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前半に比べて後半が明らかに雑になっていますが、訂正する余裕がないため、出します。次は投票、その次が来期投稿作。間に合うのか。

#1 夏の動物
 中盤の別れ際に主人公とキリンの力関係が逆転したような場面があるのだが、それが劇的に見えなかった。そのためか、盛り上がりに欠けるだらだら流れる話である印象を持ったのだが、あるいはそのようなものとして作られた作品なのかもしれない。
 森氏がこのような作品を書いたことが私には意外だった。氏の描写力はなんでもないできごとを話に持ち上げる力であると、これまでの作品から思っていたからである。本作はそうではなく、その描写力を使って話を作っているのだが、それだけであり、虚ろな感じが否めない。それでも、最初の段落の「空に浮かぶそれを、爪先で押し込み、遊んでいた」と言える感覚は、相変わらず面白いと思う。

#2 世界一短い推理小説(千字ver)
 たったひとつの文から物語世界を膨らませるという発想と、それを作品にまで練り上げたことが、凄いと思う。しかし推理を語るだけで終わらせてしまったのは、冒頭に描かれている小説の読み手の存在と呼応しておらず、良くないと思う。それに読み手の存在を出せば、例え推理の内容が不完全であったとしても、「私はそう思った」というような人間味としてとらえられる可能性もあるのだと思う。それから、推理小説なのだからハードカバーの内側には推理の内容の一文があるべきではないかと思ったのだが、いかがだろうか。
 Et.was氏については、相変わらず面白い題材を見つけてくるものだと思っている。

#3 淑女願望
 問1。リアの両親と婚約者が焼死したのは、誰が望み、誰が仕組んだことか。
 マーカスは一度捕縛されており、逃走までが筋書きとしてあったようには見えないので、仕組んだのはリアではないだろう。それにそうであれば、二人きりの場面でナイフは必要ない。しかしマーカスであるとしても、リアの反応が冷たいように思えるのである。
 問2。リアの本心はどこにあるのか。
 途中の「最後に会ったときケンカをして〜私の片割れのような人。どうして。」と最後の「これでいつでも、あなたの傍で死ねるのね」は両立しないと思う。そうではなくて変化したものであるとすれば、その過程が描かれていないと言わざるを得ない。

#4 追い風
 向かい風でなく追い風を邪魔とする発想は面白いと思うが、正面から吹かれたら向かい風ではなかろうか。うつ伏せに寝て天井から扇風機を吊るすということは、やはり風は前から吹いているのだ。
 ダッシュと「あー」の台詞、これで視覚的なリズムを作ろうとしているようだが、視覚的なリズムだけで物語として必要なものには思えない。それに「あー」と言いたくなる場面は、恋人と別れた場面だろうと思う。
 他にもわからない表現が、「今が梅雨なら半月あれば万事休す」と「1台目の扇風機、プロペラ腐って飛んでいった」のふたつ。後者は、風は主人公だけが感じていたのかそれとも本当にあったものかをわからなくさせてしまうものだと私は思った。

#5 ナレーション
 さてナレーションとは何だったのかと思うのですがね、まあ辞書で調べれば答えは出るでしょう。でも今手元に辞書がないのでそれは割愛させていただいて、語りですね、語り。その語りが面白いとは、ああ、面白いと言うと語る題材が面白ければ聞き手としては面白いんですよね。だったら素晴らしいと言ってみようか、語りが素晴らしいとはどういうことかと聞いてみますと。すると語りは語りだけじゃなくてさ、見せているものとの比べてどうかってことになるんじゃないかってあたしゃ思うんでさ。そこから考えてこの『ナレーション』って小説だけど、これは語りよりも内容頼みなんじゃないかってあたしなんかは思っちまうんだけど、どんなモンでしょうかね、あたしの語りは。

