仮掲示板

恕に往かず何も変われずの、第58期感想残部

題名をつけるのが苦手とたびたび言っておりますが、それで後悔するのは実は投稿作品ではなく、掲示板であったりします。この度もまた然り。
さて本題の感想の前に、以前にも感じたことがありそのときには言わずに抑えたことなのですが、今回は言ってしまいます。

私の知っている時期の『短編』の掲示板は、批判に対して態度が厳しい、あるいは冷たいと言っても否定的と言ってしまっても良いのかもしれません、そのように思うのです。
タンソ氏の意見は、テーマを感じさせる作品が良い作品であり、それを目指すべきであるということだと私は受け止めました。私が過去に使った言葉で、何かを感じさせる作品が良い作品、という言葉がそれに近いものだと、自分では思っております。ただし、私の場合は読み解くことはしないので、感じることは必ずしもテーマのようなはっきりしたものではないのですが、それは読み方の問題ですので、やはりテーマを感じさせるべきの意見は是であると思います。
このような意見が出されたときによく挙がることが、ではどうすれば良いのか教えてほしい、ということかと思います。それは、プロは問うてはいけないことなのでしょうが、アマチュアの身としては情報交換などもしたいと思うのです。しかし、それらの意見は押しつけになってはいけないと思います。交流を持つことによって情報を得て、あるいは発信もできれば良いかと思います。異分野ではありますが『文学極道』を挙げたのは、せめて多少なりとその役に立てればと思ったからです。
否定することは簡単です。しかし、それだけに留まるべきではないでしょう。
自分は『文学極道』に手を出さないで良かったと安堵している、黒田皐月なのです。

結局のところ進化もせず、深化もしなかった感想を、提出します。
怨の念を称していたところに含まれていなかったからといって、実は必ずしも好きになった作品ばかりとは限りませんと、余計なことを付け足しておきます。

#1 葬列
私が未だできていない多くのことのひとつに、天気の描写がある。本作ではそれを直接に描写せずに登場人物の台詞を用いて表しており、それは上手い書き方だと思う。雨でも良かったのかもしれないが、降りそうでまだ降っていないという天気を選んだことも、情景の構成に上手く作用していると思う。
前半はただの会話のようでもあるが、そこにもすでに異様なものが散りばめられていて、恐ろしげなものになっており、特に「写真の中では少年が死んでいた」の表現は怖いと思ったのであるが、さてどうしてわざわざ運んできた棺が置き去りになってしまったのかは、わからなかった。

#2 ねがいごと
私がこの作品で上手いと思ったことは、油揚げの量に変化をつけていることである。即ち、ヨウコのときの「結構大量」から、ヨウイチのときには「大量」に増やしていること、これが祖母の気持ちを表現している。
子供の頃の記憶が蘇った後の最初の行動があった方が良かったかもしれない。しかしそれは非常に難しく、並大抵のことではせっかくの良さを壊してしまう。それならば、本作のようにあえて描かないことが、正解なのかもしれない。

#6 爪
爪を失う場面の描写は詳細に描かれているものではないが、恐ろしいと思った。それはあるいは、物語が生々しく描かれているということなのだろうか。
そこまで周囲に合わせて生きなければならないのかと、そういったことにはおよそ無頓着な黒田皐月は思った。しかし本作は、そんなステレオタイプの悲哀を描いたものである。

#9 とある日常
さて鷹山がなぜ天野の携帯電話に電話をしなかったのかは、結局わからない。そのあたりが、脳内を一度見てみたいと思わせるところなのだろう。だが、同時にその時刻が記憶に残っている天野もまた、脳内を見てみても良いのかもしれない。
「キレ者だが、頭の線が一本切れている」は上手いと思った。

#13 チュベローズ
ヘトヘトになりながら書類の整理をするのは、もっとスマートなイメージのある古田さんらしくはないかなと思った。そうではあるが、この作品群は時系列に並んでいるものではない。すべて整理して並べ替えをしたことはないが、本作はかなり初期に属するはずである。そうすると、まだスマートに仕事ができていない頃と言うこともできるのかもしれない。

