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 「さま」はちょっと居心地わるいなあと感じている海坂です。そろそろ筆名変えたい。
 えーとまず、私が61期作品の感想を書いた時にはqbcさんの作品は未読でした。いささか不真面目な読者なものですから、この頃は全期全作品克明に読んでおりませんで、全感想書いてみたのも久しぶりでした。言われて初めて読んでみたというわけです。

〉 「教員」が「賛美させ」ていますか。子どもが自然に歌い始めたものです。少なくとも本作では「教員」は子どもの国旗国歌受容に関与していません。

 ああいやそうではなくて、テクスト自体がそういう意識を持っているということです。確かに私のあの書き方では主語が明示されてなくてわかりにくいですね。
 作品の中で、登場人物が何か行為をするわけですが、実際それを操っているのは「言葉」です。でさらに、その言葉を書きつけるのは作者であるわけですが、この作品内世界――テクスト――作者の三つの層は区別しないといけない。
 今の場合で言うと、当然作中の「教員」は主導しておりませんが、この世界を表現するテクストが、子供たちにそういう事をやらせていると考えられます。
 そして結局、それを書きつけた作者が、「国家の象徴たる国旗国歌を、無垢なる子供たちに賛美させ」たというわけですが、じゃ作者もそういう、日の丸君が代万歳みたいな思想を持っているのか、というと一般的にはそうはなりません。まさにそこが虚構の自由さといえます。
 とは言うものの、今の場合、

〉 ここまで言われると、ではいったいどういう方法でなら「国旗国歌」を扱えるのかと別のことを考えはじめそうになります。

 ということで、やはり作者さんは国旗国歌を扱いたかったんだなあと思った次第です。つまりこの作品の戦略は、作中にあからさまに子供たちを教唆する存在は出さずに、テクストの外側から、世界観を表現する道具として子供たちを操ったというわけです。ここで彼らが障碍者であるという設定がまた、別の感動を呼び起こして、国旗国歌の称揚から読者の目を逸らさせる効果があるわけです。

 何やら悪意しか感じられないコメントになっていたら申し訳ないです。読者の感じ方なんて勝手なものです。

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