#6 求ム、
 最後のどんでん返しが、着眼点、急展開、ともに良いと思う。
 ではあるが、そのために用いたものがこれで良いのかという疑問がある。例えば、比較対照として玩具を挙げているが、電化製品の方が良いと思う。電化製品にも説明書はあるし、故障すれば修理に出す。むしろ電化製品の方がそのようなことが多いのではないかと私は思っている。そして説明書なのだが、これが意外と簡単なようで実は簡単なことしか書かれておらず、読んでも使いこなせないものだったりする。説明書のそういう点を前面に出しても良いのではないかと思うのだが、余計なところで小難しくしてはならないとも言える。それから、中盤のギクシャクする事例だが、これは良くなかった出合い方で使うべきものではないかとも思った。しかしその場合に、空いた場所にどんな事例を埋めるべきかは、思い浮かばない。

#7 たけしの観照(3+9=?)
 この答えは面白い。
 つよしではなくたけしだったのか、この人は。
 登場人物のつながりを一話限りとしないところが凄い。
 しかし。剛と猿の間にはNASAに行ったおじさんがいるはずである。剛の話す猿の話はそのおじさんから聞いたもののはずなのだが、彼はこのようなことを言う人だっただろうか、変な乾電池を持っているような人だっただろうかと私は思った。
 それから、「ほりこむ」といった表現あたり、地の文まで関西弁なのだろうかと思った。

#8 舌鼓
 今時の大学生は三年目の早い時期に就職活動をするものである。二十一歳の春では暢気すぎる(ついでに言えば修士課程の院生は一年目から就職活動をすることになる)。そしてさらに今しかできないことと言って乗馬クラブに入会する。未来が怖くないのだろうか。しかも学生のくせにバイト代が貯まると言えるほどに金がある。どんな人物なのだろうかと私は疑問に思った。さらに言えば、私は動物が好きではないのでよくわからないことなのだが、動物好きを自称する者が馬にすることを犬にもしようとするものなのだろうか。
 それから、第四段の「競馬会での行き場を失い」は「競馬界」の間違い。

#9 ひつじ雲
 他の方の感想のとおり、年齢がわからない。最初の段落からは幼い子のように見える。しかしもう一人が登場する場面まではそれよりも上のような言葉の遣い方で心情の描写がされていて、幼ぶっているのかもしれないとも思うのだが、それにしては置いていかれたときに執拗さが感じられない。愛娘と言っていることから、援助交際の類ではないだろう。
 他にも首を傾げる点があるのだが、おそらく言葉の遣い方が甘いためだと思う。「だからあたしは影が増えたことに気付かなかった。パパを挟んだ反対側に、あたしより大きくてパパより小さい影が一つ」、これでは時間の経過の説明にはやや欠けると思う。ふたつの文の間に気付いた瞬間の動作があった方が良いと思う。「さっきパパが買ってくれたアイスがすっかり溶けていた。〜アイスさえ溶けなければパパは帰ってくるかもしれない」もアイスが溶けたことを過去形で確定させたはずなのにその後に仮定形を用いるのはどういうことだろうと思う。あるいは点々と続くアイスが『ヘンゼルとグレーテル』のパンくずのような役割を持っているというのだろうか。細かいことを言えば、「パパが買ってくれたアイスが」ではなく「パパが買ってくれたアイスは」とすべきだろう。
 それから、ピンク色のフレアスカートや銀の指輪を描いているのだが、夕日の下で色彩を描くのはあまり良いこととは思えない。それらも影の形だけで表せば良かったと私は思う。
 面白い手法だと思ったのは、最後になって一人称を「わたし」からさらに「私」と変遷させて時間の経過を示したことである。二回の変化でよりそのことがわかりやすくなっていると思うし、長い時が経過しているとわかる。そして、それほどまでの想いであることが伝わるのである。

#10 Corruption of the best becomes the worst
 落ちを書きたければ当然のことなのだが、それまでの描写が落ちと矛盾しない、落ちを支えるものでなければならない。本作の第一段落は、それに適っていると思う。しかし私がわからなかったのは、どうして薬を飲むのでもない「彼」もグラスに水を用意していたのだろうかということである。
 さてこのあと主人公はどうするのだろうかと思ったのだが、睡眠薬をあおって死ぬのだろう。しかしそれにしては「私が死ぬのは、彼がいなくなった後でも遅くはない」と呼応しすぎるだろうか。

