長いなあと思われたら、ここは飛ばしてくださっていいかもしれません。やや細かい話になりますので。
もう少し掘り下げて、作品に表れる作者の努力を読者が読み取ることは、作品を面白く読むことに本当に繋がっているのでしょうか。
あくまで私の意見であることをお断りした上で言いますが、
「作者が何を書きたいと思って、それをどのような方法(あるいは思考錯誤・努力)で為したか」(このへんを私は作者の創作姿勢・努力という言葉で表現しました)
に、私が配慮したい理由は、(ショートショートであれば作品の質そのものにはそれほど関係しないかも知れませんが)例えば文学志向の強い作品については、作者の今現在の感じ方考え方生き様そのものが、作品の表現に強く反映されてくるものだと思うからです。
それは作品中で文章によって主張されるのではなく、登場人物の設定だったり、細かいしぐさだったり、小道具の選び方だったり、情景描写であったり、表現の選び方であったり、物語の構成や帰結点であったり…様々です。こういう「作者の努力」を作品から読み取ろうとすることが、私にとって、とても勉強になります。しかし、一見ではなかなかつかみにくいものもあるので、自分が読み慣れないスタイルの作品のよさを見つけるには、必然的に何度みますし、時間もかかります。
なお、ここでは、あくまで作品から読む、という意味で申し上げており、作者自身による作品解説については除外しています。それはまた別な論点ということで。
話はずれますが、気楽に投稿される作者さんがいても、不思議ではないわけです。私が三十分かけて懸命に読んだ作品を、実は鼻をほじくりながら五分で書いている、ということだってあるかも知れないのです。それはちょっと嫌ですが、鼻をほじっているところを透視しようとして読むわけではないし、読み手としてはそういうことに関係なく、払った努力に見合った面白さを発見できるのだと思います。また、作品が優れているなら、時間も鼻も関係ないし、鼻を掘っていいアイディアが出るなら私もやります。
(③へ続く)