それでも感想を書くということは、いろいろ挙がった意見に反対していると言うよりも、拒絶していると言って良いのだろう。
#1 さよならの夜
千字よりも長い詩があるのだから、『短編』に詩情のある作品があるのは良いことなのだと思う。そして、この作品にあるのはその詩情なのだと思う。徐々に具体性が見えてきて、しかしそれは完全でないところ、うまく構築されているのだと私は思う。
#2 タマネギ
SFは難しいのだと思う。タマネギがある宇宙人の脳の幼生であるとして、タマネギであるときにどの程度の知性を残しておくべきなのか、それによって読者が普段食しているタマネギに対してどう思うかということが変わってくる。この作品の場合、宇宙船に戻ってようやく知性が戻ったようであり、地球上ではゼロだった模様で、さじ加減としては良いのではないかと私は思う。
しかし、層が重なっているタマネギのどこが皮でどこが脳とされているのかは、想像できなかった。
#3 日記
この結果がやりたかったのだろうか、と疑問に思った。こんな残酷なことをしなくとも、他にやりようがあっただろうと私は思ったのである。つまり、嫌いの類。
それはさて置き、宿題のはずだった日記をホームルームの時間に書かせるとは、この教師の強引さも常軌を逸していると思った。
#4 鳴るよズキンズキンと
狼はリスを食べないのかとかリスが人間の味に興味を示すだろうかとか熊に鉄や薬の味と言うよりも鉄や薬がわかるのだろうかとか、そういった基本的な疑問をこの作品に対しては持ってはいけないのだろうか。
しかし、傷が疼くのではなく鳴くとして、そこからこのような構成を作った発想は評価されるべきものなのだろうと思う。
#5 裏返し
良い題材を描いたと思う。誰もがそうだと読者は思うかもしれない。しかしこの描き方のものを読んだことがあるかと問われれば、どうだろうか。形容しがたい不思議な読後感を、私は持った。
ところで、「何回も確認したのは自分の住んでいる町の天気予報だった」ということは、主人公は動物園に比較的近い地域の住民ということなのだろうか。遠方の町単位の天気予報はテレビでは見られないものなのだが。
#6 久遠なる闇
読めなかった。他の方の感想をいくつ見ても読めなかった。「君」と「私」が何者であるのか、人であるのか人ならざるものなのか、これがわからないとまるで読めない。何かが足りないのではないと思う。私が読めなかっただけか、千字では収まりきらないくらいに大幅に書き足さなければならない即ち千字小説であるべきではないか、どちらかではないかと思う。
一日なり一年の変化を描いておきながら、永久なり久遠に収束するこの変化はどういうことなのだろうかとも思った。
#7 クランベリージャムにコンドーム
タイトルがおかしいというよりも、後半は何なのだろうかと、私は思った。それに、後半部分の博士たちの行動目的もわからない。
飛行機をビルに突っ込ませるのは9・11もしくはるるるぶ☆どっくちゃん世界の専売特許かと思ったのだが、それは先入観というものに過ぎない。
#8 White is Colorful
瑕のない、手本とすべき作品のひとつと言って良いだろう。題材、型、文体、すべてにおいて難なくかつ奇手なく仕上がっている。
#9 翼
感想は、稚拙。なりたい自分という題材を書いただけで、ひとつの小説として読ませるための展開のさせ方、盛り上がりというものを欠いていると思う。
これだけで良くなるものでもないが、例えばもう一人の自分が「ただじっとしているだけ」としていたところを「ただじっと自分を見ているだけ」にするなど、ひとつひとつの描写にも工夫が必要であろう。
#10 ごちそうさま
残酷な話である。なぜこんな目に遭わなければならないのだろうかと思うのだが、それは書いて良いこととは限らない。あるいは、夢遊病だったのだろうか。
#11 星に願いを
題名が上手いと思った。内容に対して良い題名のつけ方であるという類の上手さで、つまり作品そのものが上手いと思ったのである。この作品も瑕はないと思う。主人公の方が主導権を持っているもしくは強気な女性であるということがわかるように人物が描かれているところも良いと思う。
#12 春
日記の域を出ていないと思う。日常を書いたからそうということではなく、日常の中の物語性を描こうとしているように見えなかったから、そう思うのである。例えば、「丑三つ時に部屋を暗くするのは嫌だ」とある。日記ならば自明のことなのでそれで良い。しかし小説ならば、なぜそうであり、それが主人公の行動なりにどう現れたのかといったことが必要であろう。
#13 遺言
三で割り切れない数字が最後に出るのか。一等と前後賞で三で割り切れる、だろうか。
