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『揺れ髪』

 進学塾の授業は夕方からで、静かで孤独で退屈で、たまに欠伸が漏れる。「はふっ」と口を閉じたとき、目の端に私を覗き込む顔があった。すぐ隣の男子、目が合って逸らして、虚空を眺めながら記憶を探ると、ほどなく髪を引っ張られて泣いている子供の頃の私が見つかった。
「あんぱーんち」
 授業中なので小声で言って彼の肩を殴った。
 幼い頃のアンパンマンごっこで、私はいつもバイキンマン役にされていた。「だったらドキンちゃんのほうがいい」と言った覚えがあるけれど、彼にそれを聞き入れられた覚えはない。彼の懐かしむような笑顔。女の子がバイキンマン役をするのはつらかったろうに、と、私はそれを見ながら過去の自分を慰めた。
 塾が同じで、いくつか授業も同じで、ぽつぽつと思い出話をしていくと、会わなかった時間に作られたぎこちなさが次第に解けていく。そのうちに彼は授業中にでも、私の三つ編みで遊ぶようになった。はじいて揺らして、猫かよと思う。昔から私は三つ編みっ子で、よく引っ張られて苛められた覚えがある。懐かしさと鬱陶しさの狭間で揺らいで、鬱陶しさが勝てば彼の手をはたき落とした。

「告白されました」
 あるとき、塾から駅に向かう途中で彼が言った。
「ふうん」
 予想していたことだったので驚かなかった。三日前に知らない子が会いにきて、彼との関係について尋問された。そのことは彼に言っていない。言わない。
 彼女はバレー部で、一年前に部活の交流試合で知り合って、この塾で再会して、気が合って、でも受験があるし……、という彼の説明を聞き流しながら、私は三つ編みのゴムを外した。ゆるく縛っていたそれを解いて、指で梳いてから軽く頭を振ると、ふわり、広がった。くせがついてなだらかに波打った髪。開放された心地よさと風の感触。彼が言葉を止めていた。私は遊ばれる髪をそっと押さえつけながら微笑んだ。
「髪、綺麗だよね」
「ん、どうも」
 そういえば、泣いて嫌がったとき、彼は役を交換してくれた。アンパンマン役とバイキンマン役。今はどうなのだろう。試しに泣いてみようかな。彼と私。でもそれだと、私が彼女と付き合うかどうかになるんだよね。
「付き合ってみれば?」
 にっこり笑って私は言った。
「試しにさ」
 あ、うん、と戸惑ったように頷く彼が、少し可愛い。

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