#11 小あじの南蛮漬け
 愛だな、と言うと軽薄な嘘にしか聞こえないが、そうとしか書けない。
 主人公の感情が動いている。しかし実は彼女がしていることはそれほどのことではない。健康に良さそうな朝食を作り、ちょっと飼い犬に当たり、夕食を作っている、それだけ。それに感情の起伏をつけることで物語にしているのだから、凄い。
 多分A型同士なのだなと思う。それにしても自分以外の人が見るカレンダーに「プロポーズした日」などと書き込む人とは、どのような人なのだろうか。

#12 らくだと全ての夢の果て
 他人のラクダに一番近しくしているのはどういうことかと思うのは余計なこととして、死にそうなラクダをキャラバンで使うことはあることなのだろうかと疑問に思った。
 本作の主題はラクダの詩。しかし詩に集中しすぎて物語がややおろそかになってはいないだろうか。会話形式で進められた話が、最後のラクダの詩の部分だけ、ラクダが語り終わって死に主人公が涙を流すという、交わりのないものになってしまっている。それから、夢が蘇るという言葉は心に染みるが、実はこの主人公はそもそも夢を持っている人物なのだろうかと私は思ってしまった。
 ラクダの台詞を括弧書きにしているのは、視覚効果にもなっていると思う。ただ改行を通常の文章と違うリズムで使うだけよりも強調されて見えてくる。これに対して「水?めったに飲まないじゃないか」の部分だが、これも鍵括弧をつけなければならないはずである。

#13 アイ ウォント ユー
 上手とまでは言えないと思うが、感傷的な言葉がどこか心地よい。それは私がそのような気分だからなのかもしれない。
 良いと思った表現をふたつ挙げれば、ひとつは「彼が持っているものを私は何も持つことは出来なくて、私が辛うじて持っている少しのものを彼は何でも持っていた」。矛盾したことではあるが、前者だけとしなかったのは良いと思う。もうひとつは最初と転換点の出だしを同じリズムとしてダッシュを用いていること。逆に良くないと思った表現もふたつ挙げると、ひとつは「でもどうやったら叶うだろうか」。これは確かに思うことであるが、この部分のインパクトを弱めてしまうため、無用だと思う。もうひとつは「思案に耽るうち」。ここは思案のしどころではなく、至福に浸る場面でなければならない。
 それから、「始めて触った彼の感触」は誤字。

#14 擬装☆少女 千字一時物語24
 以前の作品を読んでいないから、という感想をいただいた。それは物語になっていないということ。千字から何もわからないということ。なにをやっているのだろう。足りないものは登場人物たちが誰かということ。なのにそれをどうすれば良いのか、それは本作を直すということではなくこのことを克服した次の何かをどのように書けば良いのかということだが、それが、わからない。

#15 右手と左手の会話(ソナタ形式)
 私にはこの種の作品が読めないのだろう。『愛唱歌』を読んだときと同じように、わからない。唯一書けることは、展開が速いのではないかと思ったことである。

#16 糞の礼
 状況はよくわかる。訥々とした語り口が余計なものを入り込ませず、最も機能的に働いている。だが、何故そうなるのかわからない箇所があるのは、私がサービス業の現場にいたことがないからなのだろうか。それとは別に、第二段落の存在する理由も、わからなかった。
 わからなかったのは、白髪頭が紙幣を差し出したことを「こころを金銭で売買する」と見た理由。従業員は迷惑を被ったが、だからと言ってそれとは違うところまで悪し様に言われなければならないものなのだろうか。それからわかりにくかったのは、「その怒りに対してだけ、関さんは怒っていた」の一文。これだと関さんは白髪頭の感情をどこまで読みきっていたのかわかりづらいと私は思う。実際は表面しか見えていなかったはずだ。
 最後の段だが、qbc氏自身が、菓子折りをもらったのは支配人の笹川さんでなくパートの関さんだったと言明している。しかし私はそうは思えない。それではあまりに関さんという人物が軽くなってしまう。むしろ支配人がサービスの良さから従業員の名前まで覚えてもらったことを喜んでいるものだと、私は最初に読み、今もそう思っている。

