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 こんばんは。

 qbcさんの『糞の礼』を「性交に関する話」だと思った理由を書いていったら、『糞の礼』の解説になってしまいました。


 『糞の礼』を「性交に関する話」だと思った理由は、まず単純に、性交に関するものが出てくるからです。「未熟な性器をあらわにし」ている「女児」。その文章の隣に並べられている「男」の「尻」。「笹川さんの結婚相手は不妊症で子供がいない」こと。
 これらの共通点を考えて、これらが表しているのは「生殖目的ではない性交」なんだと思いました。
 「未熟な性器をあらわにし」ている「女児」と「男」の「尻」の描写が始めに出てくるのは、この作品が「生殖目的ではない性交」を扱った小説であることを示しているのだと思います。「笹川さんの結婚相手は不妊症で子供がいない」という情報は、それを補足するためのものでしょう。

 「俺」はきっと生殖可能な青年です。この作品には、そんな「俺」の生殖相手としての異性が登場しません。女湯やそこを訪れる女性の存在は隠され、笹川さんの奥さんはわざわざ「結婚相手」と記され、唯一「女性」として登場する「関さん」も、「五八歳」という年齢的に「俺」の生殖相手とは言えません。

 こういう土台を持つこの作品で「生殖目的ではない性交」を表しているのが、「散乱した」「大便」と、それを「片」すという行為です。
 「大便」を「散乱」させるのは「白髪頭の男」とその「中学生の息子」、それを「片」すのは「関さん」です。実際には「俺」も「片し」ていますが、この作品の最後で「俺」の「名前」が「白髪頭の男」に「省かれてい」る通り、「片し」ている人としては数えません。あくまでも語り手です。
 「大便」を「散乱」させるとは射精のことで、関さんの「仕事だからするけど」という台詞を踏まえれば、それを「片」すという関係は性風俗の店とその客との関係のようなものを表しているのだと思われます。
 因みに「白髪頭の男」と「障害児」である「中学生の息子」は、それぞれ「社会人としての外面」と「性交したい欲望」を表していて、二人で一人の存在だと思われます。

 そういう関係とその時の「白髪頭の男」の振る舞いが描かれた後であること、そしてこの作品が「生殖可能な女性の出てこない生殖目的ではない性交を扱った話」であることを踏まえた上で、「こころを金銭で売買する人物」として「白髪頭の男」のことを「認識」し「陰で相当あし様に」「噂した」「従業員たち」や、それに対して「しかたがないよな」と言ってしまう「結婚相手」が「不妊症で子供がいない」「笹川さん」の存在を考えると、皮肉がきいてるなあと思います。
 と思えば、「白髪頭の男」が「現金」ではなく「菓子折り」を「名指しで渡してきた」ことに「はしゃいで」しまう関さんをすぐに登場させたりして、抜け目がありません。

 「俺」はそんな「生殖可能な女性の出てこない生殖目的ではない性交を扱った話」であるこの世界から既に脱出していることが、始めの一行目に書かれています。
 ただ、「俺」が何故そんな世界から「省かれていたのかは謎」です。「パートの精神衛生管理」ができるような人間だったからでしょうか。この辺りがこの作品の内容になるんだと思います。


 私がqbcさんの『糞の礼』を「性交に関する話」だと思った理由は、以上です。



 qbcさんの作品は、上記のような解説を読者が容易に引き出すことができるように書かれていて、毎回本当に上手いなあと思わされるのですが、その無駄のない文章がどことなく機械的に感じられて、それで私はqbcさんの作品をうまく呑み込むことができないでいます。
 qbcさんの場合、情報があまり盛り込まれていない作品のほうが得票が多いような気がします。それこそ短歌一首くらいの内容で十分なんじゃないかなと思います。それくらい、文章に破壊力があります。

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