く分からない」のです。
決勝の投票もした時、これくらいのことは考えて結局、あの投票時の感想になったのです。
「集中力の足らない真面目に考えられていない」感想だ、とか批判しないでくださいね(切実)。