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 その作品単独でどうのこうのではなく、複数の作品を比べて評価するのであるから、どういった感想の書き方が一番いいのかを考えていて、今回は独断で分類したまとまりから感想を導きだすことにしました。とにかく、3作品を選出することを自分に課しています。

 感傷系・悲観系。
「september」「秋の夕暮れ」
 感傷にひたる、というニュアンスを含む小説は書かれた季節の影響によるものなのであろうか。いや、そうではないようだ。初参加に近い作者がその傾向にあり、文字数も少ないものが多いようである。「september」では主人公の自身への問いかけの場面、「秋の夕暮れ」ではやり残したことで読者の共感を誘っているようであるが、方向がどうも寂しく、悲しい小説になってしまっている。もっと明るい方向へ意識的に持っていった方が良い。意識的に明るくしても、これらの小説はそれでも悲しいのであるから。
 「september」では、誰が死んだのか、何故一人きりになったのかを明確に表現した方が良い。また「秋の夕暮れ」の場合「死」ってこんなに軽々しいものなのかと考えるのである。軽々しく書くことが問題なのではなく、君とやってみたいことができなかった、という感情がこの小説では嘘に聞こえるのである。私は、作者がやってみたいことを明確にしないといけないと思っている。作者がそれを想定しているのなら、そのまま書けばいいし、想定してないのなら小説は設定から嘘になるのである。

 不思議系。
「キーオ」「みずうみ」「ダンサーの夜明け」「山脈」
 「キーオ」のスパっと突き放すような最後の一文には戸惑いを感じます。この一文が最後にあることで投げやりな印象だけが残ります。結局いろんな方向へ話しを広げた(姉の喪失、両親の感情、歌のくだりなど)割りには何も解決していないので、本当はあったと信じている(キーオという名前から察する)透明感のようなものは感じ取れませんでした。「みずうみ」は昔話風ではあるけれど、ただそれだけで教訓も内容もない感じです。きっと作者はいいアイデアに出会ったのだと思います。けれど、アイデアのままで終わってしまった感じです。ダンサーの描写だけで終わらせなかった「ダンサーの夜明け」には前作よりも好感が持てました。この作者には、あるひとつのことをユーモアを込め、とことん描写する特性があるといつも感じています。こういう文体を好きだという感想を見ますが、私は好感触になれませんでした。不条理さでいったら「山脈」が突出していて、この系の中では「山脈」に票を入れるのではないのでしょうか。

 自己完結系。
「石碑」「おでんの屋台」「於:心斎橋クラブクワトロ」「女装男子」「何もない時に何が起きるのか」「悪魔と対面し、それを邪悪と見抜けない者から地獄に落ちてゆく」
 「石碑」と「於:心斎橋クラブクワトロ」が第一印象では良かったです。「おでんの屋台」での「こういうのも、何か良い。」ってのは、何がいいのでしょうか。この一文で安易に締めくくってしまうことで、それまでの屋台での会話すべてが台無しになってしまっていると思うのは私だけでしょうか。「女装男子」は面白いですよ。前作の傾向よりも、今作の傾向で書けばいいのにって素直に思いました。「何もない時に何が起きるのか」この作者の会話は絶妙である。生殖を扱う感覚には作者の独自パターンが垣間見える。ただ、少しサラっとしすぎていて、インパクトというのか、澱または滞るものがない。前作でもそう感じていたのであるが、これは、小説の純度が高いせいなのか、作者の枯れ具合の影響なのか。いずれにせよ、他作品と比べたとき、どうしても印象が弱くなってしまうのである。「悪魔と対面し、それを邪悪と見抜けない者から地獄に落ちてゆく」の作者は一貫してグロい作品を書いている。それを悪いとは思わない。ただ、理解できない展開が見られるので、そのことへの配慮は必要であると思う。あと、こういう傾向の小説ばかりで個人的に少し飽きているのも評価に影響する。
 「於:心斎橋クラブクワトロ」を再読した。この作品は、どうも読めば読むほど読みにくくなる。前作も読みにくかったが、今作もそうであった。2作続いたということは作者の特性になるのか。あと少し体裁に気をつける(あまりまとまり過ぎても良くない)といいのかも知れない。そう考えると「石碑」にも読みにくい部分はある。読みにくくてもいいが、ちゃんと意味のある読みにくさにしてほしいのである。そう考えると「女装男子」に票を入れることになるのであろうか。それと「何もない時に何が起きるのか」にも票を入れたいが。もう少し考えよう。

 非小説系。
「ぼくの知らない彼女」「香港不夜城」「ツイッターの短歌や俳句」
 「ぼくの知らない彼女」では、同じセンテンスの繰り返しが鼻につきます。単純にくどいと思ってしまうのは、詩や歌詞のような構成の単調さで先読みができるからだと思いました。単調な展開をやめ、構成からわざと外すとか、先読みできないものを書くとか、同じ繰り返しでも、もっと無意味な繰り返しの感覚が研ぎすまされればいい作品になったと思うのですが、いかがでしょうか。「香港不夜城」は、どうもやはり私の中では小説ではないのです。「ツイッターの短歌や俳句」も、どうも小説ではないように思えます。作者が初投稿であるなら、小説とすることもできますが、前作群の短歌や俳句を扱った作品を見る限り、どうも、これは小説ではなく、書評(あるいはそれに近いもの・評論)であるように思うのですがいかがでしょうか。私はこの中から票に値する作品を選ぶことはできませんでした。

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