#17 海退
 悪い意味ではなく、読者に語りかける言葉ではない。徹底してそのように見えるので、そういう作品なのだろう。言っていることがわからない。しかしわかる必要もないと思う。それでも、それはどの文字にも表されてはいないが、自分の起源を探そうとしていることが伝わってくる、と思う。
 また、モノクロームやセピア色ではないが、決して原色系ではない、何と言うべきかはわからないが、そのような色使いが感じられた。

#18 仮面少女
 なにがしたいのだろうか、この思いは作品そのものにも言える。それを作品中の劇に託しているのだろうか。そうだとすれば見事、そうでないとすればなにがしたいのだろうかと言うだけで終わる。
 七転八起ではなく、七添八起。とむOK氏の持ち技のような気がしたが、これは面白いと思った。背景を書き起こし、添える。そういうことなのだろう。

#19 車内の吐息
 三人称で書かれているが、それにしては主人公に近すぎる書き方に思えた。「この状況が分かるか」、「顔全体は真っ赤に染まって、体温急上昇」のあたりがそれなのだが、やはり最後の一文が決定的に違う。
 ただ、みずみずしい感情があって、それは良いと思った。

#20 顔
 初めて見る感情、死にたくて死ぬのではなく、しかし生きたくて生きようとしているのでもない。死の呼び声、しかしこれまでの作品と違って、温かくない。
 なぜ「私」の携帯電話を探して「彼」が海に行ったのか、これが本作の肝要のはず。しかしそれが、私にはわからなかった。死の呼び声が「彼」にも伝染したのだろうか。

#21 オレンジ
 fengshuang氏については、相変わらずの色使いだと思う。炭酸飲料水か何かのような、爽やかな色使いをしてくれる。それがあるから少ない描写でも読者はいろいろと思い浮かべることができるのだと思う。それが風景だけでなく、心情にも至る。

#22 常連のお客様
 一発ネタにしては弱いと思ったのだが、おそらくその理由は登場時の描写が少ないせいだと思う。振り向いても人影はない場面のはずなのにすぐに猫とわかったこと、それからこの猫が主人公以上に店の常連であることに言及されていないことに物足りなさを感じた。それから、この猫がどうやって扉を開けたのかも、わからない。

#23 祖母の入院
 良くも悪くも、急速に感傷的になっている。それが描けているところが良く、しかし考えにくい急な変化だというところが悪いのだろうか。それに、最後だとわかっているのに遠ざかろうとしていることに、理由があった方が良いと私は思った。そうでなければ不孝者と取られる可能性もあるのではないだろうか。

#24 さあ、みんなで!
 はっきり絵がわかるのは良いと思う。しかしジャンプ一回で服を脱いで、それから温泉に飛び出すとなると、服を脱ぐためのジャンプは何だったのだろうかと、私は思った。
 それから、しようもないことが書かれている秘伝の巻物の内容をしっかり思い出すのは、作品として必要なことではあるのだが、面白い行動だと思った。

#25 シルク
 宇加谷氏や公文力氏は自分の作品の登場人物などを重ねて使って、物語を書き進めていく。それは拡大の方向性を持つ。それなのに、私は本作から収束を感じた。収束と言うよりも終息かもしれない。別れを感じた。
 私は、るるるぶ☆どっくちゃん氏の作品から、まれに美しさを感じる。しかし今回はそれを感じなかった。

褒めるためには全文を読み込まなければならない。しかしけなすためには一箇所を見つけるだけで良い。その差は、大きい。

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