「母親の死に目は揃って見届けた」として簡潔に母親がすでに他界していることを説明している気遣いは、評価するべきものである。
#14 恐怖
作品とは関係ないことを最初に申し上げるが、読者にとってこれが実体験であるか否かとは関係のないことである。それを実体験に基づくものと言ってしまうことは、基本的によろしくないことだと私は思う。そのことによって毎度の鋭さを内包する原石の由来が少しわかったようにも思えた。それが私にとって何になるかと言えば、おそらく先入観にしかならない。これもまた作品の感想とは少し異なるが、掲示板を読んだ上でこの書き方を変えないということも、発言からわかったように思えた。磨かれた鋭さでなく、不完全の危うさを秘めた鋭さを求めているのかもしれない。相変わらず整ってはいない。しかし読むことを妨げるものではなく、読めないものでもない。案外、個性と言って良いのかもしれない。さらに作品だけの感想ではないことなのだが、ノート一冊分ののい氏の言葉を読んでみたいように思った。作品だけでは書きたい題材が描いてあるだけでもう少し肉付けがほしいように思ったのだが、掲示板の内容を読んでそれはそこからの抽出に過ぎないことを知ってしまった。本来であれば、描きたいことは書いてあるが作品としては足りないと言って終わっていただろうが、そんなことを不公平なことを思ってしまった。
不公平ゆえ不適切な発言であるが、この原石を持つのい氏にはがんばってもらいたい。
#15 意思→言葉→音→雑音
題名があまり良いように思わなかった。「言葉」は人間以外のものに対して適切であったかと思ったことと、「音」よりも「声」の方が良かったと思ったことがあったからである。
食肉に話が集約されているようだが、実は最初の一文に毛皮のコートがあり、食べること以外にも目が配られている。何を言っているのかわからなければどんな残酷なことにも気づかない、という主題に対して、表情に三日月が浮かぶ、という表現が面白い。そんな良さがある作品だと思った。
#16 目
二段落ちではないかもしれないが、私は二回驚いた。この作品にはそういう発想の面白さがあると私は思った。しかし、地の文の文体、語りのやり方が不安定なようにも思った。語りならば語りらしく統一すべきであろう。
#17 告白
そこで終わるか、それでは単なるネタではないか、と私はもったいなく思った。人を好きになる感情の重みを描く奇道かもしれないが強調できる題材に応えてほしかったというのが、一時期BL小説を数十作読んだ私の感想である。
そういう好みからの感想を除けば、難点はないと思う。
#18 母の十字架
非常に重いことを、軽くはなくしかし重すぎもせず、しっかり描いた作品だと私は思った。これも瑕はないだろう。
他の方の感想を読むまで、私はこれを自殺幇助ではなく殺人だと読んでしまっていた。無知なものと詫びる他はない。
#19 妖精
油をつなげるのに三十分も要するのか。
妖精の頭身を書いてほしい。作者の趣味が表れるから。
#20 1000^63こきんこかんしょてん
他の方の感想で63^1000だろうという意見を読むまで気がつかなかったことに愧じなければなるまい。
改行はいかように扱うだろうかとか、作品そのものが千字ちょうどでないのは手落ちではないだろうかとか、長音を定義していないから「たいぷらいた」としているのは気を遣っているとか、そんなことを漫然と思った。
#21 怒るよね
特に感想が浮かばない、ただ書いてみただけの作品に見える。
#22 無神教の祭典
神にすがることが神を信奉するもっとも正しい方法なのかという疑問を呈していることに感心した。本作はそのひとつの対案として書かれたようにも見えるが、実は僧たちのこの教義は何であろうかということがわからず、私には消化不良のような気がした。
#23 双子
犬の双子というものが私には理解できなかった。一回の出産で二匹以上産むのであれば、双子とかといった概念はないのではないだろうか。
あまり面白くないような、しかしこれ以上の書き方はないような、そんな気がした。
#24 ある日、ヒトリー。
この種の作品を読むと私は、本当にひとりになる前に気づくだろう、と無粋にも思ってしまう。国民がみんな土地を離れてしまうということは、農耕民族の国ではないということだろうか。それから、「独という国」は無用。
#25 餃子屋リー
「踏切防止キャンペーン」とは何だろうかと思って良いものか。なぜ他の商店がシャッターを下ろしているのかがわからなかったので、面白さがいまいちわからなかったのである。しかし、何とはなしに良いような気もする。