#14 晴雨
なぜ途中から改行のさせ方を変えているのかはわからない。
最後を除けばこれは単なる手記に過ぎないのだが、これに狐の嫁入りの逸話を織り込んで物語とさせている。そうすると今度は手記であって、事実以外が入り込まないものであることが重要となる。私にはこれが戯曲の一場面のように見えたが、そういう構成で良いのかという疑問もあるかもしれない。

#15 わくわく
悪く言えば前期の『見えない出口』のポジティブ版の二番煎じ。
私は、最後の行を読むまで出稼ぎの話だと思っていた。「かつての友はライバルとなり…」では、どんな仕事だろうかと首を捻ったりもした。だから、最後まで結論を予測させないことには、成功していると思う。
さて、それを知った上でもう一度読むと、「男は帰ってきてもまだ仕事がある。」の一言は男尊女卑に聞こえるのだが、どうだろうか。

#16 僕と猫
人語を解した猫は、私たちが現実に知っている猫であり続けられるだろうか。それを探せばいろいろな作品が挙げられるだろう。しかし、『吾輩は猫である』のような猫が人語を発したら、可愛くないだろう。
本作の猫は、現実の猫から大きくは外れていないと思う。それが良いことか否かはわからないが、柔らかい物語になっていることは、良いことであると私は思った。

#18 きれいな円が描きたい
円は平面状の図形であり、立体的に存在するものではない。
この物語の良さは大きく三つあると、私は思う。ひとつは、『よいとこさ、よいとこさ』に対して同じことを言ったが、本当に創作なのかと思わせるくらいに劇中の行動に上手く当てはまっているその行動の由来、劇中では風習としているものである。ひとつは、第二段落のような、行動を読者に鮮明に想像させるに足る描写の上手さである。そしてもうひとつが、「円の姿に好悪はない」という含蓄の深い言葉である。さて、この言葉に込められていることは「円を描くということの難しさ」だけなのだろうか。「堅苦しいことではないから」と言ったことにつながるが、これによって処罰を受けることは今はないからきれいな円が描けなくても良いということもあると思うし、また、海坂氏の感想につながることだが、描かれた円よりも描いた者の精神が肝要であることを言っているようにも思える。
ところで、上から時計回りと反時計回りの半周ずつで描いたらどうなるだろうか。

#19 メフィストフェレス
古参の庶務の女性とキレ者の新入社員の男の子、この二人の関係をさて他の言葉で表そうとすると、これが難しい。即ち、この例えは巧い。恐らく美人でもなく、結婚適齢期も過ぎてしまった女性でも呼べばすぐに来るのだから、もはや女たらしの域を超えており、悪魔としか言いようがないだろう。
その悪魔の世間の飛翔術を盗んだものが、課長のお猪口を取ってしまったことなのだろう。意味のない羅列にも見えるが、決してそうではない構成をしている。

#21 美空ひばり評
わたなべ氏の作品に対して「嘘みたいに幸せな家族」という評がある。それは本作にも当てはまる。それは必ずしも悪いことではないが、読者によって好悪がわかれることも生じる。黒田皐月はこの種の作品は好きであり、私の評はすべてそのことが基盤にある。
温かいと言わずにそう思わせることが、最も上手いことなのかもしれない。しかし私は、描写を積み上げて頂点にその言葉を持ってくる手法が好きである。本作は、すべての描写がそのために用いられているように私には思えて、その積み上げられた温かさが、私は好きである。

#22 部活動生22
これが22番目に位置していることは、偶然のはず。
本作について考えさせられることは、現実では主人公は何歳なのかということである。それによって夢の内容が、まだ来ない未来に怯えているのか、過ぎ去った過去に後悔しているのかということで、まるで違うことになってしまう。ただ、それは必ずしも必要ではないことかもしれず、それが面白みなのかもしれない。その夢に母親が登場したのは、なぜだったのだろうか。現実にも登場させておかないと、マザコンのように見える。
さて、食パン一斤など、どうやって食べるのだろうか。

海坂氏の所感には実はあまり読んでいないからと逃げることにして、先のタンソ氏の「美しい」や「綺麗」といった言葉遣いや相対性理論への向き合い方の意見を一般論だと思って読んでしまっていた、黒田皐月でした。そんな言葉を使うのは実は私ばかりだったことに、後になって気がつきました。

運営: 短編 / 連絡先: webmaster@tanpen.jp