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〉 「前の作品の方がよかったとか、この人は優勝経験者だから」というのは、「作者」の部分がマイナスになっていて、なんていうか、「読者→作者→作品」であっても、それがプラスになることもあればマイナスになることも同じようにあり、そういったところでアンフェアさというものをあまり感じていなかったと思います。わかりづらい気がするので補足しますが、例えば「紺詠志」という「名前」が、同時にプラスにもマイナスにも作用する、という感じです。やっぱりわかりづらい。
 無意識の内に「作者」の部分がマイナスになる例を2つ挙げていたことからもわかるように、私は、「読者→作者→作品」がプラスに働いた例をあまり見てとれていなかったようです。それでもアンフェアだと思っていないのは、やはり前述の通り、いずれにせよ作品だけを評価するということは絵に画いた餅みたいなもので非常に困難だと考えているからです。作者を意識することだけを殊更に批難することもないんじゃないかな、と思っています。

〉 なんかもう書きづらくなってしまったんですが、記名と票公開可/不可もあったと思います。昔は記名をしている人は今より少なかったですし、票を公開している人も全体の半数ぐらいだったんじゃないでしょうか。隠していた/隠されていた部分が多かったというか。その後ろにある人格を隠していた人が多かったというか。その是非はともかくとして、感想票の内容も一歩引いたようなものが多かったように思います。
 感想票の内容にこだわる方がいる、というのは最近の発見だったんですが、私としては投票が主で感想は従(しかもかなり比重が低い)という位置付けだったので、わりと形式的なものとしてとらえていました。
 フェアかどうかとは違う話になりますが、読むのは好きだけど書くのは苦手、という人にとっては、あれが結構心理的な障壁になるんじゃないかというのが以前から気掛かりです。ボタンをポンポン押しただけの票が増えるのもあまりよくないのかもしれませんけど。

〉 人それぞれ好みというのはあります。けれども、同じ人が同じ作者の作品に何度も票を入れていた場合、はっきりそれとわかってしまう場合、やはり僕はそこにアンフェアさを感じます。なので、という繋ぎが正しいのかどうかわかりませんが、qbcさんの『つまり「フェア」が保たれているならば記名でも構わないということになってくるのでしょうね』というのにはイエスです。
 ここが一番興味深いところだったんですが、私は「同じ人が同じ作者の作品に何度も票を入れて」「はっきりそれとわかってしまう」ことがあったら、それはアンフェアな投票行動の結果ではなくて、極度にフェアな投票行動の結果だと考えると思います。『極度に』とつけたのは、投票過程がある程度見えたり、自分の後で他人が投票することを見越せたりすると、その影響を受けてしまうことが多いと思うからです。投票者がそれらを含めた諸々の影響を撥ね除けたら、今より票が偏るんじゃないかと思っています。非常に複雑な問題なので、想像に過ぎませんが。

〉 あと別にね、何かを決めようとしているわけじゃ全然ないので。僕自身、明確な何かを持って書いてるわけでもないので。それはほんと理解してください。
 意見のサンプルが増えるのは純粋にいいことだと思いますので、気楽にのんびりとやりましょう。

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