今回の感想を書くにあたり、なかなか気分がそれモードにならなくて、というのは、自分の中に入ってこなくて、それでも感想を書くと決めているので書きます。あと、作品とは直接関係のないことも書いています。あしからず。
「殺すつもりは、」
心が動かなかった理由は、文の意味と繋がりが入ってこなかったから。それと脱字に対して。独特の句読点は、内容を理解する上での妨げとなる。
「バーダー/ビッター」
リズム感が悪いという印象。独特の句読点が妨げとなる。
「バーダー/ビッター」は、ケトレーネフ語にそれと似た言葉があって、本来「バーダービター」と続けて使うらしい。意味は「やめて」を含むが、日本語で適切な言葉が見つからなかった。ただ、それはさておき、わたしは、主人公の心の葛藤を表す擬音として捉えたい。
「ごう」
現実感のない世界で大神を殺そうとしていると読んだ。現実感のないというのは、その極限状態でナイフを持って行動するという体力が残っているのかとの疑問を持ったから。形態にこだわりたくはないが、段落の最初、一文字あけているから余計に[笑える話だ。]が目立ってしまう。
「阿倍朋学園と南芝」
やはり。小説とは見ない。
「送別会」
わたしは男。わたしは会社を去る。日置と近藤は女。近藤は喫煙者。
「神の在る国の物語」
神からの目線で書かれているとすると、じゃあどうして人は神を知ることができたのかとの疑問がわいてくる。
二対でひとつの世界がある。わたしはパラレルワールドや同じ空間の別次元を想像する癖がある。
シマウマのシマはなぜ必要なのか。ナナフシは本当に木の枝に擬態しているのか。身を守るための進化だとは言われるが、人間主体のその考えにはどうも最近引っかかっている。シマウマ以外のウマにシマがないのは何故か。枝を真似るという不思議もそうだが、枝の形状がナナフシの進化にかかる時間以上に変わらないという前提をナナフシはどう理解したのか。
「そうじゃなくて」
最近の家シリーズは作者の心境の変化を表している。それは結婚であったり、引っ越しであったり、近い身内の死であったりした。そうした出来事が短期間に重なった。結婚は同棲していた彼氏とであろうと推察しており、以前からそういった計画はあったはずであるが、小説にそれは表されていない。都心ではない場所。海の香りがする場所。比較的穏やかに過ごせている場所。
「リンク切れ」
穴に落ちた。それはそれは深い穴である。だから、厳密には落ちたのではなくて、落ちている途中なのであり、底にはまだ到達してはいなかった。地球の直径から考えて、地球の核には既に到達しているはずである。というぐらいの時間、幾日分かの考える時間はあった。それでもまだ底には到達してはいない。時間を確認したかったが、スマホは圏外、というよりは、その空間では情報を表示できないようである。画面は光ったまま。文字など一切表示されない。
ブラックホールに落ちると、落ちた者は永遠に落ち続け、それを外から見ている者には、落ちた者は止まって見えるということを聞いたことがある。そういう考えがあることは理解できるが、それを想像することは難しかった。しかし、今の自分がその状態にあると考えると何となく腑に落ちるものはある。
「部屋」
雇う側と雇われる側があって、登場人物はすべて雇われる側、所謂、労働力である。では、何に体する労働力なのであろうかと考えると、王なのだから、国を統治する者であるとも言えるが、この場合、国より小さい単位、例えば、県であったり、市であったり、町であったり、村であったりするのであろう。経営陣は中央にいて、統治役の王を各地に配しているという構図。それぞれがそれぞれの役回りをこなしているだけで、宮殿の中に特定の支配者はいないように見える。侍従長が指示をしたのは、その職場に一番長くいたからであってのことであろう。月一程度でまわってくる本部からの経営陣のひとりが宮殿での役回りを管理しているのである。中央が支配するコンビニ経営のようでもあるが、無数に存在する歯科であったり、最近多く見かけるコインランドリーのようであったりもする。
「夜桜」
彼女とは夜桜の咲く日に別れた。彼女は「月がきれい」と言った。私はヤマザクラの近くに彼女を埋めた。今のところ見つかっていない、だから、完全犯罪なのである。
ヤマザクラの板は浮世絵版画の版木に使われる。きめ細かく、堅く、木目が美しく、版木には最適である。とあるBARの壁に掛かっていた浮世絵のモデルが彼女に似ていたことを思い出す。あのときのヤマザクラの版木が彼女に似たモデルを出現させたのかは定かではなかった。ただ、彼女が見つかっていないのであるから、ヤマザクラはまだ切られてはいない。モデルの出現は、わたしの思い過ごしである可能性の方が高い。あのヤマザクラをもう一度見たくなった。